2006年12月31日

そして、今年最後のブログを書く

 夕暮れ迫る上海の書斎で2006年最後のブログを書いています。

 1年の初めに立てた目標は達成できたか、そして今年はどんな一年だったか、大晦日は改めてその一年を振り返るいいチャンスだと思っています。今年もいろんな人が、私を支えてくれました。そしていろいろな出会いもありました。改めて、こうやって精神的にも肉体的にも元気にやってこられたことを感謝しなくてはなりません。

 大晦日の今日、改めてうちのライターみんなで書き溜めてきた特集のINDEXを覗くと、その1年、1年が走馬灯のように頭を駆け巡ります。

 この一年、上海はまた大きく変わりました。よいこともわるいこともいっぱいあったけど、今となればドラマの1ページを見ているようで、記憶の底に沈殿していくことでしょう。

 考えてみれば、1996年に上海に来て以来、日本で正月を迎えたことはありません。でも玄関には毎年、お鏡餅を飾っています。毎年、実家にいる母親が送ってくれるのですが、今年もちゃんと鎮座することになっています。(実は、すでに鎮座していて、家にくる中国人の人気物に。。。)
 日本人の心を忘れてはならないという母の配慮には感謝します。

2006年暮れの上海浦東


 年越しソバの準備も整いました。

 久光にいって、日本のお餅も買ったし、雑煮の準備もOKです。

 紅白歌合戦でも見ながら、今日は日本らしくちょっと「厳か」に新年を迎えることにします。2007年を迎えると、いよいよ「華やか」な春節ですからね。

 1年に2回新年を楽しめる、それが中国にいる醍醐味です。

 「我が愛しの上海へ」

 来年は、どんな魅力を私に魅せてくれるのでしょうか?

 


posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

2006年12月30日

上海人の家庭の問題

 私の自宅の上階は韓国人、下階も韓国人と韓国人が多いのですが、隣は上海人。旦那さんには一回もあったことがないのですが、上海人の奥さんにはよく出会います。ただ、困ったことに隣の奥さんは挨拶ができない。

 なぜそれを痛感したか?
 実は私はお隣さんよりも1年以上先に入居しているのに、挨拶ひとつしない。さんざん内装工事で迷惑をかけたくせに。
 私自身もそれが中国なんだろう、とあきらめていたのですが、私の彼女や彼女のお母さんにいろいろ聞いてみると実際はそうではないらしい。上海人のコミュニティーでも引越ししたときに粗品をもって挨拶に行くものだし、近所同士の付き合いというものはあるのが普通と知りました。お互い干渉しないことは気が楽なのでしょうが、マンションという集団生活をしているのだから、交流ぐらいはあったほうがよいに越したことはありません。

 最近、こういった自己中心的な人が増えているのはこのブログにも何回も書きました。その影響か、上海人の家庭も、今まではあまり考えられなかった問題が発生しているみたいです。

 最近、上海の「平安家庭」推進会がまとめた上海の家庭が抱える問題が公表されました。

 まず、麻薬問題が深刻化している点。上海市には分かっているだけで2.6万人の麻薬常用者がいるようですが、経済的にも困窮し、家庭崩壊につながり、大きな社会問題となっています。
 さらに、インターネットに没落する青少年が増え、家族間の伝統的な道徳的価値観が薄れてきているという指摘もあります。社会の発展に、家庭が追いついてきていない現実があるようです。

 外的要素として、自宅に侵入する強盗事件が上海で増えています。とくにこの時期、防犯にはくれぐれも気をつけなければなりません。高層マンションに住んでいても、ベランダやパイプなどから這い上がってきて進入してきます。
 と同時に、25歳以下の若年層の犯罪も増えており、検挙される件数も増加傾向。子供が犯罪を犯して、家族崩壊となるようなケースも見られ、社会的影響が心配されています。

 結婚が多かった2006年ですが、離婚も総数が増えており、財産や子供の養育の問題、住宅をどうするかなどでのトラブルが増え、殺傷事件など刑事事件にも発展しているケースが見られるようです。

 報道では、上海市公安局が市内8箇所に家庭内暴力事件を専門に扱う部門を設立し、さらに市内207箇所に女性に対して法的援助を行う施設も設置したとあります。政府が本腰をいれて対策に乗り出していることが分かります。

 こう見ていると、今年はどこの国でも、家族の絆の大切さが改めてクローズアップされた年でもあるように思います。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

2006年12月29日

年の暮れの心温まるお話

 我が家に来ているアイさん(家政婦さん)は、安徽省出身で、旦那さんが肺がんの末期と分かり、公的医療保険がない中で、手術を決断、最近退院したことはこのブログでも書きました。

 なんとか手術は成功したものの、その後は化学療法が待っています。私は強く反対したのですが、結局本人の意思で決めました。体力が弱っているために、かなり心配です。それに、保険がない医療費の問題も。。。

 うちのアイさんは、私がいつもひいきにしてもらっている新聞屋さんの紹介なのですが、この新聞屋さんの大将も実は身体障害者で、障害者用のバイクに乗りながら仕事をしています。上海人ではないのですが、奥さんが上海人なので、上海人としての待遇を享受しています。新聞屋は夫婦二人で切り盛りしていて、とても仲のよいご夫婦です。

 アイさんは、このご夫婦の借家に住んでいるのですが、もう長く住んでいるらしく、お互いすっかりと親しく交流があり、なにかあったら日ごろから助け合っているようです。手術のときも、私に「アイさんの様子はどう?」と私によく聞いてきました。

 そんな新聞屋さんの上海人の奥さんは、ご主人には内緒で毎月200元、そっとうちのアイさんに渡してあげているそうです。出稼ぎに来ているアイさん夫妻が生活が大変なことも知っていますし、病気になって働き手が働けないことも知ってのことでしょう。
 

 

さよなら、戌年


 新聞屋の大将も、これまた非常に親切で、上海市の関係機関に、なにか助けてあげる手立てはないか、問い合わせに奔走したり、新聞で経済的に大変なので紹介してもらえないか、寄付をお願いできないか、いろいろ投稿を試みるみたいですが、なんせ、アイさん夫婦は上海人ではないので、断られるのが関の山と嘆いていました。

 そこで、自分の新聞屋の前に看板を掲げ、募金を募っていました。少しでも、なにか手助けできたらという思いでいっぱいだといっていました。確かに、40歳前後での突然の肺がん発見は、その家庭に重大な影響をもたらします。地方の農民出身の出稼ぎ労働者ならもっとでしょう。

 私も、うちの掃除にくる回数を増やすなどして、すこしでも協力させてもらっています。
 そして、うちの家でもなにか使えそうなものがあったら、アイさんには持って帰ってもらっています。中国にきて、そういうことが自然にできるようになりました。きっと、あまりにも身近に本当に援助が必要な人たちがたくさんいるからだと思います。

 何より、中国で生活させてもらっている身ですし、中国人の皆さんには私自身本当にお世話になっています。小さなことでもなにか恩返しができたらと思っています。

posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類