中国では今まさに年の暮れです。
忘年会が非常に多く、親戚や家族、親友の忘年会(年夜飯)に関してはまず顔を出しますが、さすがに多すぎると体を壊すので休ませてもらいました。
先日は、ある台湾系の病院の忘年会。行きたくなかったのですが、師匠の鞄持ちということで行かされました。
30テーブルぐらいのデカイ忘年会でした。大陸では、忘年会のことを「年夜飯」といいますが、台湾系はよく「忘年会」や「旺年会」といった言い方をします。
どうも私はこの中国式の宴会が苦手で、どのようにリアクションしたらいいのか困るのです。食べる物はどんどん運ばれてくるし、私は下戸でお酒が飲めないので乾杯はできないし、舞台ではなにか盛り上がってるけど、なんか身内だけが盛り上がって、外から見ている私たちは笑えないし。作り笑いをしながら、時間が過ぎるのをひたすら待つ。
まさに「忍耐」
ちなみに、上海エリアだったら下戸でも困りません。「飲めない」とはっきりいえばいいのです。それでも飲ますのなら「あんたとは友達ではない」といってやってもいいぐらいです。 私は北方エリアでも「飲めない」と押し切りました。大抵、相手が「飲め、飲め」と進めてくるのは、「話題がない」、「場が盛り上がっていない」のどちらかなので、中国語でちゃんと話題を保てることが大切なのです。こんなところで命を縮めたら情けないです。
でも、本当に私と親しい友達や、長くつきあっているビジネスでの仲間たちは、中国人であろうと私に酒を勧めません。だから、下戸であることは、逆にその中国人と私の距離を知る一種のバロメーターでもあると思っています。例えば、下戸でも「宴会場」で私と話ができる中国人だったら、「よし、いっしょにやろう」という気にもなりますし、成功率も高い。
中国の企業や病院の忘年会では、大きければ大きいほど、会社が儲かっていることの象徴で、派手に派手になります。料理も野菜1品以外、あとすべて肉類というのが定番です。日本だったら、1ヶ月かかってもこれだけの肉類を食べることはできないでしょう。中国にきて太らない、メタボリックにならないほうが不思議なぐらいです。
加えて、台湾系の忘年会は、やたら舞台ものが多い。社員がなにかやったり、抽選をやったり。私はこの抽選というのも嫌いで、抽選であたってもちっともうれしくない。どんなものでも「ばらまく」という行為には全然楽しめないのです。行ってみれば浪費の象徴なのでしょうが、この抽選が中国人には異常なほど受けます。
まあ、国が違えば企業文化も違います。あんまり醒めた目で見てしまうのも良くないので、ここはちょっと大人になって「ミッキーマウス」になったつもりで楽しみませんか!
しかし、宴会料理とはいえ、まずい料理しか出せない店は失格!豚肉が高騰しているこのご時世に、持ち帰りすらする気にならなかった。。。
まさに、浪費の山。
2008年01月31日
中国式(台湾式)忘年会
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
2008年01月30日
帰省したいという情熱
今、外を見ると上海でまた雪が降り出しています。(30日14時半現在)
私の周りの地方出身の医者たちも、この時期田舎に帰省するのですが、今年は例年以上に大変なようで、中には帰省することを諦めてしまった人もいました。
私も、正月は日本に帰りましたが、我々が正月日本に帰る以上に、中国人の春節の帰省は大切なようにも思えます。まさにこの日のために1年間休む間もなく働いてきた民工たち。家族と会える1年に1回のチャンスという民工たちも少なくないのです。
そんななか、中国の温家宝総理が、雪であえぐ長沙駅を訪れ、帰省ラッシュの足止めを食らっている市民にねぎらいの言葉をかけたことは上海のどの新聞もトップで扱っています。温家宝総理が帰省ラッシュの地方を訪問することは異例で、いかに今年の中国の帰省ラッシュが尋常ではないかが分かります。
高速道路が通行止めになって、荷物を担ぎながら120qを2日間かけて歩き通した話や、渋滞で動けなくなった長距離バスの乗客を、沿線の住民が助けてあげたり、CCTVには毎日こころ暖まるエピソードが流されています。
