2007年10月17日

酸っぱい、酸っぱい貴州省の文旦(柚子)

 日本の農家の庭先に、柿の木があるのと同じように、貴州の農家の庭先には、ほぼ100%の確率で文旦の木が植わっていました。

 文旦は中国語で柚子と書きますが、もちろん、日本語の柚子とはまったく違います。また、中国の文旦も日本の品種とは若干違うので、味も異なります。

 上海で食べ文旦は、水分がほとんどなく、カスカスの柑橘類を食べているようでしたが、貴州省の文旦は水分があり、さらに非常に酸っぱい。それでも地元の人は好んで食べています。
 私は酸っぱい物が好きなので、貴州の文旦を美味しくいただけましたが、これは好みが影響するでしょう。



市場ではミカンや文旦がたくさん並んでいました


 それでは、上海ではなかなか食べられないもぎたての文旦をいただこうと思い、農家の人にお願いしたら、気持ちよく庭先の文旦の木から文旦を分けてくださいました。

 木に登って採るのだろうと思いきや、いきなり竹の棒を持ち出してきて、木の上の方の文旦を揺するや否や、ドタドタと4つぐらい文旦が落ちてきました。「せっかくだから、全部もって帰り」と言われ、その場で2つ食べて残り2つは上海へのおみやげにしました。

 たしかに露地栽培で、しかも農薬も全く使っていないもぎたての文旦は美味しい。上海地区では、この文旦の皮を蜂蜜などに浸して文旦シロップを作ります。これは、子供の咳などに効果があるとされています。ただ、上海では農薬が怖くてそういうことができませんでした。

 そこで、貴州の人に、文旦の皮はどうしているの?と聞いても、
「そんなもの使わない」
 とつれない返事でした。

ぶあつい皮をはがしていきます


 しかし、改めて農家の木を見上げると、大きな文旦がたわわにぶら下がっています。

 こんなにもできるのだと正直びっくりしました。

 

文旦の木


 文旦をいただいた村の前には、それはそれは美しい清流が流れていました。川の底までくっきりと透き通っています。

 いったい我々が日頃上海で食べている農作物が何だったのか、非常に考えさせられます。どう考えても味が違うのです。

 農村での発見はまだまだ続きます。

 

この渓谷の先に、小さな村がありました
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

ー场と呼ばれる定期市

 貴州省の山奥では、今でも庶民が主催する「ー场(ガンチャン)」と呼ばれる定期市の習慣が残っています。旧暦の1日、4日、7日などいろいろあり、どの日にするかは習慣が違うようですが、私がいた石阡の温泉街でも、ちょうど定期市が行われていました。

 山にいる農民は自分ところでとれた農作物を持ち寄り、道路に店を広げます。街にいる人たちは、牛に引かせるクワなど、農機具を売っていました。

 日本にも定期市はありましたが、残念ながら観光の色合いが強く、地元農民にとっての意味合いはかなり薄れてきましたが、ここの温泉街での定期市は、まさに地元の人にとってはなくてはならないもの。

 話を聞くと、この日は絶対なにがなんでも空けていて、農作物を売買しに麓まで降りていくそうです。
 そのため、街にはいろいろな店が出そろっていました。

 この写真は、ある農民がぶら下げていた農作物です。形の不揃いのニンジンや、まだ芽のついているかわいい生姜、香菜などもありますね。

 生姜の芽を何に使うのかは私はよく分かりませんでしたが、すごく新鮮なものであるのは確かです。収穫物を売る農民たちの目もイキイキしていて、そうなるとなかなか値切れるものでもないです。

 ある一角では、散髪屋さんがずらりと並んでいました。バリカンでそり上げていましたが、よくみると血が。。。。かなりの荒行のようです。

 上海でもいまだに街角で散髪するおじさんたちを見かけますね。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

ふわ〜と青空を見ながら

 貴州省のことばかり書いていると、上海に居ないように思われますが、実は上海に戻っていまして、今日も午前中は外来で患者さんと格闘し、いまちょうど昼休み。午後はこれから研究室で思索にふけります。

 今朝、また都市生活のベルトコンベアに乗せられ、朝の異様に静かな、かつ緊張感走る上海地下鉄の車内の雰囲気に呑まれそうになり、いつもの生活に戻ってきたことを実感しました。でも、午前中、安徽省の田舎からきた患者さんが私に自分の畑で収穫したミカンを持ってきてくれました。「先生もどうぞ」って。なにかすごく暖かい気持ちになります。

 同じ中国という国にいるのに、どうしてこんなに違うのだろうと、貴州省にいた時間が、はるか遠い彼方のように感じてしまいます。

 目を閉じると、貴州省でみた棚田が脳裏に焼き付いて離れません。こんな美しいところがあったのだろうかと。。。山間には、私の周りには、妻以外だれも居ません。時々遠くの方でニワトリが鳴いています。川のせせらぎが、耳に心地よいです。

 見渡す限りの山並みに、自分がすごくちっぽけで、だけどこの大自然と格闘している地元農民たちのけなげな笑顔をみると、私が上海でなにをバタバタして暮らしているのだろうとちょっと反省してしまいました。

 いつか、こんな素晴らしい想いをさせてくれた貴州省の友人たちに、なにか私のできることで貢献したいなと思っています。この点、妻も同意してくれました。

 さあ、戯言はこれまで。午後もがんばります。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類