最近、私の周りで初めて日本に行くという上海人が続々と出始めています。日本への旅行キャンペーンなども手伝って、一頃と比べると、日本に行きやすくなったのが理由だと思いますが、日本の企業も上海など都市部から優秀な大学院生などを発掘して、人材育成として日本に送り込んでいるようです。
ある私の友人は、上海の有名大学の大学院生ですが、いま研修で東京にいます。結構な待遇で、20代後半の女性で月収80万円ほど。企業からは南麻布のマンションが居住用として与えられていました。
なんせ、これまで日本とは全く縁が無かった彼女ですが、日本に行って「自宅の便器も自動でふたが開く」と感動していました。職場環境も上海と比べると格段によく、非常に気持ちよく仕事ができると言っていました。ただ、生活費と税金が高いことがちょっとネックかな?とも。さらに、日本語はできなくても東京なら英語で仕事ができるし、特に生活も困っていないようです。
上海の公安に勤める私の親友Aさんも、最近日本に行っています。昨日日本から戻ってきて、興奮気味に私に土産話をしてくれました。
清潔な街、秩序ある人々の行動、そして「上海と比べると格段に涼しい」ことに感動していました。彼のツアーには、大阪・奈良など私の故郷も含まれていて、東大寺の大仏をみて、たまげたと言っていました。そして、大都市であるのに、空気も澄んでいて、環境が抜群。一度行くだけで日本に住みたくなったと言っていました。
彼ももともと日本とは縁もゆかりもなかったのですが、こうしてちょっと行くだけで、彼の同僚から「日本に魂を吸い取られた」と言われるぐらい、日本ひいきに変身してしまいました。
中国人にとって、日本は近くて非常に遠い国です。文化などでも共通点が多いのに、実際に見に行くには関門が非常に多い。
だけど、一度行った人からは、「日本はパラダイス」と感じ、様々な夢を見ることはごく自然でしょう。私も中国に長くいればいるほど、日本に永住を希望する中国人の気持ちが分かるようになってきました。
逆に、彼らからすれば、上海に大挙してやってくる日本人が不思議でならないようです。正直、日本と比較してしまうと、上海もかすんでしまうと私に言いました。
さらに、田舎に行っても、都会とほぼ同じレベルで生活できる生活水準の高さも魅力的だと言っていました。中国ではまずあり得ないことです。
私も中国の田舎をよく旅行しますが、中国の田舎旅行はまさに、「がまん大会」の連続になってしまい、旅行が「苦行」になることもしばしば。
中国人の日本行きが増えるに従って、日本を再認識している今日この頃です。
2007年07月26日
日本はアジアの楽園か
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
2007年07月25日
広州番禺区、貝殻でできた家
広州市の南側に位置する番禺区。広州市を都心と考えれば、まさに副都心的な役割を果たすエリアで、上海でいえば、浦東新区的な感覚だと思います。
地下鉄3号線、4号線が開通したおかげで、広州市中心部から番禺区に出るのが非常に便利になりました。広州中医薬大学や中山大学がある広州大学城も建設されました。新広州駅も建設されます。なにより、2010年に行われるアジア大会では、番禺区がメイン会場となり、非常に大きな変化を遂げることになるでしょう。
今回は広州在住の方には混雑で嫌われている地下鉄3号線を使って、番禺区へ南下しました。終点の番禺広場には、近代的なビルが建ち並んでおり、非常に整然とした印象をうけました。
番禺広場
今回、番禺区を訪れた理由は2つ。1つは「留耕堂」と呼ばれる、番禺区沙湾の祠堂を見たかったのと、貝殻で作られた家があるという大嶺という村を見に行くためです。
祠堂については、江西省を旅したときも、度々目にしました。先祖代々をお祀りするお堂のことで、中国の多くの村落には今でも残っています。ただ、長江デルタエリアの祠堂は、文革時代にその多くが破壊され、今まで残っていませんが、広東省エリアでは大規模な祠堂がまだあちこちに残っています。
