私のマンションの階上と階下では内装工事はみんな同じぐらいに済ませたのに、両隣はなぜか物音一つせず、内装をはじめる気配もなかったのですが、今週ぐらいから隣で工事が始まりました。いつかは内装してもらわないと困るので、こちらも特になんてことないのですが、やはりうるさい。
ただ、唯一の救いは夕方18:00から朝8:00まで、さらに週末と祝日は内装禁止なので、これは助かります。もし違反すれば、ガードマンがすぐに飛んできてくれます。これはありがたい。
私も内装を自分でやったので、その事情は多少なりとも知っていますが、中国のこの内装システムはムダが非常に多い。特に出てくるゴミの量は半端ではありません。
スケルトン状態のマンションといえども、壁に仕切りはついているし、みるからに安物のトイレや簡単な蛇口、水の簡単な配管までつけられていて、自分で内装するときはこれらをはずします。また、電気配線やコンセント、スイッチなどもみるからにチャチですが、はじめから取り付けられていて、これも内装開始とともに撤去されてゴミ化します。だからスケルトンといえども、住もうと思えば住めないこともない。事実、内装期間中は大工さんが住むわけですから。スケルトンというかぎりは、梁だけで引き渡してくれたらいいのですが、実際はそうではないので、結局つぶさないといけないのです。
しかし、もっとムダが多いのが内装付きで分譲されているマンション。こちらは、内装の施工技術が低いとか、好みが合わないとかで、よっぽど高級なマンションを除いて、普通は内装をしなおします。というわけで、取り付けられたほとんどの新品備品がゴミ化するわけで、これらが廃棄物として処分されます。そういえば、レストランも開店して1年もたっていないのに、内装が取り壊されて新しいものが使われています。まだまだ十分に使えるのに…。
都市に住んでいると、ほとんど自然界と隔絶された世界にいるようになります。ゴミが出たら、ゴミ捨て場に捨てると誰かがもっていってくれるだろうし、都市にいる限り、今日・明日の食べ物や水を心配するようなこともない。暑かったらどこかで作られた電気エネルギーでエアコンをつけたらいいわけだし、人工的環境がほぼ完璧と思えるぐらい揃っています。内装に関してもそうでしょう。自分に快適な環境を作るために、改造する。でも、その一方で見えないところでゴミや廃棄物などが排出されたり、はるばると外へ運ばれて堆積していく。
なぜ、こういうことを書くかというと、中国の農村にいったときに農家の裏などで生活ゴミの山を見つけることがあるのです。そういうところでは上海の市中心部のようにゴミ回収が行われていないし、ゴミの処理のしようがない。
昔、農民は自然とともに生活していたから、自然の中で生まれた食べかすなどのゴミは家の周りに捨てても自然に帰っていった。しかし、都市化の流れと都市的消費が広まるにつれて、工業化されたゴミの処理ができなくなってきた。その結果、家の周りにゴミをすてるしかないのです。よって、上海近郊の都市的消費が著しい農村ほど、無造作に家の周りに捨てられるゴミが非常に多いのです。
とんでもないスピードで都市化が進んでいる中国ですが、このまま進んでいったらどうなるのだろうと思わずにはいられません。いろいろな意味でちょっとおそろしいような気もします。
2006年04月26日
やっかいなマンションの内装工事
posted by 藤田 康介 at 17:25| Comment(0)
| ここは上海なり
あ〜あ、隣で内装工事がはじまった
私のマンションの階上と階下では内装工事はみんな同じぐらいに済ませたのに、両隣はなぜか物音一つせず、内装をはじめる気配もなかったのですが、今週ぐらいから隣で工事が始まりました。いつかは内装してもらわないと困るので、こちらも特になんてことないのですが、やはりうるさい。
ただ、唯一の救いは夕方18:00から朝8:00まで、さらに週末と祝日は内装禁止なので、これは助かります。もし違反すれば、ガードマンがすぐに飛んできてくれます。これはありがたい。
私も内装を自分でやったので、その事情は多少なりとも知っていますが、中国のこの内装システムはムダが非常に多い。特に出てくるゴミの量は半端ではありません。
スケルトン状態のマンションといえども、壁に仕切りはついているし、みるからに安物のトイレや簡単な蛇口、水の簡単な配管までつけられていて、自分で内装するときはこれらをはずします。また、電気配線やコンセント、スイッチなどもみるからにチャチですが、はじめから取り付けられていて、これも内装開始とともに撤去されてゴミ化します。だからスケルトンといえども、住もうと思えば住めないこともない。事実、内装期間中は大工さんが住むわけですから。スケルトンというかぎりは、梁だけで引き渡してくれたらいいのですが、実際はそうではないので、結局つぶさないといけないのです。
