2006年03月24日

日本の高齢化を心配せずにはいられない

 最高の天気に恵まれた上海。数日間上海を留守にしていただけに、仕事がどっさり溜まっており、その処理に頭を悩ませています。また、上海から日本へつなげるネット回線が、相変わらず悪く、東京の編酋長と連絡を取りながら対応策を協議。





 さて、今回日本へひさしぶりに帰って思ったことが、日本の高齢化が思ったより深刻であったということ。上海のような若い都市で日ごろ生活していると、余計そう感じます。





 東京にいたときは、街中に若者があふれていて、高齢化など微塵も感じなかったのですが、新幹線で大阪に入り、さらにJR大和路線で奈良へ進むにつれて、高齢化の度合いが色濃くなります。なぜ、そう思ったかというと、街を歩いている高齢者の方が田舎に行くにしたがって格段に増えているからです。少なくとも、私が日本で生活していた10数年前はそこまで多くはなかった。





 

シャッターが固く閉ざされていた


 それが、どういうところに影響をもたらしているか、それも目のあたりにしました。


 まず、景気が回復してきたというのに、いまだにつぶれる店舗が絶えない。私の実家があるニュータウンでも、以前にぎやかだった商業エリアには店がほとんどありません。少なくとも、10年前まではそうではなかった。ニュータウンのように人工的につくられたコミュニティーでは、高齢者世帯が増えれば増えるほど、出歩く人が少なくなり、街が寂しくなってしまう傾向があります。公園では子供の遊ぶ声が聞かれないし、街を散歩してもまず人に出会うことがない。ニュータウンは、外から見れば閑静な住宅が並んでいて、立派だが、実は空き家も増えてきており、さらに進めば治安の問題も心配になる。活気がまったく感じられない。


 一方で、子育てを終えた団塊世代以上の世代が、大きな家をもてあまし、都市に移住しようとする傾向もあると聞きます。不動産デベロッパーが長期スパンで物事を考えずに開発した結果が、いま日本でも出始めているように思います。

 その背景には、政府自治体の無策も関係あります。私の住む県や町では、同じ首長が何期も続き、社会は変わっているのに、政治体制は私が実家を後にした10数年前でまるっきりおなじ。うちの町長さんにいたっては、私が中学校に通っていた時代からずっと同じ。相変わらず、一部の地元町民から絶大な支持をうけているそうですが、これが果たして本当の民主主義なのか疑いたくなります。上海市長ですら、私が上海に住んでから2人変わっていますよ。


 ビジョンや政策のない自治体って、本当に意味があるのか?私も一納税者として考えさせられます。むしろ、都市開発や福利・貧困の改善に一生懸命取り組んでいるように見える上海のほうが、税金を払っていても払いがいがある。


 変化を受け入れることができない、きっとそれが今の日本に停滞感を与えている原因かと思います。とくに政治で。もちろん、東京など一部都市では非常に元気なのも確かですが、その影で私の実家のような地方はこのまま見捨てられていくのでしょうか。となると、我々も元気な町に移住しなければならないのか?問題は深刻です。政治家の不祥事ばかりを討論している日本の政治はどこにいくのだろうか・・・。

 

 

 そういった現象をとくに感じたのが、国道や県道の周りにはえる雑草やゴミの多さ。そして錆びたガードレールや信号機の惨めな姿。街に増えた落書き。おそらく財政難でそこまで整備できないのかと思うのですが、そういった細かいところを美しくすることが、人々の生活にメリハリを与えるものだと思います。


 上海に活気が感じられるのも、たとえば街頭の落ち葉を掃いたり、ゴミを拾ったり、街頭の植木の剪定をしたりするひとがたくさんいて、それがボランティアではないにしろ、街を美しくしようとする試みが感じられるところにあるのではないでしょうか?


 人がいすぎても国は滅びますが、人がいない国は必ず寂れます。これは歴史を見ても明らかです。


 私は自分が生まれ育った日本が大好きだからこそ、強い不安を感じた今回の日本滞在でした。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類