2006年09月02日

40数年でほんとに石油エネルギーは枯渇する?

 温泉学会の魅力は、なによりも温泉をテーマに、学識経験者から温泉旅館にまでさまざまな分野の人たちの温泉研究に対する取り組みを聞けるというところにあります。

 今回の学会で、非常に感銘を受けたのは、京都大学工学部の芦田教授のお話。

 芦田教授は、ご専門の立場から地球資源の有限性、とくにもうすぐ訪れるであろう石油エネルギーの枯渇と、それに向かって人類が行わなければならないさまざまな取り組みについてわかりやすく基調講演をなさいました。その中で、バイナリー発電と地下熱の有効利用について、熱く語られました。テーマは「大深度掘削と温泉資源」。

 芦田教授のお話によれば、新たな石油油田開発のピークはすでに過ぎさり、あのサウジアラビアでさえ、原油の生産量が落ちている昨今、近いうちにガソリンも1リットル200円突破するだろうという厳しい見解も出されています。専門家の間でも、石油が今後安くなることはまずありえないと考えられています。さらに、このままいけば、あと40数年で本当に石油資源が枯渇してしまう可能性が高く、その予測年数もだんだんと身近くあっているようである。

 

 考えて見れば、今のような浪費社会が、今後も続くと思うようなことが根本的に間違っているわけで、私たちは大変な時代に生きているのだな、と実感せざるおえません。 

 私は日ごろ上海のような大量エネルギー消費都市に住んでいるわけだけど、その割には市民のエネルギー資源に対する意識は低い。自然からほぼ完全に隔離された都市生活をしてる我々にとって、エネルギーがそこにあることが当たり前になっていて、たとえば停電や断水があると大騒ぎしてしまう。

 考えてみたら、人類が自然とともに生活をしていた頃、自然が人々の生活に大きな影響を与え、時には死と直面することさえあったのに、都市に生活していると、何かその自然を征服してしまったような錯覚を与えられるてしまいます。

鳥取県の岩美町浦富海岸


 この我々の大都市生活を支えているのが、地方からの電力などエネルギーや食料の供給です。上海にしても、三峡ダムなどから電力の供給をうけてやっと成り立っているわけだし、食べ物も近隣の省からの提供を受けていて、とても上海市だけでは自給できない。東京にしても同じです。

 だからこそ、自分たちの住んでいるところのエネルギーは、極力自分たちのところで解決すべきなのですね。そうすると、資源の少なくなるこれからの未来は、大都会の発展ではなくて、地方にこそその重要性が増してくるのでしょう。

 日本なら過疎化と荒廃、中国なら離農が進む農村に実はこれからの世界の運命がかかっているといっても過言ではないように思いました。

 

岩井温泉のたそがれ時


 20世紀までの今まではエネルギーのバブル時代であるといわれてます。アメリカ型消費経済が旺盛を極め、いまそのピークにあり、これからのエネルギー事情は下降傾向に入るという見方が一般的です。ひょっとしたら、あと数十年もすれば自分の子供に、「お父さんの子供のころは、すごかったんだよ」と栄枯盛衰を実感しているのかもしれません。
 
 さらに、21世紀は水の問題も深刻です。すでに、中国では重慶などを各地で歴史的なかんばつとなり、飲用水ですら不足する事態となっています。黄河や長江の水位も一部では低下が見られています。さらに、汚染により、飲める水も飲めなくなってきました。幸い、日本は水は豊かだけど、これから水が原因で世界的な争奪戦も起こる可能性が十分に考えられます。

 温泉にしてもそうです。日本の温泉も、無尽蔵に出るわけではないのです。だから、今こそ温泉を守り、経済的利潤ばかり追求せずに、人類と温泉が共存できるような仕組みが必要なのです。

 

旧岩井小学校 明治時代の建築物です 保存が待たれます
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類