2007年09月25日

中国版ボルシチ、上海料理の羅宋湯か

 上海の文化はよく海派文化といって、海外の影響を受けながら、なかなかバタ臭い文化を形成しています。
 でも、これがまた面白く、今の上海人の生活の中に息づいています。

 私が大好きな中華料理の一つに、羅宋湯があります。昨晩、妻が作ってくれました。

 羅宋湯は、その昔、私が医学部にいたころも中国人食堂で普通に提供されていました。トマトをベースにして、ジャガイモやニンジン、肉をいれて作られる羅宋湯は、私たちが持っている中華料理のスープとはちょっと違う物です。
 トマトの酸っぱさと甘さが適度に混ざって、非常にうまい。栄養のバランスもとれていて、いいものでして、私はさらにマカロニを買ってきて、イタリア風にして食べたことを思い出しました。

 この羅宋湯、今では香港、台湾などでも普通に見られますが、じつはそのルーツは上海にあるという説があります。その証拠に、上海人で上海で育った人なら、大抵作ることができるかと思います。

 羅宋湯の上海起源説は、20世紀初頭のロシア革命にまで遡ります。
 革命により、迫害をうけて亡命してきた白ロシアの人たちが、上海にまで逃れてきて、コミュニティーを作っていました。ユダヤ人とともに、その当時の上海は身の危険を守るに格好の場所で、そこで様々な海派文化が栄えました。
 そういう環境の中、赤ビーツでつくったボルシチが上海にも伝わりました。

 ただ、赤カブのような赤ビーツの食感は、上海人の口に合わなかったようで、そこでトマトを使うとうになったと聞きます。おそらく、食材としても手に入れにくかったのではないでしょうか?
 さらに、トマトの甘さ加減が、上海人にとって都合がよかったようです。それが、後に羅宋湯となります。

 羅宋は、実はRussiaから来たという説が有力です。その証拠に、ロシアパンのことを、上海では羅宋面包といっていました。
 上海にはロシア料理の店もあったというのですから、その当時は本当に国際都市であったことが想像つきます。

 今でも淮海路に紅房子という老舗の西洋料理のレストランがあります。今でこそ、西洋料理は当たり前ですが、10年〜20年前、上海で数少ない西洋料理が食べられるレストランであったのです。ここの羅宋湯もなかなか有名で、よく小説などにも出てきます。

 その後、新中国が建国され、文革があったりして、多くの上海人が香港や台湾に出ていきました。それが、華南に羅宋湯を広めていったというのです。

 

 私も羅宋湯の味に虜になったものの1人です。
 自分でつくると、様々な工夫ができて、すっかり山之内流になっていますが、上海人の間では、あの真っ赤なソーセージ「紅腸」を切り刻んで入れるのが一種の流儀になっているようです。徐家匯に「紅腸」の有名な店がありますが、いつも行列ができていますね。

 私はブラックペパーやバジルをきかせて、ちょっとスパイシーな羅宋湯にしています。パスタを入れてみても、よくあいますよ。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類