2007年05月06日

日本留学組にとっては苦痛な上海生活

 今回の南京表敬訪問で、日本留学経験のある中国人医師たちにたくさん会いました。日本で研究生活を送り、そこその成果をあげ、故郷に錦をあげるべく中国に戻ってきても、日本の生活にすっかりとなじんでしまい、中国での生活が苦痛でたまらないという話を本人から聞きました。確かに本音でしょう。

 日本からビジネスチャンスを求めて中国に、上海にやってくる日本人が昨今特に多いですが、そういう現象は、たとえば日本留学など海外生活の経験がある中国人にとって、これはまた不思議な現象に見えるようです。

 確かに、上海でも表向きは経済は繁栄しているようだし、人々の生活も豊かになってきている。物も豊富になってきました。上海で生活する外国人にとってはその程度の変化しか見えないものですが、もともと中国で生まれて、中国で育って、中国で仕事をしていた中国の人々にとっては、今の繁栄は表面上の現象で、逆に深層が分かっているだけに、苦痛が増すのでしょう。

 今日、話しをした先生の場合、上海の大学では研究室も与えられ、それ相応のポストについておられます。しかし、たとえば実験をスタッフを一緒にしても、口ばっかりで一向に作業が進まず、失敗しても決して認めようとせず、ほら吹きばかりだと嘆いておられました。人間としての謙虚さが微塵も感じられんないと。
 

南京の玄武湖(南京駅のすぐ前にあります)


 さらに、地下鉄や電車に乗っても騒ぐし、周りの迷惑を一向に顧みようとしない。上海の街はゴミだらけで、まるでマナーがない。。。こういった生活が、彼にとっては非常にストレスとなっていると言っていました。

 まあ、確かに日本人としての「山之内 淳」が上海の街を観察すれば、絶対そう思うでしょうね。日本のような静かで美しい自然、空気、整然とした街、マナーに憧れてしまうのは十分にわかります。

 かたや中国はというと、欲望という名のもとに、人々は消費を謳歌し、自然は破壊され、「我慢や節制、道徳」が美徳とされない社会になりつつあります。これが中国なんだ、と思えばそれまでですが、広い世界の外側から中国を見ると、確かに異常でしょう。

 私もいろいろ海外で生活をしてきましたが、ここ上海のように人ごみの中でも、人を押しのけるように突っ込む様子は確かにマナー違反を超えて変です。そんなことが日常茶飯事です。

 私がこうやって上海で生活できるのも、そもそもは祖国日本があるから。日本人であるが故に、こういった中国の現実を見ても、留学帰りの中国人のように嫌悪感を持つことは少ない。だからこそ、「わが愛しの上海へ」なんてブログが書けてしまうのです。

 中国がこれからどうなるか?なんて私のような青二才にはとってもわかりません。でも一つ言えることは、世の中に流されずに、自分の思うところを進んでいきたいと思っています。中国にいることは、私にとってはその通過点に過ぎないのです。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類