2005年11月13日

江西省古鎮めぐり (最終回)

婺源では、黄山へのバスが発車するバスターミナルのすぐ裏のホテルに宿泊。婺源から黄山までのバスは1日2本しかないので、乗り過ごしたら大変。そのあと黄山から上海へ夜行列車(N520次急行列車)で上海に戻らなければなりません。


 私はこれまで江西省には幾度となく足を運んでいますが、ここの名物の一つが米粉、いわゆるビーフンです。「小吃」研究家としては賞味しなければいけません。

さて、今回の旅の締めくくりとして選んだのが、婺源博物館の見学。これだけの文化財をもつ街なので、なにか珍しいものがあるのでは、と期待したのですが、これがすこし期待はずれ。でも博物館の字が江沢民の書だったので、かなり鳴り物入りの博物館であることは確かです。他に参観者もいなく、せっかくなので、学芸員の人と雑談。
posted by 藤田 康介 at 17:25| Comment(0) | 中国旅行記

山之内 淳の江西省古鎮めぐり (最終回)

 婺源では、黄山へのバスが発車するバスターミナルのすぐ裏のホテルに宿泊。婺源から黄山までのバスは1日2本しかないので、乗り過ごしたら大変。そのあと黄山から上海へ夜行列車(N520次急行列車)で上海に戻らなければなりません。


 まずは、バスの乗車券を確保。列車のほうは上海駅で購入済みなので安心。最近、上海からでも主要都市発の切符が買えるので便利になりました。ただ、景徳鎮からの切符が上海からは発売されないので、黄山経由で帰ることになったわけです。


 婺源は、婺源県の中心で、このあたりをツアーなどで観光する場合、必ず宿泊するところです。そのためホテルの数がものすごく、観光でなりたっている街です。まずは恒例の自由市場見学ですが、その前に腹ごしらえ。


 私はこれまで江西省には幾度となく足を運んでいますが、ここの名物の一つが米粉、いわゆるビーフンです。「小吃」研究家としては賞味しなければいけません。


 米粉には炒めたタイプもあれば、スープタイプもあります。白いつるつるとした麺が特徴で、歯ごたえがしっかりとしています。また、上海と違って具が豊富。ただ、辛いのが困りますが、豆腐に唐辛子をいれたトッピングは非常に美味。市民を見ていても、屋台などで食べている人は非常に多い。


 いろいろ見ていると、この地方では唐辛子が大好き。野菜饅や肉饅にも唐辛子が入っているし、食文化の違いを感じます。ここでの発見は、豆腐饅があったこと。私のように毎日豆腐を食べないと気がすまない豆腐マニアにとっては、たまりません。饅頭類は4個で1元、上海とは物価が違います。そう、あと蓬餅を皮として作った餃子は珍しい。上海でも青明節のときに蓬餅を食べますが、餃子として食べるのは私も生まれて初めて。

 

米粉 しかし辛い・・・・ 辛くないと現地人は言うが


 さて、今回の旅の締めくくりとして選んだのが、婺源博物館の見学。これだけの文化財をもつ街なので、なにか珍しいものがあるのでは、と期待したのですが、これがすこし期待はずれ。でも博物館の字が江沢民の書だったので、かなり鳴り物入りの博物館であることは確かです。他に参観者もいなく、せっかくなので、学芸員の人と雑談。


 最近の婺源観光ブームにのって、一部伝統工芸の技術を保存する動きが出ているようで、これはうれしいことです。この地区には特有の刺繍技術があったのですが、文化大革命のときに一切禁止され、この技術はほぼ消滅したそうです。博物館で当時の面影を見るだけです。一方で、なんとか文革のときの嵐を切り抜けた彫刻の技術は、社会のニーズもあり徐々に復興し始めているということも聞きました。今回の旅行で見てきた民家の素晴らしい彫刻は、ぜひ残して欲しい。


