このあたりの民家は、みんなベランダを持っています。上海エリアには見られない作りです。特に、ベランダ下の柱には、さまざまな彫刻が彫られていました。
牛が重要な役割を果たしています。上海地区ではまだ稲刈りが始まっていないのに、こちらではもうすっかり刈り取られています。
このあたりの子供たちは非常によく歩きます。車が入ってこられないので当然でしょうが、この子を撮影したところも、麓のバス停から1時間半ほど歩いたところです。
牛には本当によく出会いましたが、牛の世話をしているのは女性か子供。男性は出稼ぎにいっているので、村にはほとんど居ません。貴州の山間では、女性が村をしっかりと支えているのです。
2007年10月16日
貴州省施場温泉付近の山村
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
チベット犬のいる老房子
貴州省銅仁では、学校の校長先生を退職した地元の有名人の一人である楊先生から、それはそれはこころ暖かい招待をうけました。
楊先生のご実家はもともと生薬薬局で、文化大革命の特に迫害を受けるほどの立派な建物に住んでおられました。街の再開発計画で、その建物が保存されることになり、私の古民家好きを知るやいなや、その足でご自宅を案内してくださいました。
いま、先生ご自身は住んでおられませんが、弟さんがいらっしゃいます。
石畳の「裏門」。実は、正門がこれ以外にあったらしい。
お出迎えは、なんといま中国人の間でもちょっとしたブームの藏獒(チベット犬)です。真っ黒で、パワフルな体は、ちょっと見た感じでは噛まれそうで、とても近づけない。世話をしている弟さんも、必死の思いで捕まえ、別室に隔離してくれました。それぐらいどう猛な犬ですが、なにか愛嬌のある顔をしています。
藏獒(チベット犬)
完全木造の建築物ですが、隣との境界には徽式建築に多い防火用の壁を設置していて、上から見ると非常に美しい造形を見せていました。
残念ながら文化大革命のころ、かなり手痛い破壊を受けていました。
話によると床板1枚1枚はがされて、床下のものまで調べられたそうです。当時、薬局として銅仁市内で有名だっただけに、「資本階級」として攻撃も激しかったのでしょう。裏庭も、「財宝」が隠されているとかという名目で、すっかりと掘り返されたそうです。
でも、使われている木材ひとつひとつを見てみると、なかなか立派なもので、古人の建物に対する見識の高さを伺われます。きれいに復元されると、きっと素晴らしい建築物によみがえることでしょう。もちろん、先祖を祭る居間を中心とした構造は、しっかりと残されていました。
木の彫刻は、ことごとく壊されたそうです
こうした田舎の都市でも、文化財を保存しようとする動きが出ていることは、大変いい傾向だと思います。
上海のように、中国の都会では発展することに非常に意義を感じていますが、意外とこれぐらいの田舎になると、発展することよりも、のんびりとした静かな生活を送りたいという人が多いということを楊先生から聞きました。
実際問題、農民の間でも、急速な社会の変化に不安を感じている人が少ないのも確かです。いまでこそ、まだまだ情報化の波が農村の深層部まで浸透していませんが、もう少しすれば、理知的な農民も中国では増えてくるはずです。
そのとき、中国の社会がどのように変化できるか?
