2005年11月11日

江西省古鎮めぐり (3)

昨晩は非常によく眠れました。とにかく聞こえてくるのは川のせせらぎだけ。以前、日本の上高地にいったときにも感じた森の香りと、新鮮な空気を思いっきり吸い込み、私の肺に溜め込んでいる上海の汚染された空気を思いっきり出す心境です。ただ、シャワーがないので、足しか洗えなかったのが残念ですが、これだけは仕方がありません。肥溜めにトイレをしなくて済んだだけでもよしとしましょう。


 なぜこんな山奥に立派な建築物が残っているのか?実は、このエリアは四方が山に囲まれている盆地で、風水が極めてよいという信仰上の理由があり、さらに勤勉な村人たちが、科挙に及第して故郷に錦を飾るというケースが多かったのです。詳しいことはまたサイトのfeatureに掲載しますので、お楽しみに。

古坦古鎮で出会った子供たち 写真送るね

 これら村には皆樹齢1000年から800年の木が必ず植えられていて、一種のシンボルとなっています。これは、木が育たないところは風水がよくないという理由もありますが、風の通り道をさまたげるという物理的な重要性も持っています。しかし、文化大革命のときにその多くの遺産が破壊され、山も丸裸になってしまいました。そのことを残念がる村人たちは少なくありません。
posted by 藤田 康介 at 17:25| Comment(0) | 中国旅行記

山之内 淳の江西省古鎮めぐり (3)

 昨晩は非常によく眠れました。とにかく聞こえてくるのは川のせせらぎだけ。以前、日本の上高地にいったときにも感じた森の香りと、新鮮な空気を思いっきり吸い込み、私の肺に溜め込んでいる上海の汚染された空気を思いっきり出す心境です。ただ、シャワーがないので、足しか洗えなかったのが残念ですが、これだけは仕方がありません。肥溜めにトイレをしなくて済んだだけでもよしとしましょう。


 農家のご家族にお礼をいって、心なしかの宿泊料を払い、ついでに早朝の理杭をじっくりと案内していただきました。


  天気はあいにくでしたが、それが逆に古鎮にガスを発生させ、独特の「古めかしさ」を感じさせます。丘に登ると、各家庭から上がる朝食の煙を目にし、井戸端では女性たちが洗濯にいそしみます。井戸端会議とは、こういうのを言うのだと実感。


 なぜこんな山奥に立派な建築物が残っているのか?実は、このエリアは四方が山に囲まれている盆地で、風水が極めてよいという信仰上の理由があり、さらに勤勉な村人たちが、科挙に及第して故郷に錦を飾るというケースが多かったのです。詳しいことはまたサイトのfeatureに掲載しますので、お楽しみに。

 

理杭古鎮の全景


 この日は、昨日のトラックを1日貸しきりました。やはりトラックぐらいの車高がないと、この凸凹道は大変です。上海ナンバーの車をたまに見かけますが、みんなRVのごついくるまでした。悪路を走るのにはもってこいでしょう。貸切といっても、多くの農民は交通が不便で足がなく、途中お年寄りや子供をふもとまで乗せてあげました。ここでは、ヒッチハイクは当たり前です。


 田舎といっても、中国の中ではまだ恵まれているほうで、たとえば上海の虹橋空港が99万元を寄付して「希望小学校」という4階建ての立派な学校を作ってあげたり、そういう地道な援助があちこちで見られました。古坦古鎮でであった小学生たちのくったくない無邪気な笑顔が印象的です。デジカメに写った写真を見せてあげると、はしゃいでいました。小学校の住所を聞いたので、帰ったら写真を送ってあげようと思っています。


 これら村には皆樹齢1000年から800年の木が必ず植えられていて、一種のシンボルとなっています。これは、木が育たないところは風水がよくないという理由もありますが、風の通り道をさまたげるという物理的な重要性も持っています。しかし、文化大革命のときにその多くの遺産が破壊され、山も丸裸になってしまいました。そのことを残念がる村人たちは少なくありません。

古坦古鎮で出会った子供たち 写真送るね


 お昼はもちろん付近にレストランがないので、農民の家にお邪魔して、採りたての野菜や魚を料理してもらいました。サツマイモがおいしい!蒸し芋にしてもらいましたが、非常に甘いです。また同じ淡水魚でも上海のもとのは比較にならないほど泥臭くなく、また感動。





 写真の皇村古鎮は、この婺源エリアの村々発祥の地でもあります。この村の入り口にも紅葉した楓の巨木が植えられていて、この村の歴史を感じさせます。人が住む前にまずこの楓の木を植え、そして3年後無事に成長したら、人々が移り住んできたといわれています。またこの村では、中医学で実が生薬にも使われる紅豆杉という珍しい杉も大事に村で保存されていて、今日も立派に葡萄のような実をつけていました。

  

皇村古鎮(皇は正しくは竹かんむりに皇)


 もちろん、この彩虹橋のように開発の手が入って、観光地として復元されたところもあります。でもこの橋は、残念ながらすでに橋としても指名を終えてしまったといえるでしょう。これは寂しい。この橋をわたる村人は今はおらず、ほとんどが観光客です。


 だけど、婺源にはまだまだ現役で村としての機能をそのまま果たしているところがたくさん残っており、江南地方の水郷のように極度に観光地化されていないところに強い魅力を感じました。目的地に着くまでに荒地を走り続けないといけないという交通の不便さがこの秘境を守っているのでしょう。


 しかし、残念なことも。これらすばらしい文化遺産も、管理の手が行き届かないので、崩壊する危険にさらされています。私が今回観光しているところは、日本で言えば白川郷のようなところで、農民たちが当時の建築物を守りながら住み続けているのです。でも、農民たちだけでは限界もあります。貴重な文化遺産がありながらも、彼らにとってはあまりにも日常過ぎて、それが貴重であるということがなかなか気がつかないし、気がついても資金面などから何もできない。そこで、すでに倒壊してしまった家屋も数多く、また上海の虹橋にある貴州レストランのように、売られてしまい移築されるという運命をたどることもあります。もうあと10年もしたら、もっと減るんではないかと心配になりました。





 今日は天気は雨がふったりやんだりしていましたが、大雨には遭わず、見たかった古鎮4箇所はほぼまわれました。明日から今回の旅行も終盤を迎えますが、まだ数箇所回る予定です。トラックの運転手さんありがとう。明日もよろしくお願いしますね。


 今まで婺源であった人たちは非常に人情味があり、素朴で、いろいろ世話になりました。安徽省の田舎では、さんざん騙されて、喧嘩に明け暮れたのと比較するといままでは非常に順調です。

清華古鎮の彩虹橋
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類