2007年06月30日

ユダヤ人と上海

 虹口区といえば、その昔日本人が多く住んでいたエリアとして有名ですが、ユダヤ人も多く住んでいました。

 そんなことをふと思い出し、早朝の虹口区堤籃橋エリアを歩いてきました。

 浦東からは、地下鉄4号線の大連路下車が便利です。

 上海は、1920年から1930年にかけて、ナチスなどの迫害を逃れてロシアやヨーロッパから逃れてきたユダヤ人が3万人ほどいたといいます。この当時、世界各国でユダヤ人の入国を制限していたなかで、上海はその門戸を開けていました。

 当時、世界で唯一とも言われているビザなしでユダヤ人が渡航できる街がこの上海だったのです。

 1927年、虹口区南部の堤籃橋近くの長陽路にそういった迫害から逃れてきたユダヤ人の集会所、摩西会堂がありました。今は上海のユダヤ人記念館を作るために改装工事中ですが、その当時の姿を復元すると聞いています。

 長陽路を一つ南東にいったところに、霍山路がありますが、ここにいまでも残る霍山路小学校には、難民として逃れてきた多くのユダヤ人の子供たちが数多く通っていたそうです。

 上海のユダヤ人と聞いて、私が真っ先に思い出すのが和平飯店です。そうです。このホテルの建物の原型を作ったのが、シャッソンさん。イギリス系のユダヤ人ですが、上海の不動産などのビジネスで成功して、巨額の富を築き上げました。

 上海市の都市計画では、2010年の万博までに、このエリアをユダヤ人が住んでいたエリアとして再開発するようです。そのシンボル的建物である摩西会堂は、往年の輝きを取り戻すことでしょう。

 生死をさまよって世界を渡り歩いたユダヤ人にとって、上海という都市が果たした役割は非常に大きかったのでした。

 そんなことを感じなら、オールド上海を歩いていくと、道ばたで談笑しているお年寄りを見ても、なにか輝いて見えるのでした。

改築中の摩西会堂 今年秋頃には完成か




舟山路
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

2007年06月29日

海のものはやはりおいしい

 上海の淡水の魚はおいしくない。

 なんとか私でも食することができる魚として、上海ではブラックバスが売られているけど、それもとても日本の海の魚には到底かなわない。

 泥臭さがあるし、なによりもどんな場所で養殖されているのか、検討もつかないので、正直ちょっと恐ろしく思っています。

 最近、貝類を食べないという中国人にも時々出会います。そういえば、私も上海では貝類を食べていないし、食べようという気も起りません。それらが今どういう現状であるかというのも、いろいろなところから情報を耳に挟みます。

 でも、日本人にとって魚を食べられないことはかなり苦痛だし、豚肉や鶏肉ばかり食べていると、栄養のバランス面でも心配です。

 となると、私にとっては地下鉄2号線に乗って久光百貨店にいって魚を買うという選択肢しか残りません。

 今日は、真鯛が1匹40元(600円)ほどで売られていたので、物は試しと買って帰りました。

 上海市内のスーパーで売られている海鮮類と比べると、久光で売られている海鮮類はまだましで、私も非常に重宝しています。

 ここができる前は、海鮮類を食べるのには非常に苦労していました。数年前まで、極端な話、日本に帰るまで海鮮類はお預けという時期もありました。

 さっそく、持ち帰った鯛を煮付けて食べました。

 うまい!

 煮付けることができるのは、やはり海の魚だからです。上海の淡水魚では、臭すぎてとても煮付けて食べることができません。

 上海人の妻も、焼き魚と刺身ぐらいしか知らなかった日本人の魚の調理方法に、またあたらしいレパートリーができたと喜んでいました。

 中華料理では、醤油ベースにした紅焼という調理方法もありますが、やはり魚の臭みをとるためにしっかりと味付けするので、煮付けとはまったく違います。

 海の魚は、一度食べる習慣が定着すると、もう淡水の魚には戻られません。

 上海でもいろいろな海の魚が増えてきていますから、間違いなくあとしばらくすれば人気が出てくることでしょう。

 上海での自宅で気楽に海の物が楽しめることも、夢では無くなりました。

 この10年の進歩は本当にすごいことですが、魚介の国日本にとっては手強いライバルの登場ですよね。魚資源の獲得競争が本格化するのは間違いないです。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

2007年06月28日

寝言

 私ごとですみません。

 最近、仕事が忙しいのか、考えごとが多いのか、やたら夢を見るのですが、そんな関係か、妻にも寝言が多い、とよく言われます。

 日本の実家に居るときも、寝言が多かったそうですが、ほとんど改善されていないらしい。

 で、興味があるのが、いったい何語の寝言を喋っているか?という点です。

 昨晩は、中国語の寝言だった、と妻は言います。でも、時には、日本語の寝言にもなることもあるとか。。

 で、上海にいるとき、中国語と日本語とどちらの寝言が多いか?と聞くと、圧倒的に中国語のようです。上海では、私の頭脳も中国化していますからね。
 
 現実の日常生活において、上海にいるときは80%以上が中国語に埋もれて生活しています。仕事から帰ってきても、衛生テレビから入ってくる日本語以外、妻との会話は中国語か上海語。でも、日本に帰ると、毎日が日本語になりますから、日本語の頭脳が働くことになります。

  幸い、鼾は無いようですが、寝言で妻を起こしてしまっているとは、これは芳しくない。ちょっと反省。

 では、夢の中で中国語を喋っていたら、寝言も中国語になるのだろうか?これについては、私は関係があるのか分かりません。

 1日のうちで、最も会話することの多い、妻の日本語が上手になってきたら、私の寝言も日本語になるのか?これについても興味がありますね。

 

 
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類