2006年12月17日

おいしいものを知るということ

 上海で、魚といえば淡水魚で、我々日本人からすると、フナやナマズ、コイ、ブラックバスなどを日常的に食べることは非常に抵抗があるのは確かです。そういう私も、淡水魚を本格的に食べるようになったのも、上海に来てから。日本では、ダムなどへ釣りによく行きましたが、もっぱら釣るのが目的で、食べるのが目的ではありません。

 魚は大好きだけど、以前の上海では、なかなか海の魚が手に入らず、仕方なく淡水魚を食べていたように思います。今となっては信じられないかもしれませんが、寿司を食べてもなかなか「マグロ」に巡り合わなかったのでした。辛うじてあったのは、サーモン程度でしょうか。2006年の今、これだけ水産物が上海で流通しても、まだ新鮮なイカは見当たらないし、タコとなればまったくない。それだけ、上海ではまだまだ海の幸の流通は遅れていると思われます。

 そもそも、上海人が淡水魚を食べているのは、「おいしいか、まずいか」という問題よりも、それしか市場に存在しなかったから、という要素が大きいように思います。当然、上海料理には海の魚を使う文化があまりないわけですから、一般家庭では海の魚の料理法もいまひとつ分からない。

 しかし、最近、変化が出ているように思います。それは、冷凍技術や流通の発達で、海の魚がスーパーなどでも登場するようになったこと。日本からも、長崎などから新鮮な海の幸が上海で購入できるようになりました。

 実際に、私の周りの上海人にいろいろ聞いてみると、確かに最近海の魚を食べるようになったといいます。料理法はまだよく分からなくても、少なくとも淡水魚のように泥臭くなく、おいしいということが、徐々に知れ渡ってきています。
 これに、さらにおいしい海の魚の料理法を宣伝すれば、上海での海の幸の需要は、計り知れないものになるのは間違いないでしょう。

 これだけの人口をやしなっていかなければならない中国。海の幸に関しても、「マグロ」で象徴されるように、すでに世界規模で争奪合戦が始まっています。中国も、自国民を養っていくために、あらゆる手段を講じることになるでしょう。

  週末に、近所のカルフールを見に行くと、それはそれはすごい人でした。買い物カートには、山のように食料品が積まれています。飽食の時代を象徴するような風景です。その一方で、同じ中国でもその日の食べ物すらありつけない貧しい農民がいるのも事実。非常に複雑な感情を抱かずにはいられません。でも、彼らも都市部の市民と同じように、豊かな生活を享受させなくてはいけません。

 さらに、日本のように資源も国土もない国にとって、これからは本当に正念場のように思いました。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類