2006年09月13日

アイデアが浮かぶところ

 最近の上海ですが、なかなか太陽の顔が見えません。雨、雨、雨。例年よりも今年は秋の到来が早いそうで、残暑も比較的マシです。夜になると布団を出してこないと寒いぐらいです。

 上海エクスプローラーでは、いろいろ新しいプロジェクトが目白押しで、今年の後半戦はなかなか楽しみです。今日も午後はミーテイングがあり、いろいろ討論しました。

 こうやっていろいろ考えることが多い最近ですが、中医学のことも含めてもやはりネタやアイデアが命です。特に、月間雑誌に連載をはじめるようになってから、ネタが尽きないように絶えず頭を働かせていることが多いのですが、最近いろいろとパターンがわかってきました。

 アイデアが浮かぶ瞬間というのは、人によっていろいろ違いがあると思いますが、私の場合一番多いのが「お風呂」。湯船に使っているときに「あ!」と思うようなことがひらめくことが多い。そのため、我が家もお風呂の設計にはちょっと力を入れたのですが、一番実現した確立が高いのがお風呂の中です。

 次が、散歩しているとき。とくに、上海にいるときは歩くことが日本にいるときより格段に多いので、この自然に歩いているときにひらめくことが多い。今でも、アイデアにつまってしまったら、とにかく歩きに出ます。移動するときも歩くのが一番。多少時間のロスになることもありますが、思索にふけるのには一番です。
 その中でも世紀公園の中を歩くときが一番頭が冴えている。朝一番に散歩に出ることはいい習慣だと自分で思っています。

 逆にアイデアによくないこと。

 なんといっても、仕事に追い詰められたり、スケジュールがいっぱいになったり、仕事で缶詰になり他人と話をしないとき。こんなときは、いくら仕事をしても進まない。

 インターネット屋は、ともすればパソコンさえあれば仕事はOKと思われがちですが、ものはそう簡単ではないです。インターネット屋ほど、アナログ式で仕事を進めないと、行き詰ってしまうことがよくあります。そのためにも、時には人と人との対話が大事になります。

 

 昨今、日本では幼児虐待など悲惨な事件が毎日のように起きていますが、それぞれのケースで、なにか人間交流の不足があるように思います。だったら、メールや電話があるじゃないかといわれそうですが、これはまた別です。不特定多数の人や、顔が見えない相手と話することは一応コミュニケーションといえますが、生身の人間交流とはいえない。また、メールや電話のやり取りだけというのは、どうも何かを避けているようで私はいまひとつ好きになれない。

 その証拠に、私が日本に戻っている間、上海にいる彼女とは電話やSKYPEや動画つきのMSNでコンタクトをとったけど、やっぱり何か変でした。以心伝心がうまく伝わらない。目の前に生身の人間がいることを、いくら科学が発展しても科学技術では代用できないと思っています。

 最近の日本に、そういった人間交流が不足しているのではないかと思った次第です。

posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類