2006年12月26日

テーブルに無造作に置かれたゴミ

 上海に十年以上生活すると、大抵のことは気にならないのだけども、今でも許せない行為がたくさんあります。

 それが、食堂で食事をしたとき、無造作にテーブルの上に捨てられるゴミや骨などのカス。衛生的にもよくないし、それを見ただけで、食欲が−100%になってしまう。すこし気をつけて、自分のお皿の端に骨を置いたらいいのに、それができない。だからペペとテーブルの上に吐き出し行くのです。

 実は、中華料理の本当のマナーでは、骨用のお皿を準備するのが普通で、中国人の上流階級(成金さんは除くことにしておきましょう)の人と食べに行くと、テーブルの上に吐き出すような人はまずいません。
 だから、こういった下品なテーブルマナーが中国人すべてだと思えば大間違いで、マネするようなものなら、今度は自分がとんだ恥をかくことになります。
 
 そういった点でよく言われる「郷に入ったら郷に従え」」というやり方は、ことに発展途上国で生活する上では、ぜったいにやってはならないと思っています。それこそ、日本人のデリカシーに欠ける様な行為なのです。私は、中国でも、日本人はあくまでも常識の範囲内で日本人でなければならないと思います。

どうして、ゴミを捨てられないのか?と嘆く前に、こういう場所から脱出


 食べるときにくちゃくちゃ音を立てる人もいますが、これも小さいころのしつけが十分に成されていないケースで多い。実際、上海人の友人たちの間でも、この音に非常に不快感を感じている人がたくさんいます。だけど、まず注意しない。注意しても仕方がないと思っているのです。自分の生活する階層とは違う人種なのだと。

 だから、上海という街は、ある意味では強烈な階級社会だと思います。それぞれの層で、考え方も行動もマナーもまったく違う。そして、これが中国の魅力かもしれないけど、俗に言われる下層の階級でも、十分に満足した生活を送ることができる。
 だけどそういった中で、自分がどの階級に帰属するのか、というのがその人にとって大きな影響力をもたらし、人の思考・行動パターンまでも見事に変えてしまいます。

 だから、「中国人は。。。だ」というグチはまかり間違っても言ってはならず、もしそのような環境に居たくないのならば、自分で自分にふさわしい環境へ変えてしまうしかないのです。

 どこに行っても対して大した変化のない日本とは、大きく違う点だと思います。

 人が多い分だけ、受動的では生きていけないということでしょうか。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類