先週から週1回お願いしているアイさん(家政婦さん)。今日もきてくれました。すごく気持ちよく部屋を掃除してくれ、床もワックスがけをしてピッカピカに。アイさん経験が豊かなのか、私が掃除をするよりも圧倒的にスピードが速く、びっくりしています。今日は埃がかぶったべランダもきれいにしてくれました。
ベランダがきれいになったものだから、いよいよそこに睡蓮を植えてみようと、竜陽路のリニア駅裏にあるいつもの植木市に出かけてみました。
鉢はすでに直径60センチぐらいのものを買ってあるのですが、睡蓮の根はまだ買っていません。植木市場に行くと、簡単に手に入ります。価格にして5元〜15元ほど。季節はずれなのがすこし心配でしたが、とにかく植えてみようと思って、おばちゃんからいろいろ植え方のコツを聞きました。
いろいろな睡蓮の根とともに、花の写真が示されているのですが、本当にこんな色の花がつくのだろうかと半信半疑。大きな植木鉢の中に入れる小さな植木鉢を買いました。睡蓮の根を植えるための土も必要です。
考えてみれば、日本にいるときは土がすぐそばにある生活をしていて、なにかあれば庭の土を掘り返していたけど、今はそうはいかない。
上海の高層マンションで生活していて、私の生活にはここしばらくずっと土がないことに改めて気つきました。そういえば、畑の土を最後に触ったのは、何年ぐらい前の話だろうか?
もちろん、この植木市には、ちゃんと山土が売られています。1袋1元程度。
袋の中を開けると、当たり前ですが、山の香り、土の香りがしてきました。そうなんですよね、人間にとって究極のヒーリングはこれなんでしょうね。
睡蓮を植えるために、ああでもない、こうでもない、と泥遊びをしてしまいました。
意外と根っこにボリュームがあって、相応の位置に固定するのが難しい。
というわけで、私のベランダの庭では、徐々に緑を取り戻しつつあります。
もちろん、先日買ったタニシも睡蓮といっしょにいます。
考えてみたら、地球という狭い環境に生活していながら、土や水に触ることがない生活というのはちょっと異常ですよね。東京にしろ、上海にしろ、都市生活というのはそういうもんだと思うのですが、今の上海人の環境に対する無頓着さというのは、こういったことの積み重ねなのかとも思います。ゴミのポイ捨てにしてもそうです。
でも最近、人々の生活が豊かになって、何でもお金で買えるようになったとき、結局どうしても買えないのが環境や自然である、ということが徐々にわかってきているようです。
マナー向上も叫ばれていますが、みんながみんな「お金で買えないもの」の大切さを分かるまでに、もう少し時間がかかるのでしょう。