少なくとも、今回話を聞いた貴州の農民たちの様子を見る限り、私自身は今後中国でなにかが起りそうな予感がしたのは確かです。
今でもこの空間に弟さんが住んでおられます
楊先生のご実家はもともと生薬薬局で、文化大革命の特に迫害を受けるほどの立派な建物に住んでおられました。街の再開発計画で、その建物が保存されることになり、私の古民家好きを知るやいなや、その足でご自宅を案内してくださいました。
いま、先生ご自身は住んでおられませんが、弟さんがいらっしゃいます。
お出迎えは、なんといま中国人の間でもちょっとしたブームの藏獒(チベット犬)です。真っ黒で、パワフルな体は、ちょっと見た感じでは噛まれそうで、とても近づけない。世話をしている弟さんも、必死の思いで捕まえ、別室に隔離してくれました。それぐらいどう猛な犬ですが、なにか愛嬌のある顔をしています。
完全木造の建築物ですが、隣との境界には徽式建築に多い防火用の壁を設置していて、上から見ると非常に美しい造形を見せていました。
残念ながら文化大革命のころ、かなり手痛い破壊を受けていました。
話によると床板1枚1枚はがされて、床下のものまで調べられたそうです。当時、薬局として銅仁市内で有名だっただけに、「資本階級」として攻撃も激しかったのでしょう。裏庭も、「財宝」が隠されているとかという名目で、すっかりと掘り返されたそうです。
でも、使われている木材ひとつひとつを見てみると、なかなか立派なもので、古人の建物に対する見識の高さを伺われます。きれいに復元されると、きっと素晴らしい建築物によみがえることでしょう。もちろん、先祖を祭る居間を中心とした構造は、しっかりと残されていました。
こうした田舎の都市でも、文化財を保存しようとする動きが出ていることは、大変いい傾向だと思います。
上海のように、中国の都会では発展することに非常に意義を感じていますが、意外とこれぐらいの田舎になると、発展することよりも、のんびりとした静かな生活を送りたいという人が多いということを楊先生から聞きました。
実際問題、農民の間でも、急速な社会の変化に不安を感じている人が少ないのも確かです。いまでこそ、まだまだ情報化の波が農村の深層部まで浸透していませんが、もう少しすれば、理知的な農民も中国では増えてくるはずです。
そのとき、中国の社会がどのように変化できるか?
少なくとも、今回話を聞いた貴州の農民たちの様子を見る限り、私自身は今後中国でなにかが起りそうな予感がしたのは確かです。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
重慶発K73次列車の紅焼牛肉麺
重慶北と上海南を結ぶK73/71次列車は、貴州省エリアでの鉄道が開通して登場した比較的新しい快速列車です。28時間近くかけて四川省と上海を結びます。
ここの乗務員はほぼすべて四川人ですが、とくに食堂車がなかなかのお勧めであることは紹介しました。
そこで、ぜひ食べてみたかったのが麺の本場の一つ、四川省風味の麺ということで、さっそく朝一番に食堂車に駆け込み、紅焼牛肉麺(10元)を注文しました。
麺は乾麺でした。きしめんのようなスタイルですが、スープはお馴染み四川風味の真っ赤か。
唐辛子を丁寧に取り除き、ラー油に浸った麺をすくい上げると、花椒の香りが食欲を一気に誘います。
花椒とは、山椒の仲間ですが、山椒と違って舌がしびれる感じが強く、さらに非常にいい香りがします。
さらに、豆の形も立派な豆板醤(トウバンジャン)、たっぷりのネギなど上海エリアで食べる麺とはまったく違うものです。これほど豊かなスパイスを楽しめる四川人は、人生も楽しそう。
見た目は辛そうですが、実はそれほど辛くなく、むしろスパイスの香りを楽しむ余裕さえありました。中国の食堂車の料理は厨房でちゃんと料理されて出てきます。
具として入っている紅焼牛肉は、じっくりと煮込まれていて、脂身もしっかりと落ちた上品なもの。道理で、列車に乗っている鉄道公安の人が、ご飯と紅焼牛肉で晩ご飯をすませていたワケです。
正直、下手な上海の四川料理の店よりも、この食堂車の四川料理の方が美味しいと思いました。
ここの乗務員はほぼすべて四川人ですが、とくに食堂車がなかなかのお勧めであることは紹介しました。
そこで、ぜひ食べてみたかったのが麺の本場の一つ、四川省風味の麺ということで、さっそく朝一番に食堂車に駆け込み、紅焼牛肉麺(10元)を注文しました。
麺は乾麺でした。きしめんのようなスタイルですが、スープはお馴染み四川風味の真っ赤か。
唐辛子を丁寧に取り除き、ラー油に浸った麺をすくい上げると、花椒の香りが食欲を一気に誘います。
花椒とは、山椒の仲間ですが、山椒と違って舌がしびれる感じが強く、さらに非常にいい香りがします。
さらに、豆の形も立派な豆板醤(トウバンジャン)、たっぷりのネギなど上海エリアで食べる麺とはまったく違うものです。これほど豊かなスパイスを楽しめる四川人は、人生も楽しそう。
見た目は辛そうですが、実はそれほど辛くなく、むしろスパイスの香りを楽しむ余裕さえありました。中国の食堂車の料理は厨房でちゃんと料理されて出てきます。
具として入っている紅焼牛肉は、じっくりと煮込まれていて、脂身もしっかりと落ちた上品なもの。道理で、列車に乗っている鉄道公安の人が、ご飯と紅焼牛肉で晩ご飯をすませていたワケです。
正直、下手な上海の四川料理の店よりも、この食堂車の四川料理の方が美味しいと思いました。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
貴州省、アヒル農民の大移動
貴州省の石阡から銅仁へ150キロあまりを車で移動しているときに発見した風景です。
遠くからアヒルの集団がやってくるではないですか!
