2007年09月06日

ふるさと

 今の私にとって、第2のふるさといえば、十数年生活してきた上海だけど、第1のふるさとはやはり日本です。その中でも、小学校時代を過ごした三重県名張市が私のふるさとになるでしょう。

 今回、改めて私のふるさとを訪れてみました。

 三重県名張市は、一応大阪への通勤圏に入っていますが、東海エリアにもかかっており、名古屋圏と大阪圏の境でもあります。私が幼稚園から小学生にかけてのころ、近鉄が大規模に住宅開発し、桔梗が丘というニュータウンが形成されました。

 その後、大小様々な住宅地が造成され、一大ベッドタウンに成長したのですが、最近では住宅の老朽化と住民の高齢化がみられるようになってきました。公園の遊具はさび付き、メインストリートの花壇には雑草が生えています。

 何よりもショックだったのは、母校の小学校のグランドに雑草が生えていたこと。25年以上も前、この学校に通っていたころは、児童や先生が必死に草抜きをしたのに、いまではそういうことをしなくなったのでしょうか。

桔梗が丘南小学校、私の母校でした


 私たちの世代でも、その多くが中学校、高校と時間の経過とともに街を飛び出しており、若い世代があまり戻ってきていないという現実もあるでしょう。街の活気がなくなってきているのは、非常に残念です。

 ニュータウンというのは、一時期、非常に流行した住居形態ですが、思うに下手したら将来ゴーストタウンができてしまう危険性もあるのではないかと、危惧してしまいます。不動産業者が、理念なしに開発したエリアほど、その危険性が高いと思います。希薄な近所づきあい、あまりにも整備されすぎて、住民同士が協力しあうコミュニティー本来の姿がなかなか形成されないのかもしれません。

公園のブランコ、さびてしまってなにかもの悲しい


 私が昔、カブトムシやザリガニを捕った雑木林や水田もかなりやばい状態です。青々とした水田が広がっていたエリアも、今はすっかり荒れ地となり、当時の面影がほとんどありませんでした。日本の農業がここまで深刻化しているとは、ちょっと私も予想外です。小学校に通っていた頃、担任から田んぼには近づくな、と幾度となく怒られた経験がありますが、いまやそういう注意も必要なくなっています。

 雑草でうっそうとした田んぼは、なにか自然に帰りきらずに、うごめいている魔物のような妖気がただよい、私も足早に通り過ぎました。

放課後、ザリガニや魚をとった田んぼはこの通り


 夜、小学校3年生〜4年生で担任だった先生の家に思わず電話してみました。

 その当時、よほどやんちゃだったのか、先生は私が電話口で名乗るまでに、さっさと私であることを言い当て、正直びっくりしました。
 私が自然が大好きになったのも、そして田舎や民家、古墳マニアになったのも、この時の影響が非常に大きいです。
 先生は地域社会に根付いた地元の農家ご出身で、そういった雑学が非常に多く、地域への愛着を熱く語られたことを思い出します。今は教師を退職され、農家の仕事にいそしんでおられます。その当時、私の周りにはそういう先生が多くいらっしゃいました。だからこそ、ふるさとへの愛着が増幅されたのでしょう。

 先生は、日本の農業の高齢化の波に体でもって直面されており、厳しい現実を私にお話くださいました。

 上海のように、日に日に街がきれいになり、成長しているのならともかく、こうした日本の抱える社会問題を直視したとき、私が上海で培ったものをいつかは自分のふるさとである日本のために活用したいと思った次第です。

 もっと日本を元気にしなくては!

  
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類