たとえば、広州市内で代表的な祠堂といえば、陳氏一族をお祀りした陳氏祠がありますが、こちらは今では広州観光では必ず訪れる観光地になっています。
時代の変遷とともに、祠堂の意味合いは先祖を祭る以外に、公民館や集会所てきな場所として利用されるようになります。この日も、「留耕堂」にいくと老人たちが会話を楽しんでいました。
線香が天井からぶら下がっています
祠堂の保存状況からも分かるように、広東省では非常に先祖を大切にしていることが分かります。「留耕堂」は、名字が「何」一族が祭られていて、立派な家系図もありました。
こうやって、広東省の郊外の農村を歩いてみると、またいつもいる上海エリアの農村との違いがくっきりと分かります。
まず、外壁をタイルなどをつかって装飾している農家が多い点からも、比較的経済的に豊かであり、ゴミが比較的少ない点は特筆できます。中国の農村と言えば、ゴミの山的なイメージがあったのですが、少なくとも広東省では、そうではありません。
もちろん、麻薬など犯罪組織が影響力を持っている村落もあるようですが、全体的にはいいイメージを持ちました。ただ、前回にも書きましたが、野良犬の多さには閉口です。
吠えない犬はとくに怖くはないのですが、遠くから吠えられた場合は、無理せずに離れましょう。
留耕堂
大嶺でみた、貝殻の家はこれも非常に興味深い。
今ではなかなかお目にかかることのない、立派な大きさの蠣の貝殻で壁が組まれていて、それで比較的強固な作りになっています。もちろん、地震などがくればもろいでしょうが、昔の人が考えた発想にちょっと驚きました。
海に近い広東省だけに、海とともに育まれてきた農民たちの生活を垣間見ることができました。
壁にびっしりと埋め込まれた蠣の貝殻
地下鉄3号線、4号線が開通したおかげで、広州市中心部から番禺区に出るのが非常に便利になりました。広州中医薬大学や中山大学がある広州大学城も建設されました。新広州駅も建設されます。なにより、2010年に行われるアジア大会では、番禺区がメイン会場となり、非常に大きな変化を遂げることになるでしょう。
今回は広州在住の方には混雑で嫌われている地下鉄3号線を使って、番禺区へ南下しました。終点の番禺広場には、近代的なビルが建ち並んでおり、非常に整然とした印象をうけました。
今回、番禺区を訪れた理由は2つ。1つは「留耕堂」と呼ばれる、番禺区沙湾の祠堂を見たかったのと、貝殻で作られた家があるという大嶺という村を見に行くためです。
祠堂については、江西省を旅したときも、度々目にしました。先祖代々をお祀りするお堂のことで、中国の多くの村落には今でも残っています。ただ、長江デルタエリアの祠堂は、文革時代にその多くが破壊され、今まで残っていませんが、広東省エリアでは大規模な祠堂がまだあちこちに残っています。
たとえば、広州市内で代表的な祠堂といえば、陳氏一族をお祀りした陳氏祠がありますが、こちらは今では広州観光では必ず訪れる観光地になっています。
時代の変遷とともに、祠堂の意味合いは先祖を祭る以外に、公民館や集会所てきな場所として利用されるようになります。この日も、「留耕堂」にいくと老人たちが会話を楽しんでいました。
祠堂の保存状況からも分かるように、広東省では非常に先祖を大切にしていることが分かります。「留耕堂」は、名字が「何」一族が祭られていて、立派な家系図もありました。
こうやって、広東省の郊外の農村を歩いてみると、またいつもいる上海エリアの農村との違いがくっきりと分かります。
まず、外壁をタイルなどをつかって装飾している農家が多い点からも、比較的経済的に豊かであり、ゴミが比較的少ない点は特筆できます。中国の農村と言えば、ゴミの山的なイメージがあったのですが、少なくとも広東省では、そうではありません。
もちろん、麻薬など犯罪組織が影響力を持っている村落もあるようですが、全体的にはいいイメージを持ちました。ただ、前回にも書きましたが、野良犬の多さには閉口です。
