2007年10月29日

今朝の成都は寒い。。

 昨夜、成都では本格的な雨が降り、一気に気温が下がりました。街を見渡すと、ダウンジャケットを着ている人も少なくないです。

 夜明けが遅いものだから、私の体内時計も少し狂ってしまい、ちょっと変な感じです。
 時間があったので、ホテル周辺をぶらぶらしていました。

 朝食は成都名物の肥腸粉。名物料理でもあります。茶色の「粉」が特徴で、スープはあっさりとした透明系のもの。豚の腸がトッピングされていますが、麺の下をほじくると、もやしや香菜、さらにセロリも出てきました。

 セロリというのがいいですねえ。

 そして、欠かせないのが花椒。ちゃんと「麻」と呼ばれる痺れる味覚を入れてあります。麺の口触りがちょっと新鮮でした。米粉ともちょっと違うし、透明感のあるもので、色はこんにゃく系でした。

 そして、锅魁とよばれる中華ハンバーグも賞味。

 中に入れる具はいろいろ選べて、私は辛くないものにしましたが、真っ赤っかの漬け物や豚肉などを入れる人もいました。チェーン店も多くて、成都ではおなじみのスナックです。

 そして、四川科技館前の毛沢東の像をチェック。大都市で、なかなか毛沢東の像をみることができませんが、成都では健在でした。

 成都での出勤風景は、自転車が大活躍です。道路が狭いので、自動車の渋滞がひどく、やはり自転車が便利でしょうね。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

やっぱり上海は異常?

 今回、成都のラーメン巡りで、成都の有名レストランを紹介してくれた上海人のYさんは、成都歴4年。

 上海人の彼がなぜ成都に移り住んだかというと、今の上海の過当競争や人間関係、ストレスにいてもたっても居られなくなったから。そこで、友達などからウワサを聞いて、さらに自分でもいってみて、この場所が気に入ったそうです。

 実は、彼以外にも私のまわりには成都に一度いって、そこが大好きになり移住したいという上海人や台湾人が少なくないのです。

 私もこの地に足を踏み入れて、その理由がわかってきました。成都という街は、確かに悠久の文化があり、人々が悠々と生活している、そんな日本人が感じる中国象が残っているのです。食文化ひとつとってもそうです。成都人には彼らの誇れる食文化がある。これは、上海料理はとうてい太刀打ちできません。上海料理がマズイと四川人がよく言いますが、実際にきてよくわかりました。

 そして、人間が温かい。上海の店の店員のようにあしわられるようなことはなく、どの店でも非常に丁寧に対応してくれました。この違いは大きいです。一つの理由に、四川省は出稼ぎ労働者を送り出している省であり、上海のように単なる金儲けで出稼ぎ労働者が集まってきている都市とは、根本的に性格が違うのです。

皇城坝小吃の牛肉甩面


 私はこの違いは大きいと思います。そのため、成都の店の店員は、多くが現地の人たちで、自分たちの地元に、外からきた人を接待しようとする「気持ち」を感じることができるのです。

 上海という街を、単に経済や富の集積地と考え、世界各国の商人たちが金儲けにやってくる。人々は金儲けに目がなく、街ゆく人たちの足取りもなにかガサガサしている。欲望を満たすところなのです。

 もちろん、そういう街の発展の仕方もあるけど、歴史にはぐくまれながら発展している都市にいるほが、居心地がいい。そう、私の地元である奈良もそうですね。なんか共通点があるように思います。

 成都という地名は、三国志の時代からいままでずっと変わっていません。2000年以上地名が変わっていないのです。そういう場所も、中国では非常に珍しい。きっとすごく保守的な地盤なんだろうな、とか思いつつも、中国のような発展の激しい国では、こうした保守的なところも大切なんだと思いました。

 ああ、でも本場の四川料理はおいしい!!

劉備玄徳のお墓、武侯祠にある錦里で出会った葉大仙さん。90歳の武術家。
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