2006年05月31日

冷蔵庫も粽でいっぱい

今年の端午の節句の粽は自分で作りました。外で売られている粽との大きな違いは、もちろん化学調味料を一切使わないなどの点以外に、中にいれる豚肉が新鮮なこと。外で買ってくる粽の多くは、豚肉が干からびてしまい、ジューシーさが無いものが多いです。とまあ、この日は鍋いっぱいに粽を作り、冷凍庫に保存してあります。
 粽は疲れて料理する気力も無いとき、非常食(?)として大活躍するのであります。

 そのほか、友達や彼女の両親からも粽をたっぷりともらい、いま冷蔵庫の中は粽ばかりになっています。これからしばらくは朝食は粽となりそうです。特集に「空腹時に粽を食べることはよくない」と書いておきながら…。もち米は消化によくないので、食べすぎにはご注意くださいませ。

 街をあるくと、どこの粽売り場も大繁盛です。南京東路にある第一食品商店でも、粽を買う市民の行列ができていました。昨今の上海人の家庭では、粽を自分の家で作ることがなくなってきたそうです。それもそのはず、私の友達も含めて、周りを見渡すと30歳から40歳の女性でさえ、粽を作ることが出来る人はまずいないですね。そういうことをきちっと家庭で教えてもらっている人は非常に少ない。

 粽の最大の欠点は、なんといってもアシで包まれた皮。
 これが粽のシーズンになると、無造作に道路に捨てられ、街の景観を汚しています…、というかもう粽シーズンの風物詩ですね。朝、徐家匯を歩いていたら、お掃除のおじさんが一生懸命粽の皮を拾っていました。

 上海ではアシの皮を使った粽が多いのですが、これは地方によってさまざまな違いがあり、日本のように笹をつかうところもあるそうです。そういえば、日本で食べた中華粽は、アルミホイルに包まれていたなあ。

 粽といえば、台湾の粽もなかなかいい。というか、個人的にはこっちのほうが好きです。台湾の粽は卵黄やら具が数種類入っていて、栄養のバランスもよさそう。

 粽だけ追求しても、1冊本が書けそうですね。
posted by 藤田 康介 at 17:25| Comment(0) | 中国で食べる

冷蔵庫も粽でいっぱい

 今年の端午の節句の粽は自分で作りました。写真は当サイトの端午の節句にあるのですが、なかなかの出来でした。外で売られている粽との大きな違いは、もちろん化学調味料を一切使わないなどの点以外に、中にいれる豚肉が新鮮なこと。外で買ってくる粽の多くは、豚肉が干からびてしまい、ジューシーさが無いものが多いです。とまあ、この日は鍋いっぱいに粽を作り、冷凍庫に保存してあります。
 粽は疲れて料理する気力も無いとき、非常食(?)として大活躍するのであります。

 そのほか、友達や彼女の両親からも粽をたっぷりともらい、いま冷蔵庫の中は粽ばかりになっています。これからしばらくは朝食は粽となりそうです。特集に「空腹時に粽を食べることはよくない」と書いておきながら…。もち米は消化によくないので、食べすぎにはご注意くださいませ。

 街をあるくと、どこの粽売り場も大繁盛です。南京東路にある第一食品商店でも、粽を買う市民の行列ができていました。昨今の上海人の家庭では、粽を自分の家で作ることがなくなってきたそうです。それもそのはず、私の友達も含めて、周りを見渡すと30歳から40歳の女性でさえ、粽を作ることが出来る人はまずいないですね。そういうことをきちっと家庭で教えてもらっている人は非常に少ない。

粽を買うために殺到する市民


 粽の最大の欠点は、なんといってもアシで包まれた皮。
 これが粽のシーズンになると、無造作に道路に捨てられ、街の景観を汚しています…、というかもう粽シーズンの風物詩ですね。朝、徐家匯を歩いていたら、お掃除のおじさんが一生懸命粽の皮を拾っていました。

 上海ではアシの皮を使った粽が多いのですが、これは地方によってさまざまな違いがあり、日本のように笹をつかうところもあるそうです。そういえば、日本で食べた中華粽は、アルミホイルに包まれていたなあ。

