すみません、今日はちょっと汚い話です。でも、小学校の時からずっとあこがれていた昆虫の一つを、ついに中国で見つけることができました。
付け加えて起きますが、私は今でも昆虫が大好きで、世紀公園に行けば昆虫の観察や同定をして楽しんでおります。あくまでも趣味の範囲で。。。
写真を見てください。実はフンコロガシ。皆さんも小中学校でファーブル昆虫記で読んだ方も多いかもしれません。
あれ以来、私は本物のフンコロガシを見たくて、いろいろな糞をみて観察していたのですが、フンコロガシが実際に糞を転がしている姿をここ20数年間見たことがありませんでした。
それもそうですね。日本の近畿圏の田畑で水牛を使って田んぼを耕しているところはまずありませんから。
日本の犬の糞にはまず立派なフンコロガシは飛んできません。
でも、中国ではまだまだ水牛が現役です。しかも、あぜ道を歩いていたら、山のように牛糞が積まれています。あぜの植物にとっては最高の栄養ですね。
温州にいったとき、やっぱり水牛の糞を見ながら歩いていると、いました、いました。
正真正銘のフンコロガシです。残念ながら私のボキャブラリーでは、中国の昆虫の学名は詳しくないですが、まさに私が見たかったフンコロガシの「その瞬間です」。
非常に器用に後ろ足をつかって糞をまとめていて、ミートボール大小の糞ボールを転がしていました。これが神業とも言える器用さで、転がす速度といい、本当に見とれてしまいました。
幸い、水牛の糞は、人糞のように臭くないので、観察にはもってこいです。
彼らフンコロガシの活躍があってこそ、あぜ道の糞の山も解体されていくのであります。
自然の処理能力はすごいものです。
余談ですが、うちの編酋長は、牛肉の焼き肉は残酷だとおっしゃいます。このように牛のうつろな眼を見ていたら、とても牛肉を食べられないと。
確かに、鶏やダックと比べると牛の眼は表情を持っています。
今回、田舎で見かけたブタもそうでした。牛以上にブタも愛嬌たっぷりです。
ああ、そう思えば豚肉を食べるのも残酷だなあ。。。
でも、やっぱり食べてしまう。
2007年07月14日
フフフ、ついに発見しました
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
2007年07月13日
ネズミ料理が復活??
全く広東人の胃袋がすごいというか、性懲りもなくというか。。。
洞庭湖でネズミ(田鼠)が大発生して、とんでもない事態になり、農民や政府が駆除に大忙ししている最中、広東省などでネズミ料理が復活しているようです。上海のメディアが伝えています。
SARSのハクビシンで懲りたはずなのに、洞庭湖で大量発生したネズミをとらえて、広州で売買するというのだからすごいものです。
もちろん、広州市では法律で野生動物の食用を禁じているはずなのですが、食欲の衝動には勝てないということでしょう。広東人に言わせれば、生きている新鮮なものが一番だそうです。市場では、どこからとなく朝暗いうちから仕入れられていますが、朝6時頃には売り切れているとのこと。
それでも、ネズミ料理は値段が結構高い。レストランでは1匹40〜50元が相場で、さまざまな料理方法があるようです。中でも紅焼がおいしいそうですが、私はごめんです。
以前、ウサギを使って実験したとき、その死体の処理をしようとしたら、ウサギの肉を引き取るという研究員がいました。死体処理をしてしまうなんて、もったいないと。翌日彼に聞いたら、本当に胃袋の中に入ってしまったそうです。確かにちゃんとした実験用ですから、検疫なども問題ないはずです。実は、中国でも、実験用のウサギは高価な動物なのです。。。
洞庭湖でネズミ(田鼠)が大発生して、とんでもない事態になり、農民や政府が駆除に大忙ししている最中、広東省などでネズミ料理が復活しているようです。上海のメディアが伝えています。
SARSのハクビシンで懲りたはずなのに、洞庭湖で大量発生したネズミをとらえて、広州で売買するというのだからすごいものです。
もちろん、広州市では法律で野生動物の食用を禁じているはずなのですが、食欲の衝動には勝てないということでしょう。広東人に言わせれば、生きている新鮮なものが一番だそうです。市場では、どこからとなく朝暗いうちから仕入れられていますが、朝6時頃には売り切れているとのこと。
それでも、ネズミ料理は値段が結構高い。レストランでは1匹40〜50元が相場で、さまざまな料理方法があるようです。中でも紅焼がおいしいそうですが、私はごめんです。
以前、ウサギを使って実験したとき、その死体の処理をしようとしたら、ウサギの肉を引き取るという研究員がいました。死体処理をしてしまうなんて、もったいないと。翌日彼に聞いたら、本当に胃袋の中に入ってしまったそうです。確かにちゃんとした実験用ですから、検疫なども問題ないはずです。実は、中国でも、実験用のウサギは高価な動物なのです。。。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
2007年07月12日
川で洗濯なんか言ってられない。。。。
温州から戻りました。
