2006年12月29日

年の暮れの心温まるお話

 我が家に来ているアイさん(家政婦さん)は、安徽省出身で、旦那さんが肺がんの末期と分かり、公的医療保険がない中で、手術を決断、最近退院したことはこのブログでも書きました。

 なんとか手術は成功したものの、その後は化学療法が待っています。私は強く反対したのですが、結局本人の意思で決めました。体力が弱っているために、かなり心配です。それに、保険がない医療費の問題も。。。

 うちのアイさんは、私がいつもひいきにしてもらっている新聞屋さんの紹介なのですが、この新聞屋さんの大将も実は身体障害者で、障害者用のバイクに乗りながら仕事をしています。上海人ではないのですが、奥さんが上海人なので、上海人としての待遇を享受しています。新聞屋は夫婦二人で切り盛りしていて、とても仲のよいご夫婦です。

 アイさんは、このご夫婦の借家に住んでいるのですが、もう長く住んでいるらしく、お互いすっかりと親しく交流があり、なにかあったら日ごろから助け合っているようです。手術のときも、私に「アイさんの様子はどう?」と私によく聞いてきました。

 そんな新聞屋さんの上海人の奥さんは、ご主人には内緒で毎月200元、そっとうちのアイさんに渡してあげているそうです。出稼ぎに来ているアイさん夫妻が生活が大変なことも知っていますし、病気になって働き手が働けないことも知ってのことでしょう。
 

 

さよなら、戌年


 新聞屋の大将も、これまた非常に親切で、上海市の関係機関に、なにか助けてあげる手立てはないか、問い合わせに奔走したり、新聞で経済的に大変なので紹介してもらえないか、寄付をお願いできないか、いろいろ投稿を試みるみたいですが、なんせ、アイさん夫婦は上海人ではないので、断られるのが関の山と嘆いていました。

 そこで、自分の新聞屋の前に看板を掲げ、募金を募っていました。少しでも、なにか手助けできたらという思いでいっぱいだといっていました。確かに、40歳前後での突然の肺がん発見は、その家庭に重大な影響をもたらします。地方の農民出身の出稼ぎ労働者ならもっとでしょう。

 私も、うちの掃除にくる回数を増やすなどして、すこしでも協力させてもらっています。
 そして、うちの家でもなにか使えそうなものがあったら、アイさんには持って帰ってもらっています。中国にきて、そういうことが自然にできるようになりました。きっと、あまりにも身近に本当に援助が必要な人たちがたくさんいるからだと思います。

 何より、中国で生活させてもらっている身ですし、中国人の皆さんには私自身本当にお世話になっています。小さなことでもなにか恩返しができたらと思っています。

posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類