しかも、道路の半分はアヒルで埋め尽くされています。
実は、稲を刈り取ったあとの田んぼで、アヒルを移動させながら飼育している農民たちのグループなのでした。
すごく理想的な循環農法ですね。田んぼにとっても虫などの害虫を食べてもらえるし、糞は肥料になります。
実は、私もアヒルで遊牧民のような生活をしている人たちがいるということを、初めて知りました。
集団で行動するアヒルだからでしょうか、非常に人間の言うことをよく聞いて、まっすぐ隊列を組んでいます。
しかも、車が近づいてきても、「わ〜」と散ってしまうことはない。
そして、最後には人間の家が担いでこられます。これにもまたびっくり。
そうなんです。彼らはこの「藁テント」で寝泊まりして、アヒルとともに生活しているのです。
地元の人に聞くと、一昔前は、こうしたアヒルの遊「田」民は、かなりの現金収入があったそうで、豊かな生活ができたそうです。
1980年代初めぐらいまで、地元農民たちは、とれたトウモロコシとを引き替えに、こうしたアヒルと物々交換していたということも聞きました。
遠くからアヒルの集団がやってくるではないですか!
しかも、道路の半分はアヒルで埋め尽くされています。
実は、稲を刈り取ったあとの田んぼで、アヒルを移動させながら飼育している農民たちのグループなのでした。
すごく理想的な循環農法ですね。田んぼにとっても虫などの害虫を食べてもらえるし、糞は肥料になります。
実は、私もアヒルで遊牧民のような生活をしている人たちがいるということを、初めて知りました。
集団で行動するアヒルだからでしょうか、非常に人間の言うことをよく聞いて、まっすぐ隊列を組んでいます。
しかも、車が近づいてきても、「わ〜」と散ってしまうことはない。
そして、最後には人間の家が担いでこられます。これにもまたびっくり。
そうなんです。彼らはこの「藁テント」で寝泊まりして、アヒルとともに生活しているのです。
地元の人に聞くと、一昔前は、こうしたアヒルの遊「田」民は、かなりの現金収入があったそうで、豊かな生活ができたそうです。
1980年代初めぐらいまで、地元農民たちは、とれたトウモロコシとを引き替えに、こうしたアヒルと物々交換していたということも聞きました。
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苦労して手にした寝台券に感動
中国の現在の乗車券の購入システムでは、始発と終点駅では指定席と指定寝台券の購入ができますが、途中の駅では購入できません。つまり、上海発ならいいのですが、帰りの貴州省銅仁駅のように小さな駅では、指定寝台券が買えないのです。
とりあえず、立ち席乗車券は銅仁駅で買えました。
場合によっては、混んでいて、これさえ買えないことがあるので、まず立ち席乗車券を前もって買っておくことが大切です。これで、最悪21時間の道のりを立ってでも上海に帰ることができます。目的地に着くことが最優先。
さらに、乗車後に空いている寝台車のチケットを車内で購入することになります。こうやって書くと非常に簡単なのですが、実際に行動するとかなり大変です。
まず、立ち席乗車券の客は、乗る場所も違っていて、寝台のある客車からは乗車できず、座席車から乗車します。だから乗り口はすごい混雑。しかも、座席車だから車内はもう満席で、立っている人もいるありさま。よくテレビで見るあの光景です。
よって、乗車口ではしっかりと前の方に並ばないといけません。私は、友人に頼んで、改札前に駅に入れてもらい、大量の乗客が来るまでに先に並ばせてもらいました。これで少しは寝台券を手に入れる確率が高まります。
列車が駅に着いて降りる人が一通り済むと、次は一斉に車内に乗り込みます。
後ろからすごい圧力で押されるので、まさに怒濤のごとく乗車です。荷物がたくさんあったら大変です。(降りる人の荷物もかなりすごいが。。。)
乗車後、12号車ぐらいにある(16〜17両編成の場合)車内補充券発行カウンターにならび、寝台券を発行してもらいます。それでも、寝台希望者が非常に多いので、ゆうに20分ぐらいはかかりました。
