そんなことをふと思い出し、早朝の虹口区堤籃橋エリアを歩いてきました。
浦東からは、地下鉄4号線の大連路下車が便利です。
上海は、1920年から1930年にかけて、ナチスなどの迫害を逃れてロシアやヨーロッパから逃れてきたユダヤ人が3万人ほどいたといいます。この当時、世界各国でユダヤ人の入国を制限していたなかで、上海はその門戸を開けていました。
当時、世界で唯一とも言われているビザなしでユダヤ人が渡航できる街がこの上海だったのです。
1927年、虹口区南部の堤籃橋近くの長陽路にそういった迫害から逃れてきたユダヤ人の集会所、摩西会堂がありました。今は上海のユダヤ人記念館を作るために改装工事中ですが、その当時の姿を復元すると聞いています。
長陽路を一つ南東にいったところに、霍山路がありますが、ここにいまでも残る霍山路小学校には、難民として逃れてきた多くのユダヤ人の子供たちが数多く通っていたそうです。
上海のユダヤ人と聞いて、私が真っ先に思い出すのが和平飯店です。そうです。このホテルの建物の原型を作ったのが、シャッソンさん。イギリス系のユダヤ人ですが、上海の不動産などのビジネスで成功して、巨額の富を築き上げました。
上海市の都市計画では、2010年の万博までに、このエリアをユダヤ人が住んでいたエリアとして再開発するようです。そのシンボル的建物である摩西会堂は、往年の輝きを取り戻すことでしょう。
生死をさまよって世界を渡り歩いたユダヤ人にとって、上海という都市が果たした役割は非常に大きかったのでした。
そんなことを感じなら、オールド上海を歩いていくと、道ばたで談笑しているお年寄りを見ても、なにか輝いて見えるのでした。