 ついでに、観光開発についても現状を聞いてみたら、まさに縦割り行政の弊害らしく、観光局は観光開発をするけども文化財保護はしない、文化局は文化財保護はするけど資金はない、という悪循環に陥っていて、文化財の保護に手が回らないという実情を嘆いておられました。経済優先に突き進んでいる現状を肌身に感じます。

早朝、川で洗濯に励む女性たち


 さて、お昼も近づき、バスターミナルへ。黄山へは2時間半ほどで、山を一つ越えなければなりません。ま、覚悟はしていましたがかなりのポンコツバス。1日2便しかありませんが、山間部に散在する村の大切な交通手段。徽州派の建築様式の民家を見ながら、バスは山を越えていきます。ちょうど村にすむ小学生が明日月曜日からの授業に備えて、登校します。このあたりの小学生はほとんどが寄宿制。そのため、日曜日の午後が移動のピークとなるわけです。時刻表など当然ないのですが、村々の入り口には村民たちがまっていて、バスを止めて乗ってきます。さながら通勤ラッシュ並みの混雑。でも、山のそよ風が非常に気持ちよく、うとうとしているとバスは安徽省の名山、黄山のふもとにある黄山市に到着。





 夜10時半の列車の発車まで黄山の街を見学することにしました。6年ぶりですが、街が非常にきれいになっていたのが印象的でした。黄山はここ数日ずっと雨だったそうで、それでも観光客がたくさん来ていました。欧米人のバックパッカーも少なくありません。世界遺産に登録されて、すっかりと世界に名をとどろかせた名山です。


 

ポンコツだけどしっかりと山越えしたバス


 上海行きの夜行列車に乗ったら、なんと大学時代の同級生にばったり。しかも私の寝台の後ろ。彼女は新疆ウイグル地区出身で、大学時代はいろいろとお世話になりました。今回は上海人の旦那さんと黄山ツアーに参加したとのこと。上海語を流暢にはなし、もうすっかり「新上海人」となっていました。彼女も医者をやめて企業に就職した1人。医者では食べていけないと嘆いていました。


 


 文化財をいかに保護するか、本当に難しい問題かと思います。黄山市の骨董品屋では、明らかに民家の一部だったと見られる彫刻や柱、柱台がたくさん陳列されていました。骨董品マニアには、たまらないものでしょう。


 そのまま廃墟として雑草の中に埋もれてしまうのか、それともブローカーの手に渡って、末永く伝えられていくのがいいのか、私には分かりませんが、少なくとも切り取られた先人の力作を目にして、なにか悲しいものを感じてしまうのは、私だけではないと思います。

婺源よ、永遠に!
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

2005年11月12日

江西省古鎮めぐり (4)

今晩は明日、安徽省の黄山へ抜けるバスに乗るために、婺源で宿泊しています。婺源はこのあたりの村をめぐるツアーの基地となるところで、ホテルもたくさんあり、週末も重なってツアー客や観光バスばかり。昨夜宿泊した清華とは規模も違います。婺源は江沢民の祖先が住んでいるところで中国人にも有名。


 ほとんど興味がなかったのですが、バスツアーのコースにもよく採用されている李坑を一応見学。う〜ん、入場料は30元取られるし、バスツアーの観光客ばっかり。やっぱり道路が整備されて、行きやすくなると、もう昨日の理坑のような趣はすっかりなくなっていました。悲しいです。黄山からの高速道路が近年中に開通すると、もっと観光客が増えることでしょう。上海から高速でダイレクトにいけますから。でも、気軽に行けるという点では大切かもしれません。どの家でもおみやげ物や骨董品に販売に精を出していました。

 私たちのトラックは、未知なき道を登っていきます。時々、農民がトラクターにのって荷物を運んでいますが、馬力が足りず、後ろで一生懸命押していました。斜面を這うように、石畳の旧道が残っていて、農民たちは荷物を担いで仕事から帰ってきます。水牛が畑を耕すなど、中国ののどかな農村の風景が広がります。
posted by 藤田 康介 at 17:25| Comment(0) | 中国旅行記