2007年07月12日

川で洗濯なんか言ってられない。。。。

 温州から戻りました。
 帰りの上海行きの快速列車は、行きとまったく同じ車両。1号車で、機関車のエンジン音とジョイント音のハーモニーを楽しみながら眠りにつくと、朝はもう上海の松江あたりでした。よっぽど疲れていたのか、非常によく眠られました。

 半年ぶりぐらいに、中国の田舎を巡りました。
 田舎といっても、浙江省の田舎だから、中国の中ではまだ恵まれたほうです。そうしたのどかなエリアと、上海のような喧噪が、同じ国であるというのは、にわかにも信じがたいわけですが、それが現実です。

 昨今、環境問題が叫ばれる中、今回の旅行でもそういった農村の変化が非常に気にかかりました。

 たくさんの田んぼを見ましたが、例年にない少雨で、この大切な時期に田んぼに水がなく、黄色く枯れかけている稲もありました。中には、まったく耕作されていない田んぼも多く、雑草が生い茂りすっかりと荒れ果てていました。

 耕作されている田んぼでも、気がかりなことがたくさんありました。
 それは、農薬の空き瓶が非常に多く捨てられていたこと。清流が流れていても、「敌敌畏」など有機リン系の農薬の空き瓶を見ると、背筋が寒くなる思いです。

 川では、女性たちが早朝に洗濯しています。その泡がぶくぶくと清流に漂う一方で、子供たちが泳いでいます。

 川で洗濯する姿は、一昔前なら写真のモチーフにぴったりだったのでしょうが、今ではそんな気も起りません。そうした毎日の積み重ねが、いまの長江などの汚染問題を引き起こしているからです。

 清流には、多くのプラスチックゴミが無惨に投げ捨てられています。ビニール袋をなくそうという運動を行っている村もありましたが、ちゃんとゴミを回収するわけでもなく、消費によって生まれたビニールやプラスチックは、川へ向かうわけです。

 人口の少ない上流でさえそういう状況ですから、上海など下流エリアがどういう状態か、容易に想像がつきます。

 農民の多くは高齢化が進んでいます。こうやって中国にいるのに、普通語が通じないということが多々ありました。いったい彼らはどうやって最新の情報を手に入れているのだろうと疑問を感じました。環境の取り組みも、まずは教育があってこそなのです。

 ある村人に子供の教育をどうしているの?と聞いたら、小学校には行っても行かなくても同じという答えが返ってきました。学校の教育レベルがあまりにも低すぎるからだそうです。だからといって、子供を学校に行かさなくてもいいというわけではありません。

 温州駅で列車を待つ間、待合室にはいままさに上海に出稼ぎに行こうという若者たちの集団にたくさん出会いました。

 中国の農村改革は、いままさに始まったばかりなのです。



列車をまつ人たち
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類