 粽といえば、台湾の粽もなかなかいい。というか、個人的にはこっちのほうが好きです。台湾の粽は卵黄やら具が数種類入っていて、栄養のバランスもよさそう。

 粽だけ追求しても、1冊本が書けそうですね。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

2006年05月30日

上海のローカル病院での診察経験

時々、恩師の教授のお手伝いなどで病院の外来に座るとき、仮にお手伝いであっても、中国人の患者さんと一対一で接するチャンスが必然的に増えます。

 大きな病院では、中国各地から患者がやってきます。海南島からの患者さんは、自家製のマンゴーをさげてくるなど、地方色は豊かです。さらに、時にはその地区の世間話をしながら、患者さんと親しくなることは良くあることです。

 しかし、中国に10数年生活して、慣れ親しんでも、いまだに苦手な年齢層があります。それが40代後半から60代にかけての世代の上海人女性です。この世代の人とうまくコミュニケーションを取るにはまず「忍」の一文字です。

 この日も、私が何かをしゃべる前にいきなりけんか腰で診察室に入ってきて責めて来る人や、病院のサービスの不満や怒り、罵声を私にぶっかけてくる人、など本当にいろいろなパターンに出会いました。中国で医師をするということは本当に大変です。こうやって手伝いしているだけでも、まるでワラ人形のような扱いをよく受けます。そんなとき、ただ「忍」の一文字です。

 その原因の一つに、私自身が中国人と姿かたちが区別つかないこと、私の普通語が田舎から来た田舎ものというイメージを与える、私が教授のかばん持ちをしてさらに若造に見えるのも原因なのですが、同僚の医師から、表情を見せてはならない、つまりポーカーフェィスにならなければならないと指摘されました。しかし、私にはできない。その地点で失格か(笑)。

 そのベテラン医師によれば、日本的に患者にいい医療サービスをしてあげよう、少しでも話を聞いてあげよう、とする姿勢が、元凶だというわけです。何か矛盾しているようですが、上海では物腰が柔らかいことは、往々にして自分のためにならない、とよく言われます。

 だから、病院の受付も、検査する人も、笑顔ひとつ見せない。お釣りはいまだに投げるし、仕事を専念せずに雑談にぺちゃくちゃ。患者がくると迷惑そうに仕事をする。そしてミスをしても責任の投げ合い。
 だから、患者さんが困っていても、話を聞いてあげられるような状態ではないことが多く、これが患者さんにとってはすごい不満であるのです。で、その不満を「話すことが出来る」医師に向けるということが多い、というわけです。

 さらに、もうひとつ注意しなければならないことがあります。この40代後半から60代にかけての世代というのは、世間的にも不幸な世代として有名です。あの暗黒の20年間に青春時代をすごし、さらに人為的理由から満足な教育をうけることができず、そのため資本原理で動き出した現在の上海の社会についていけていない。そのことに強烈なフラストレーションを感じています。
 自分より若い者がドンドンお金を稼いで、いい生活しているのに、自分たちは仕事すらままならない。そう思っている人が非常に多いのは感じられます。中高年に多いレイオフの問題にしても関係あるでしょう。さらに、もともとタダだった医療費に対して、今どうしてお金を払う必要があるのか、ということにも矛盾と苛立ちを感じています。だから、一部では医師は金食い虫の象徴と思われているのです。悲しいことです。

 40代後半から60代にかけての世代、特に上海など都会で育っている人の場合、親から十分にしつけや教育をうけられていない人が多いのも事実です。そういう社会情勢ではなかったからです。だから、格差が非常に大きい。価値観もまるで180度違う。今の上海でマナー向上を訴える標語が氾濫していますが、その背景には中国ならではの特殊事情があることを我々はしっておかなくてはいけません。

 私は彼らと接するとき、日本とは違う配慮をいつも胆に命じています。それがつまり「忍」だと思うのです。これは、上海の日常生活でも当てはまると思いませんか?

 徐家匯の雑踏から、緑豊かな世紀公園の我が家に戻ったとき、ホッとして、本当に至福のひと時を感じてしまいます。
posted by 藤田 康介 at 17:25| Comment(0) | 中医学・漢方