車内が非常に混雑しているので、車内での移動はほぼ不可能なの状態だったので、このカウンターがある車両を前もって確認しておくことが大切です。
やっと自分の番になって聞くと、
軟臥(1等寝台)は売り切れ、硬臥(2等寝台)の下段、中段は売り切れ。
一瞬ひやっとしましたが、辛うじて上段を買うことができました。
「万事休す!」
苦労して手に入れた寝台券
日本ではいとも簡単に乗車券・指定券が買えますが、中国ではまだまだそこまで整備されていません。
CRH2(新幹線)が走るようになって、高速列車に対しては指定席乗車券の購入が便利になりましたが、それ以外ではまだまだ「運次第」のことが多いのです。
何かにつけて気が抜けない、それがまさに中国の長距離列車旅行です。
16両の寝台列車は、まさに中国の社会の縮図の様です。
前半には出稼ぎの民工たちがぎゅうぎゅう詰めで座っていて、つぎに境界を隔てるように食堂車があります。食堂車の後ろには、天国のような1等寝台車が1両、その後ろに2等寝台がずらりと並びます。座席車から寝台車に抜けようものなら、関所のように乗車券のチェックを受けなくてはなりません。
中国の鉄道旅行、皆さんもぜひ体感してみてください!
NHKで関口知宏さんが中国の鉄道を乗りつぶしていますが、大変なのはやはり乗車券の購入で、これを関口さんが自身でなさっていたら、本当に拍手喝采モノですね。
座席車と寝台車では、その環境は雲泥の差です
とりあえず、立ち席乗車券は銅仁駅で買えました。
場合によっては、混んでいて、これさえ買えないことがあるので、まず立ち席乗車券を前もって買っておくことが大切です。これで、最悪21時間の道のりを立ってでも上海に帰ることができます。目的地に着くことが最優先。
さらに、乗車後に空いている寝台車のチケットを車内で購入することになります。こうやって書くと非常に簡単なのですが、実際に行動するとかなり大変です。
まず、立ち席乗車券の客は、乗る場所も違っていて、寝台のある客車からは乗車できず、座席車から乗車します。だから乗り口はすごい混雑。しかも、座席車だから車内はもう満席で、立っている人もいるありさま。よくテレビで見るあの光景です。
よって、乗車口ではしっかりと前の方に並ばないといけません。私は、友人に頼んで、改札前に駅に入れてもらい、大量の乗客が来るまでに先に並ばせてもらいました。これで少しは寝台券を手に入れる確率が高まります。
列車が駅に着いて降りる人が一通り済むと、次は一斉に車内に乗り込みます。
後ろからすごい圧力で押されるので、まさに怒濤のごとく乗車です。荷物がたくさんあったら大変です。(降りる人の荷物もかなりすごいが。。。)
乗車後、12号車ぐらいにある(16〜17両編成の場合)車内補充券発行カウンターにならび、寝台券を発行してもらいます。それでも、寝台希望者が非常に多いので、ゆうに20分ぐらいはかかりました。
車内が非常に混雑しているので、車内での移動はほぼ不可能なの状態だったので、このカウンターがある車両を前もって確認しておくことが大切です。
やっと自分の番になって聞くと、
軟臥(1等寝台)は売り切れ、硬臥(2等寝台)の下段、中段は売り切れ。
一瞬ひやっとしましたが、辛うじて上段を買うことができました。
「万事休す!」
日本ではいとも簡単に乗車券・指定券が買えますが、中国ではまだまだそこまで整備されていません。
CRH2(新幹線)が走るようになって、高速列車に対しては指定席乗車券の購入が便利になりましたが、それ以外ではまだまだ「運次第」のことが多いのです。
何かにつけて気が抜けない、それがまさに中国の長距離列車旅行です。
16両の寝台列車は、まさに中国の社会の縮図の様です。
前半には出稼ぎの民工たちがぎゅうぎゅう詰めで座っていて、つぎに境界を隔てるように食堂車があります。食堂車の後ろには、天国のような1等寝台車が1両、その後ろに2等寝台がずらりと並びます。座席車から寝台車に抜けようものなら、関所のように乗車券のチェックを受けなくてはなりません。
中国の鉄道旅行、皆さんもぜひ体感してみてください!
