2005年12月03日

昔住んでいたアパートの前を通って当時を偲ぶ

 今日から明日にかけて、上海では寒気の到来でかなり寒くなりようです。郊外では最低気温が氷点下になるそうですよ。どうぞ、風邪をひかないようにお気をつけください。





 先日、久しぶりに第六人民病院に用事があり、徐匯区の方へ行ってきました。以前、私の修士論文の論文審査のメンバーの1人に、ここの病院の教授にお願いしたり、西洋医学の総合病院なので医学部時代は心電図の実習にも行った、なつかしの病院の一つです。しかし、病院は立派になったもので、今では交通大学付属病院の看板までかかっています。当時から規模は大きかったのですが、以前にも増してきれいになっていました。





 最近の上海市内の病院のインフラ整備の早さには舌を巻きます。すべてここ5年以内の出来事です。以前、実験で使わせてもらった交通大学付属の瑞金病院も素晴らしい実験棟を建築しました。中医学で有名な上海中医薬大学付属の竜華病院や曙光病院も新築の病棟を完成させました。ちなみに、上海第二医科大学は今年に入ってから交通大学医学部に変わっています。上海第二医科大学はフランス語や英語で医学を勉強するコースがあったりして、かなりユニークです。そんな関係で、フランスなどとの交流が盛んで、両国の学生たちも行き来しているようです。





 復旦大学付属の中山病院の救急病棟や外来病棟も素晴らしい。ここは昔、上海医科大学と呼ばれていて、現在は復旦大学の医学部になっています。ここの医学部の研究室も実験に使わせてもらいました。中山病院付近はさまざな特色のある、市が管轄する総合病院が集中していて、患者にとっては非常に便利です。地下鉄4号線が開通したら、交通アクセスも格段によくなるでしょう。


 

復旦大学付属中山病院


 第六人民病院といえば、10年前私が上海で初めてアパートを借りた田林新村があるところです。非常に懐かしい。当時、外国人は中国人用のアパートに住むことが禁止されていて、手続きを踏むのに非常に苦労したことを覚えています。いまではウソのようですが。この日、そっと訪れてみました。



 1980年代に建てられたアパートで、そのころではかなりモダンな建築物でした。日本で言えば60年代、70年代の公団のイメージでしょうか。トイレやシャワーが各部屋にあり、そういう意味では画期的だったでしょう。1980年代末に上海でA型肝炎が大流行し、病院が不足して、建設中のこの田林新村のアパートも病室として使われたというエピソードもあります。今、改めてアパートをみると外壁は新しく塗り替えられ、でも住民はまだたくさんいて、ファミリーマートもできていました。ローソンのおにぎりに感動した当時と比較する雲泥の差ですね。





 私が住んでいた当時、外国人である私を心配してか、時々公安がやってきて、「近所にはあまり日本人としられないようにね」とアドバイスをいただき、その当時から私は「田舎からきた福建人」ということになっていました。いわゆる公房と呼ばれる勤労者向けのアパートで、天井が低く、冬場は隙間風で非常に寒かったのを覚えています。でも、アパートの裏には自由市場もあり、そのころからいろいろな野菜を買ってきては料理を楽しんでいました。そういえば歯ブラシ売りの押し売りがやってきたりもしたなあ…。


 その時となりにすんでいたおばちゃんが典型的な上海人で、私が「福建省からきた医学生」と知るや否や、いろいろなおせっかいを焼いてくれて、お世話になったものです。その代わりに、おばちゃんが病気になったら病院の教授を紹介してあげたりもしました。結局、最後まで私が日本人であることは知らなかったみたいですが・・・。今となってはいい思い出です。

ああ、なつかしの田林新村


 帰りは徐家匯から世紀公園の我が家にもどりましたが、徐家匯もまたすごい変化なのです。10年ぐらい前からほぼ毎日のように歩いている徐家匯ですが、10年前は本当に何もなく、大学の中国人同級生たちに連れられてローラースケート場に行ったのが唯一のそのあたりの娯楽。そして、今ではどこにでもあるフードコートがその当時は非常に珍しく、値段も当時の物価からすれば結構高く、たまに行くと今日は何を食べようかと楽しみにしたものです。全盛期は席がないぐらい混んでいたのを記憶しています。それが今は跡形もなく消え失せてしまいました。





 今の徐家匯はネオンがきらめき、ツインタワーの照明が内環状の高架道路からも見えます。先日、上海郊外の七宝に新築マンションを買った弁護士の友達の屋上サンルームからもこのツインタワーの照明が見えるぐらいです。今ではすっかりと徐家匯のシンボルになっています。





 信じられないかもしれませんが、クリスマスに上海の繁華街が本格的にデコレーションしだしたのもここ5〜6年のことなのです。10年前、クリスマスはあくまでもキリスト教徒のイベントであり、せいぜい外国人がよく出入りするホテルにデコレーションがあった程度で、上海の街も普段と一緒でとくに何もありませんでした。クリスマス・セールなんてものは当然なかったし、そもそも南京西路もまだ大改造中でした。今、南京西路はすっかりとお洒落なブランド街となっていますが…。この変化は、本当にすごいことです。10年の間に上海人の文化そのものが大きく変化してしまったといえるでしょうか。特に若者文化ですね。

徐家匯のツインタワー
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類