うちの編酋長もブログで触れてられましたが、じつは今日の夜は編酋長と朝鮮料理のレストランへ食事にいきました。正直言って、不思議な感じでした。
中国に住んでいれば、どこかで北朝鮮の人たちと接することがあるはずです。私も、中医学大学の研究所で、国費留学で来ている北朝鮮の人たちと接する機会はこれまでにもありました。みんな「将軍様」のバッチをつけているので、すぐにそれと分かります。
今日、編酋長といった朝鮮料理のレストランでも、従業員の小姐はほぼ全員が北朝鮮の人たちでした。
日本のテレビを見ている限り、私たち日本人にとっての北朝鮮の国のイメージは、さっぱりわけがからないだけでなく、なにかすごくナゾ多きおどおどしい国のように思いますが、でも私の同級生といい、今日の小姐といい、本当はごく普通のどこにでもいるような人々ばかりなのです。しかも、中国で生活していると、新聞などでカラーで北朝鮮の様子などが報道されていることがよくあります。
笑顔で私たちに接客してくれる彼女たちの姿は、普通の東アジアの女性となんらかわりはありません。我々と中国語で交流もできます。
思うに、中国という他民族国家に、十何年も生活していると、民族に対する考え方が、大きく変わってきました。
とくに、中国語を使うことに緊張がなくなったころから、実は人の交流とは、直感とハートによるものなのだということが分かってきたのです。言葉の壁なんかどうでもいいように思うようになったのです。
所詮、言葉などは交流するためのほんの一つの道具に過ぎないのですから、上手くなる必要性はあまりないのです。(もちろん、言葉が上手ければ、それにこしたことはありませんが)そういった背景が、私が今の上海人の妻と一緒になれた一つの原動力なんだな、と最近思うようになりました。
患者との意思疎通もそうです。言葉による双方の表現以上に、やはりハートをつかめないと、治療のする側も方法がありません。
「北朝鮮」と聞くだけで、なにか「ぞくっ」とするような感覚があるのですが、それはあくまでも国家に対しててであって、そこに住む人々は我々と同じ一市民であることには変わりありません。頭で分かっていても、文章で理解しても、実際に接してみるのとではやはりワケが違います。
彼女たちの歌声を聞きながら、今日はちょっと変な気持ちで帰宅しました。
今日、中医師である妻は病院の宿直。明日は宿直明けで休みなので、ちょっとびっくりするプレゼントをしようと、上海駅に行ってきました。
2007年03月21日
北朝鮮の人々と接するということ
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類