NHKで関口知宏さんが中国の鉄道を乗りつぶしていますが、大変なのはやはり乗車券の購入で、これを関口さんが自身でなさっていたら、本当に拍手喝采モノですね。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
貴州省の「背桶」文化
貴州省の山奥の農村を巡って、農民たちがほぼ100%背負っているリュックサックに気がつきました。
これは中国語では「背桶」と呼ばれ、竹やツルなどで編んで作られています。もちろん、プラスチックや金属なども一切使われておりません。
一般的には、農民が野菜や野良作業の道具などをいれるのに使います。温泉地では、温泉セットを入れて歩いている女性を見かけました。
一言に「背桶」といっても、様々な形があり、円筒形やら腰の部分がくびれたものなど、様々です。
私は自転車に乗って市場に行く時用に買いました。これだったらニワトリ1羽買っても平気!
使われ方が非常におもしろく、赤ちゃんを入れておんぶすることもできます。その場合は、子供があたっても痛くないように、口の部分を布でかぶせていました。
そうした工夫が持ち主によっていろいろ施されていて、オリジナリティーが一杯です。
地元の農民にとっては、いたって日常的な物ですが、私からすると非常に新鮮に映りました。
子供を入れるための「背桶」
私の経験から、安徽省や江西省の田舎では、こうした「背桶」はあまり見られません。
思うに、山深い貴州省ならではの生活文化ではないかと思います。急斜面を登るときや農作業をするとき、この「背桶」にモノをいれて運ぶことが、非常に理にかなっているのです。なんせ、両手が使えますから、斜面を登るのがラク。
これから温泉にいく人たち。バケツと椅子が温泉セットの象徴
実は、私も一つ買いました。
これが意外にも背負いやすい。特に、余計なポケットが一切ないので、大きなものでも楽々入れられます。背負う部分は丈夫な竹で作られていて、竹の弾力性が上手に活かされています。野菜や「ぼんたん」や「スイカ」のようにデカイ果物をいれても平気です。究極の「エコバック」と思いました。
これだったら、スイカを買っても自転車に乗れる!
生活に息づいたモノだからこそ、実用的なデザインで工夫され、見ている私たちからしても、非常に芸術的な実感を持ちます。
「背桶」は多種多様、見ているだけでも楽しいです。
これは中国語では「背桶」と呼ばれ、竹やツルなどで編んで作られています。もちろん、プラスチックや金属なども一切使われておりません。
一般的には、農民が野菜や野良作業の道具などをいれるのに使います。温泉地では、温泉セットを入れて歩いている女性を見かけました。
一言に「背桶」といっても、様々な形があり、円筒形やら腰の部分がくびれたものなど、様々です。
使われ方が非常におもしろく、赤ちゃんを入れておんぶすることもできます。その場合は、子供があたっても痛くないように、口の部分を布でかぶせていました。
そうした工夫が持ち主によっていろいろ施されていて、オリジナリティーが一杯です。
地元の農民にとっては、いたって日常的な物ですが、私からすると非常に新鮮に映りました。
私の経験から、安徽省や江西省の田舎では、こうした「背桶」はあまり見られません。
思うに、山深い貴州省ならではの生活文化ではないかと思います。急斜面を登るときや農作業をするとき、この「背桶」にモノをいれて運ぶことが、非常に理にかなっているのです。なんせ、両手が使えますから、斜面を登るのがラク。
実は、私も一つ買いました。
これが意外にも背負いやすい。特に、余計なポケットが一切ないので、大きなものでも楽々入れられます。背負う部分は丈夫な竹で作られていて、竹の弾力性が上手に活かされています。野菜や「ぼんたん」や「スイカ」のようにデカイ果物をいれても平気です。究極の「エコバック」と思いました。
これだったら、スイカを買っても自転車に乗れる!
生活に息づいたモノだからこそ、実用的なデザインで工夫され、見ている私たちからしても、非常に芸術的な実感を持ちます。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類