しかし、もっとムダが多いのが内装付きで分譲されているマンション。こちらは、内装の施工技術が低いとか、好みが合わないとかで、よっぽど高級なマンションを除いて、普通は内装をしなおします。というわけで、取り付けられたほとんどの新品備品がゴミ化するわけで、これらが廃棄物として処分されます。そういえば、レストランも開店して1年もたっていないのに、内装が取り壊されて新しいものが使われています。まだまだ十分に使えるのに…。
ゴミの山
都市に住んでいると、ほとんど自然界と隔絶された世界にいるようになります。ゴミが出たら、ゴミ捨て場に捨てると誰かがもっていってくれるだろうし、都市にいる限り、今日・明日の食べ物や水を心配するようなこともない。暑かったらどこかで作られた電気エネルギーでエアコンをつけたらいいわけだし、人工的環境がほぼ完璧と思えるぐらい揃っています。内装に関してもそうでしょう。自分に快適な環境を作るために、改造する。でも、その一方で見えないところでゴミや廃棄物などが排出されたり、はるばると外へ運ばれて堆積していく。
なぜ、こういうことを書くかというと、中国の農村にいったときに農家の裏などで生活ゴミの山を見つけることがあるのです。そういうところでは上海の市中心部のようにゴミ回収が行われていないし、ゴミの処理のしようがない。
昔、農民は自然とともに生活していたから、自然の中で生まれた食べかすなどのゴミは家の周りに捨てても自然に帰っていった。しかし、都市化の流れと都市的消費が広まるにつれて、工業化されたゴミの処理ができなくなってきた。その結果、家の周りにゴミをすてるしかないのです。よって、上海近郊の都市的消費が著しい農村ほど、無造作に家の周りに捨てられるゴミが非常に多いのです。
とんでもないスピードで都市化が進んでいる中国ですが、このまま進んでいったらどうなるのだろうと思わずにはいられません。いろいろな意味でちょっとおそろしいような気もします。
ただ、唯一の救いは夕方18:00から朝8:00まで、さらに週末と祝日は内装禁止なので、これは助かります。もし違反すれば、ガードマンがすぐに飛んできてくれます。これはありがたい。
私も内装を自分でやったので、その事情は多少なりとも知っていますが、中国のこの内装システムはムダが非常に多い。特に出てくるゴミの量は半端ではありません。
スケルトン状態のマンションといえども、壁に仕切りはついているし、みるからに安物のトイレや簡単な蛇口、水の簡単な配管までつけられていて、自分で内装するときはこれらをはずします。また、電気配線やコンセント、スイッチなどもみるからにチャチですが、はじめから取り付けられていて、これも内装開始とともに撤去されてゴミ化します。だからスケルトンといえども、住もうと思えば住めないこともない。事実、内装期間中は大工さんが住むわけですから。スケルトンというかぎりは、梁だけで引き渡してくれたらいいのですが、実際はそうではないので、結局つぶさないといけないのです。
しかし、もっとムダが多いのが内装付きで分譲されているマンション。こちらは、内装の施工技術が低いとか、好みが合わないとかで、よっぽど高級なマンションを除いて、普通は内装をしなおします。というわけで、取り付けられたほとんどの新品備品がゴミ化するわけで、これらが廃棄物として処分されます。そういえば、レストランも開店して1年もたっていないのに、内装が取り壊されて新しいものが使われています。まだまだ十分に使えるのに…。
都市に住んでいると、ほとんど自然界と隔絶された世界にいるようになります。ゴミが出たら、ゴミ捨て場に捨てると誰かがもっていってくれるだろうし、都市にいる限り、今日・明日の食べ物や水を心配するようなこともない。暑かったらどこかで作られた電気エネルギーでエアコンをつけたらいいわけだし、人工的環境がほぼ完璧と思えるぐらい揃っています。内装に関してもそうでしょう。自分に快適な環境を作るために、改造する。でも、その一方で見えないところでゴミや廃棄物などが排出されたり、はるばると外へ運ばれて堆積していく。
なぜ、こういうことを書くかというと、中国の農村にいったときに農家の裏などで生活ゴミの山を見つけることがあるのです。そういうところでは上海の市中心部のようにゴミ回収が行われていないし、ゴミの処理のしようがない。
昔、農民は自然とともに生活していたから、自然の中で生まれた食べかすなどのゴミは家の周りに捨てても自然に帰っていった。しかし、都市化の流れと都市的消費が広まるにつれて、工業化されたゴミの処理ができなくなってきた。その結果、家の周りにゴミをすてるしかないのです。よって、上海近郊の都市的消費が著しい農村ほど、無造作に家の周りに捨てられるゴミが非常に多いのです。
とんでもないスピードで都市化が進んでいる中国ですが、このまま進んでいったらどうなるのだろうと思わずにはいられません。いろいろな意味でちょっとおそろしいような気もします。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類