そんななか、蓬莱路にまだ100年あまりの歴史をもつ茶館が残っているという話を聞き、取り壊される前にさっそく見に行ってきました。
場所は、もう庶民のニオイがプンプンする董家渡あたり。路地にはたくさんの行商人がウロウロしていて、どこが市場でどこが道路かもわからない。さらに言えば、どこがゴミ箱でどこが通りなのかもわからない。
高層ビルが乱立する上海とはもう対照的。でも、そんな場所はまだ上海に残っています。
おそらく将来保存されるのではないかと思われる重要な遺品が、この写真の「老虎灶」です。その昔、上海にはどこにでもあったお湯を沸かす釜なのですが、今はもうここにしか残っていないそうです。
朝になると、近所の人たちがお湯を汲みにやってきて、テーブルでお茶を飲みながら談笑する、まさに「中国」を象徴するような風景が、上海では消えつつあります。
その当時、貧しかった上海では、各家庭でお湯を沸かすことが困難で、仕方がなく集団でこの釜を使っていたのでした。その後は、お茶を飲む場所としてこれまで100年近く存続されてきたことは、貴重でしょう。ただ、先代の上海人の「老板(ラオバン)」は退職し、今は安徽省の女性が切り盛りしています。
このエリアも、再開発によって取り壊されようとしています。古いものは残さない、いやよっぽど努力をしないと残せないのが中国なのです。
最近、安徽省にいったときに、三輪車を運転している車夫に
「古い民家を探しているのだけど、知らない」
と聞いたら、
「古い民家なんてみてどうするの」
とあしらわれてしまいました。
彼の考え方では、古い民家があるということは、その街が時代遅れで貧しい象徴であり、壊す「べき」ものであるというのです。こういう考え方を持っている中国人は、意外と多い。すなわち、西洋のビルディングやコンクリートの建物こそが、彼らの目指す建築物であり、先祖の遺産に対しては振り向きもしない。
ただ、一言、
「很落后」
と言った言葉の響きが、いつまでも私の耳のなかに残りました。
私のように、新しい建物に見向きもせず、ぼろぼろの民家をみて興奮している人は、中国人からすればかなり特異なのかもしれません。
車夫に地元の自慢をさせたら、おそらく「・・・建てのビルがたった、・・・・の店ができた」というような答えが返ってくることでしょう。
歴史ある街こそが、最高の宝である。
そういった考え方を一般庶民に根付けるには、まだまだ時間がかかることでしょう。