吠えない犬はとくに怖くはないのですが、遠くから吠えられた場合は、無理せずに離れましょう。
大嶺でみた、貝殻の家はこれも非常に興味深い。
今ではなかなかお目にかかることのない、立派な大きさの蠣の貝殻で壁が組まれていて、それで比較的強固な作りになっています。もちろん、地震などがくればもろいでしょうが、昔の人が考えた発想にちょっと驚きました。
海に近い広東省だけに、海とともに育まれてきた農民たちの生活を垣間見ることができました。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
2007年07月24日
雑誌投稿貧乏
中国の学術雑誌に投稿すると、我々のような無名の研究者だったら、お金を積まなければならないということは、このブログでも以前にご紹介したと思います。
私など、日頃から原稿を書いて、原稿料をもらっている仕事をしている者からすると、リサーチして、原稿を書いて、さらに投稿してと一定の時間を割いて作業をしているのに、いざ雑誌社に投稿するとなると、原稿料に相当するお金を雑誌社に出さなければ掲載してもらえないというのは、かなりしゃくに障る。
まあ、日本でもそういうことはあるそうですが、この投稿費というのが中国では結構高い。論文1本で日本円に換算すると5000円から1万円以上ほど。中国の医師の収入から計算すると、収入の4分の1ぐらいが投稿費で飛んでしまいます。
といっても、そうした投稿費の支出を影で支えている研究機関の「補助」制度もあったりして、これだけで出版会社と投稿者との間に「経済システム」が成り立っているのだと妙に納得しました。
もちろん、周りには研究成果をPRするためにせっせと中国の学術誌に論文を出している中国人の若い研究者もいますが、これだけで数千元も使っているのだ、とちょっと関心してしまいました。
中国では一般的に「ライター」という生業は、生存するのが非常に難しいとされています。
私の師匠も1冊本を出しましたが、専門書ということで報酬はゼロ。印税すら入ってこないといっていました。
著作権など権利に対してまだまだ曖昧なのが中国の出版業界なのかもしれません。
個人的には、学術研究と投稿には極端なお金の関係はあるべきではないと思うのですが、特に中国では、研究した成果に対しては「合法的」な報酬を与えるべきだと私は思います。
私など、日頃から原稿を書いて、原稿料をもらっている仕事をしている者からすると、リサーチして、原稿を書いて、さらに投稿してと一定の時間を割いて作業をしているのに、いざ雑誌社に投稿するとなると、原稿料に相当するお金を雑誌社に出さなければ掲載してもらえないというのは、かなりしゃくに障る。
まあ、日本でもそういうことはあるそうですが、この投稿費というのが中国では結構高い。論文1本で日本円に換算すると5000円から1万円以上ほど。中国の医師の収入から計算すると、収入の4分の1ぐらいが投稿費で飛んでしまいます。
といっても、そうした投稿費の支出を影で支えている研究機関の「補助」制度もあったりして、これだけで出版会社と投稿者との間に「経済システム」が成り立っているのだと妙に納得しました。
もちろん、周りには研究成果をPRするためにせっせと中国の学術誌に論文を出している中国人の若い研究者もいますが、これだけで数千元も使っているのだ、とちょっと関心してしまいました。
中国では一般的に「ライター」という生業は、生存するのが非常に難しいとされています。
私の師匠も1冊本を出しましたが、専門書ということで報酬はゼロ。印税すら入ってこないといっていました。
著作権など権利に対してまだまだ曖昧なのが中国の出版業界なのかもしれません。
個人的には、学術研究と投稿には極端なお金の関係はあるべきではないと思うのですが、特に中国では、研究した成果に対しては「合法的」な報酬を与えるべきだと私は思います。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類