2007年08月19日

朱元璋に感謝?美味なる毛豆腐

 安徽省に旅行に行ったときに食べた毛豆腐の味が忘れられなくて、上海で食べられるところはないかと探していたら、ありました!

 場所は上海にいる日本人にはおなじみ虹梅休閑街にある安徽省料理専門店「皖南農家酒店」、さっそく行ってきました。

 安徽省料理(徽菜)の看板を掲げる店は多いけど、上海で毛豆腐を食べさせてくれるところは非常に少ない。

 毛豆腐はまるでチーズのような食感のある発酵食品で、豆腐に毛のようなカビが生えたものなので、毛豆腐と呼ばれます。どの豆腐でもよいかというとそうでもなく、安徽省あたりの豆腐でないと駄目だそうで、この店でも取り寄せていると聞きました。おそらく、気候条件などとも関係があるのでしょう。

 以前、地元の人に、自分で毛豆腐が作られるのか?と聞いてみたら、失敗することが多く、失敗したらまさしく腐爛してしまい、白い毛のようなカビは生えないそうです。

 ちょっと奥深いですね。しかし、この臭みのあるチーズのような味がたまらなく、安徽省に行ったら、必ず食べます。

 毛豆腐のルーツについては、いろいろな説がありますが、この店では朱元璋説を紹介していました。

 朱元璋といえば、明国を建国した皇帝です。徽州と呼ばれた現在の安徽省エリアを侵攻したとき、戦いに敗れ、安徽省休寧まで逃れてきました。食べ物が何もなく、途方にくれたときに、その地方の農民たちが草むらに隠していた豆腐を見つけました。すでに、発酵して毛のようなカビが生えていましたが、そのほかに食べる物は何もなかったので、これを炭火で焼いて食べたそうです。

 ところが、これが非常に美味で、朱元璋は感動し、戦いに勝利した後もこの毛豆腐を愛したところから、現在まで継承されているとか。

 このときに、朱元璋が食中毒を起こしていたら、毛豆腐は伝わっていなかったかも。

 いずれにしろ、安徽省の山奥で、農民たちが食物を保存するのに苦労した結果、誕生した食べ物であるには変わりません。
 腐りやすい豆腐を、発酵食品として保存させるところは、チーズやヨーグルトの発想と似ていて、興味深いです。

 このレストラン、毛豆腐以外にも、なかなかリーズナブルな値段で、本格的な安徽省料理が食べられます。


【データ】皖南農家酒店
住所:上海虹梅路3338弄35号(虹梅休閑街)
電話:021-64658300

*メニューには一応化学調味料を使っていないと書かれています。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

上海の上海人はどこにいる?

 カナダに移民した上海人、上海で英語の同時通訳している上海人が我が家に遊びに来ました。移民した彼は、カナダに10年以上住んでいて、今回久しぶりに上海に帰ってきました。上海でなにか事業を興したいらしく、そのリサーチもかねての帰国だとか。

 その彼が、非常に不思議がっていました。

「街に上海人がいない。」

 たとえば、大阪だったら大阪人がいて、大阪弁が聞けるのが普通なのだけど、今の上海は、上海にいても上海語を聞くチャンスが大きく減ってしまいました。以前だったら、病院でも上海語ができなければ結構コミュニュケーションさえ困ったのですが、今ではその必要はほとんどありません。

 統計上では上海の人口の3分の1前後が、いわゆる流動人口と言われる地方出身の出稼ぎ労働者なのだけど、体感的にはもっと多いような気がします。

 とくに顕著なのが、地下鉄。8割は地方出身の若者で埋まっているといっても過言ではないでしょう。広州のように、地元の方言で車内のアナウンスをする必要は、この上海に関しては全く必要ない。

 その背景には、上海人の少子高齢化があるのではないかと思います。例えば、うちの病院や研究所などでも50を過ぎた頃から、そろそろ退職し始める人が出てきますし、子供を産まない世代も増えてきています。その結果、新しく補てんされる職員のほとんどが地方出身者。もちろん、上海人もいますが、その割合が減っています。

 その結果、地下鉄を使って決まった時間に通勤するような上海人も減っているように思うのです。

 典型的なのが、タクシーやバスの運転手。若者が減り、白髪交じりの世代がどんどん増えてきています。
 上海は中国でも奇跡的に、いまだにタクシー運転手は100%上海人ですが、これもいつまで持ちこたえられるか疑問です。北京や広州では、かなり前から地方出身者がタクシードライバーをしていて、これがタクシーサービス低下の原因となっているようです。
 

 地方の人にとって(外国人にとっても?)上海はパラダイスのようで、この前地下鉄で人が話している電話を聞いていたら、「上海には貧乏人はいないよ!こんなすばらしいところはない」というようなことを大声で話している地方出身者がいました。

 実際はそんなことはぜんぜんなく、貧しい人は交通費のかかる市中心部に出て行くことが少ないから、目立たないだけなのですが、小売店などでの中国人の購買力をみれば、そう誤解してもおかしくないでしょう。

 中国人はどこにいても同郷同士のつながりが非常に強いので、情報を聞きつけると、1人来ればまた1人と数珠つなぎ的に上海にやってくるのです。街などを見ていて、地方の方言があちらこちらで飛び交っているのも、そういう背景があると思います。



 上海駅にたむろする大きな荷物を抱えた民工たちを見ると、これからも地方出身者は上海でどんどん増えることは間違いないでしょう。

 ただ、現実には早く彼らに社会的地位と、社会保障を考えてあげないと、上海の将来にわたっての発展と安定は難しいです。地下鉄の通路に寝ている若者たちをみて、思いました。 

 最後に、カナダに移民した彼が言いました。彼は閔行区出身なのですが、地下鉄莘庄駅周辺など、まるでどっかの地方都市のような雑踏になっていると。10年の間に、これほどまで乱れるとは思いもしなかったといっていました。

 故郷の変わりように、驚いています。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類