さらに、最悪なことに斜め向かいに座っているのが、私の苦手な「おばはん上海人」。いかにも血圧が高そうなぽっちゃりとした体に、色鉛筆でバリバリに書いたような眉毛、にらみを利かせた目つき。
このおばちゃん、せわしなくひまわりの種を食べていたと思ったら、こんどはりんごをかぶり出し、私はすっかりと小さくなって、肩が触れ合う寝台のコンパートメントの中で、2時間我慢しました。
常州駅は、ガスが出てもやっていましたが雨はなく、スーツなどの荷物をゴロゴロ転がしながら、駅前広場をトボトボ歩きました。
駅前では、いきなり「太平洋百貨店」を発見、とか思いきや、よくみると「大洋百貨店」でした。マークも雰囲気もそっくり。ああ、思い出しました。
この大洋百貨店は、実は太平洋百貨店の幹部の一人だった王徳明氏らが意見の対立から独立し、新たに中国一の百貨店チェーンを作ろうとして起こした店。当初は、太平洋百貨店を追い越す百貨店チェーンを作るのが目標だったらしいけど、実際はどうだったのか?今でも南昌など地方の都市に数店舗あるようですが、こういう店をコピーしたような展開方法は、中国らしいですね。
大洋百貨店の中に入ってみると、BGMまでもが太平洋百貨店とそっくり。もし私だったら他人の真似をするよりも、自分でオリジナルのものをやったほうがずっと新鮮味があっていいと思うけど、これが華人ビジネスのやり方なのでしょうね。
常州人のしゃべる言葉は、上海語に非常に近くて、聞き取るのもとくに問題なし。長江を渡るまでは、仮に江蘇省であろうとも、上海語に近い方言が多いのです。ところが、いったん長江を渡ってしまうと、私もさっぱりちんぷんかんぷんになってしまいます。まあ、普通語(北京語)を使えばそれまでなのですが、やはり地元の人のしゃべっている言葉を聞き取れることは、嬉しいにこしたことはない。
取材を済ませたあとは、大学時代の中国人同級生(女性)の家へ宿泊。私の彼女の常州にIn.
実は、私の周りで、未婚の人がだんだんと減ってきて、同級生では本当に私と私の彼女ぐらいだけになってきて、そこで私たちに「伴郎」と「伴娘」を頼まれたのでした。「伴郎」と「伴娘」は中国の結婚式で何をするかは、明日にご紹介しましょう。これらは未婚の人のみができる役柄なのですが。。。。
まあ、中国広しと言えども、日本人に伴郎をしたもらった新郎はそういないでしょうねえ。(笑)
しかし、この新娘の家はでかい。地方の5代続く中医学の名家であると聞いていたのですが、本宅に「離れ」が2軒。彼女も大学で中医学を勉強した医師なので、ちょうど6代目になるわけですが、まだ5代目のお父さんがまだ現役でがんばっています。
地方の一戸建てというのは、広いけど非常に寒い!床は土間だし、窓は閉めないし、もちろん暖房もない。でも、地元の人はこれで慣れているんですよね。長江から南の家々には、もともと暖房をつける習慣がなかったので、しかたがありません。
夜は体を温めるために近くの「公共浴室」に連れてもらったが、さすがにシャワー浴びるだけで遠慮させていただきました。
だって、はいっていきなりおっちゃんが風呂場で小便していました。そんな中でも、浴槽に浸かっている人も結構しました。なれたら平気なんだろなあ、とか思いつつ、タオルも結局自分の持参タオルしか使う勇気がなかったです。
大切な一人娘が嫁ぐ前だから、なにか盛大なしきたりでもあるかと思えば、別になにもなく、時々停電もあったりして、体をブルブル言わせながら布団にもぐりこんだのでした。