帰りの上海行きの快速列車は、行きとまったく同じ車両。1号車で、機関車のエンジン音とジョイント音のハーモニーを楽しみながら眠りにつくと、朝はもう上海の松江あたりでした。よっぽど疲れていたのか、非常によく眠られました。
半年ぶりぐらいに、中国の田舎を巡りました。
田舎といっても、浙江省の田舎だから、中国の中ではまだ恵まれたほうです。そうしたのどかなエリアと、上海のような喧噪が、同じ国であるというのは、にわかにも信じがたいわけですが、それが現実です。
昨今、環境問題が叫ばれる中、今回の旅行でもそういった農村の変化が非常に気にかかりました。
たくさんの田んぼを見ましたが、例年にない少雨で、この大切な時期に田んぼに水がなく、黄色く枯れかけている稲もありました。中には、まったく耕作されていない田んぼも多く、雑草が生い茂りすっかりと荒れ果てていました。
耕作されている田んぼでも、気がかりなことがたくさんありました。
それは、農薬の空き瓶が非常に多く捨てられていたこと。清流が流れていても、「敌敌畏」など有機リン系の農薬の空き瓶を見ると、背筋が寒くなる思いです。
川では、女性たちが早朝に洗濯しています。その泡がぶくぶくと清流に漂う一方で、子供たちが泳いでいます。
川で洗濯する姿は、一昔前なら写真のモチーフにぴったりだったのでしょうが、今ではそんな気も起りません。そうした毎日の積み重ねが、いまの長江などの汚染問題を引き起こしているからです。
清流には、多くのプラスチックゴミが無惨に投げ捨てられています。ビニール袋をなくそうという運動を行っている村もありましたが、ちゃんとゴミを回収するわけでもなく、消費によって生まれたビニールやプラスチックは、川へ向かうわけです。
人口の少ない上流でさえそういう状況ですから、上海など下流エリアがどういう状態か、容易に想像がつきます。
農民の多くは高齢化が進んでいます。こうやって中国にいるのに、普通語が通じないということが多々ありました。いったい彼らはどうやって最新の情報を手に入れているのだろうと疑問を感じました。環境の取り組みも、まずは教育があってこそなのです。
ある村人に子供の教育をどうしているの?と聞いたら、小学校には行っても行かなくても同じという答えが返ってきました。学校の教育レベルがあまりにも低すぎるからだそうです。だからといって、子供を学校に行かさなくてもいいというわけではありません。
温州駅で列車を待つ間、待合室にはいままさに上海に出稼ぎに行こうという若者たちの集団にたくさん出会いました。
中国の農村改革は、いままさに始まったばかりなのです。
列車をまつ人たち
帰りの上海行きの快速列車は、行きとまったく同じ車両。1号車で、機関車のエンジン音とジョイント音のハーモニーを楽しみながら眠りにつくと、朝はもう上海の松江あたりでした。よっぽど疲れていたのか、非常によく眠られました。
半年ぶりぐらいに、中国の田舎を巡りました。
田舎といっても、浙江省の田舎だから、中国の中ではまだ恵まれたほうです。そうしたのどかなエリアと、上海のような喧噪が、同じ国であるというのは、にわかにも信じがたいわけですが、それが現実です。
昨今、環境問題が叫ばれる中、今回の旅行でもそういった農村の変化が非常に気にかかりました。
たくさんの田んぼを見ましたが、例年にない少雨で、この大切な時期に田んぼに水がなく、黄色く枯れかけている稲もありました。中には、まったく耕作されていない田んぼも多く、雑草が生い茂りすっかりと荒れ果てていました。
耕作されている田んぼでも、気がかりなことがたくさんありました。
それは、農薬の空き瓶が非常に多く捨てられていたこと。清流が流れていても、「敌敌畏」など有機リン系の農薬の空き瓶を見ると、背筋が寒くなる思いです。
川では、女性たちが早朝に洗濯しています。その泡がぶくぶくと清流に漂う一方で、子供たちが泳いでいます。
川で洗濯する姿は、一昔前なら写真のモチーフにぴったりだったのでしょうが、今ではそんな気も起りません。そうした毎日の積み重ねが、いまの長江などの汚染問題を引き起こしているからです。
清流には、多くのプラスチックゴミが無惨に投げ捨てられています。ビニール袋をなくそうという運動を行っている村もありましたが、ちゃんとゴミを回収するわけでもなく、消費によって生まれたビニールやプラスチックは、川へ向かうわけです。
人口の少ない上流でさえそういう状況ですから、上海など下流エリアがどういう状態か、容易に想像がつきます。
農民の多くは高齢化が進んでいます。こうやって中国にいるのに、普通語が通じないということが多々ありました。いったい彼らはどうやって最新の情報を手に入れているのだろうと疑問を感じました。環境の取り組みも、まずは教育があってこそなのです。
ある村人に子供の教育をどうしているの?と聞いたら、小学校には行っても行かなくても同じという答えが返ってきました。学校の教育レベルがあまりにも低すぎるからだそうです。だからといって、子供を学校に行かさなくてもいいというわけではありません。
温州駅で列車を待つ間、待合室にはいままさに上海に出稼ぎに行こうという若者たちの集団にたくさん出会いました。
中国の農村改革は、いままさに始まったばかりなのです。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類