三峡ダムの水位が上がる前の1996年に私は三峡下りをしています。
中国にきてまだ間のないころでしたが、なかなか立派な客船が航行していて、優雅な川下りを体験できました。
そして、自分たちのいる遙かな上の位置にまで水がくるということを聞いて驚いたことを記憶しています。
2006年までには三峡ダムの水位は185メートルに達しても大丈夫なようになり、100年に1回の洪水にも耐えられるようになったようです。毎年洪水に悩まされていた武漢などでもその効果はてきめんだそうで、洪水の多発する時期でも殆ど被害がなかったようです。
一方で、外国のメディアなどは三峡ダムがもたらす弊害について書き立てるものだから、中国政府もことあるごとに説明しています。
よく言われるのは、三峡ダムの建設の影響で、地震が誘発されないか?さらに重慶の昨今の暴雨は、三峡ダムに関係があるのではないか?ダムの水質が汚染されるのではないか?ダムに貯まった土砂はどうするのか?といった問題です。
とくに土砂に関しては、よく言われるのが黄河に1950年代に建設された三門峡ダムのケースです。旧ソ連の資金援助で作られたダムですが、黄河の洪水を防ぎ、エネルギーを供給するはずでした。ところが、数年の間で土砂に埋まってしまい、非常に苦い経験をしています。
三峡ダムも、その二の前とならないのか、意見がいろいろ出されています。ただ、三峡ダムに関しては、予測よりもかなり低いレベルで土砂が貯まっているので、コントロール範囲内だそうです。
さらに、ダム周辺で最近発生している干ばつについても、ダムが直接的な原因ではなく、地球温暖化によるものだとしています。当局は、ダムが影響をもたらしたとしても、10キロ以内で気温が1℃未満の変化が起る程度だとしています。
三峡ダム周辺には白帝城とか、三国志にゆかりのある文化遺産もたくさんありました。一部は移築されて保存されているようですが、蜀の国の面影を知るには、最高のロケーションです。
上海もダムの恩恵を受けています。特に電力エネルギーが不足している上海では、その一部を三峡ダムに頼っていますし、なんと言っても長江の上流にダムがあるわけですから、長江文化圏の上海にとっては切っても切りはせない関係です。また、三峡ダム建設で移住を余儀なくされた四川省の農民の多くは、上海崇明島にいます。
またいつか、新しい三峡の姿をこの目で見に行きたいと企んでいます。
posted by 藤田 康介 at 00:00|
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