2007年03月07日

日本の湯治文化はこのまま寂れてしまうのか?肘折温泉を見学して

山形県肘折温泉2日目。温泉学会の第1回東日本支部大会も開かれ、今回の温泉めぐりのクライマックスでもあります。
 今から1200年前、ある僧が骨折した肘を温泉で治したところから、肘折温泉といわれるようになったといわれています。まさに、日本の古きよき時代を色濃く残す「湯治」のための小さな温泉街です。湯治といえば、まさに日本人の温泉文化の原点ともいえるものです。以前は日本の旧帝大クラスの医学部にはそれぞれ管轄の温泉地区があって、湯治文化を守ってきていましたが、いまでは減り続け、まさに空前のともし火となっているようです。


共同浴場、「上の湯」


 湯治の宿というのは、一般の温泉宿とその性質が根本的に異なります。まず、源泉に治療効果がなければいけませんし、温泉宿も長期で滞在できるような設備を備えている必要があります。たとえば、自炊できる設備や、低料金の宿泊料金、さらに露天風呂なし、食材を購入できる朝市などが充実しているなどです。この肘折温泉ではこれら設備がすべて整っています。もし、現代風に湯治を行うのなら、ここにブロードバンド回線があれば、完璧なのですが。。。インターネットが使えない環境での湯治は本当につらいものがあります。私のブログがここ数日間更新できなかったのも、温泉地が携帯電話の電波すら届きにくい場所だったからです。

 さらに、肘折温泉の旅館の多くの食事は、女将(おかみ)が自身で考えているといいます。昨今、板前さんが作ることが多い宿料理ですが、肘折温泉全体で板前さんが常駐している宿は2〜3軒ほどしかないというのも、この秘境の温泉地の素朴さを醸しだしているのだと思います。

高台から肘折温泉を眺める


  しかし、もともと湯治として栄えたこの肘折温泉が、いま大きな転換期を迎えているようです。学会で発表した肘折温泉の柿崎泉旅館会組長の話によれば、温泉を訪れる客層が近年大きく変化しているといいます。昭和50年代には、肘折温泉全体での利用は、20万泊あったのが、最近では半分ほどの10万泊に減少、湯治客も以前は1週間前後の滞在が中心だったのが、いまでは平均3.3泊にまで減っているようです。

 背景には温泉ブームで各地に新しい温泉が作られたのと、日本人の温泉に対するスタンスの変化、すなわち湯治からレジャーへの変化といえるでしょう。


雪深い山奥だからこそ、人を寄せ付けない冬の魅力がある


 伝統医学をやっている私から、さらに付け加えさせてもらうと、日本人の伝統医学(漢方)への認識の浅さが、湯治文化との衰退とも関係あると思います。中医学でも湯治があるように、日本にも漢方医学の中で、立派な湯治の医療体系があったと思います。ただ、現代の西洋化の波で、その姿がほぼ日常生活から消えてしまったことは、非常に惜しい限りです。このあたり、温泉好きの私の研究テーマの一つでもあります。

 環境といい、設備といい、この肘折温泉は日本でも有数の湯治温泉地といえることができると思います。

posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類