上海でも、上海駅周辺の閘北区の小学校を開放して、列車待ちしている帰省客に利用してもらったり、食事のサービスをしてあげたりしているようです。
上海市では、さらに田舎へ帰ることができなかった人たちに、上海で新年を迎えてもらおうと、出稼ぎの宿舎でも年越しをできるようにするようです。建設会社も出稼ぎ労働者たちが新年を工事現場で迎えられるよう、政府も援助することを決めました。
中国人にとって、新年とは家族みんなで集ってワイワイするとき。一人で新年を迎えることなど考えられず、大学などでも学校に残っている学生たちを対象にさまざまなイベントを行っていました。
ちなみに、この雪で上海の物流も大きな打撃を受けていて、地方から上海に入ってくる野菜が30%減っているほか、電力の供給も寒さで逼迫しています。
私の周りの地方出身の医者たちも、この時期田舎に帰省するのですが、今年は例年以上に大変なようで、中には帰省することを諦めてしまった人もいました。
私も、正月は日本に帰りましたが、我々が正月日本に帰る以上に、中国人の春節の帰省は大切なようにも思えます。まさにこの日のために1年間休む間もなく働いてきた民工たち。家族と会える1年に1回のチャンスという民工たちも少なくないのです。
そんななか、中国の温家宝総理が、雪であえぐ長沙駅を訪れ、帰省ラッシュの足止めを食らっている市民にねぎらいの言葉をかけたことは上海のどの新聞もトップで扱っています。温家宝総理が帰省ラッシュの地方を訪問することは異例で、いかに今年の中国の帰省ラッシュが尋常ではないかが分かります。
高速道路が通行止めになって、荷物を担ぎながら120qを2日間かけて歩き通した話や、渋滞で動けなくなった長距離バスの乗客を、沿線の住民が助けてあげたり、CCTVには毎日こころ暖まるエピソードが流されています。
上海でも、上海駅周辺の閘北区の小学校を開放して、列車待ちしている帰省客に利用してもらったり、食事のサービスをしてあげたりしているようです。
上海市では、さらに田舎へ帰ることができなかった人たちに、上海で新年を迎えてもらおうと、出稼ぎの宿舎でも年越しをできるようにするようです。建設会社も出稼ぎ労働者たちが新年を工事現場で迎えられるよう、政府も援助することを決めました。
中国人にとって、新年とは家族みんなで集ってワイワイするとき。一人で新年を迎えることなど考えられず、大学などでも学校に残っている学生たちを対象にさまざまなイベントを行っていました。
ちなみに、この雪で上海の物流も大きな打撃を受けていて、地方から上海に入ってくる野菜が30%減っているほか、電力の供給も寒さで逼迫しています。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
餃子騒動で思うこと
日本で発生した餃子の中毒騒動。
これでまたしばらく中国で作られた食品が日本で見向きもされなくなるでしょうが、中国でもこのような中毒事件が頻発しているかといえば、とくに餃子に関していえば私の知る限りあまりありません。
ちなみに、冷凍餃子は、いまや中国人の家庭でも冷凍に必ず入っているといってもいいぐらいよく食べられています。
それだけに、今回の騒動がいったいどういう経緯で発生したのが、十分に考える必要があるように思います。これだけ騒動が大きくなっているので、おそらく中国政府も何らかの調査を行うことでしょう。その調査にも期待したいと思っています。
ただ、一つ言えることは、中国で中国の製品を中国のメーカーから買っている我々在住者と違って、日本で中国製を買う場合、例え日本の大手メーカーや小売店が販売していても、製造しているのが中国のどういうメーカーなのか分からない。つまり、生産者と小売りの距離が離れれば離れるほど、ブラックボックスが増えていくわけで、消費者としてはますますパッケージなどに飾られた「言葉」を信じるしかない状態となることが分かります。
これははっきり言って危険です。
中国で生活していると、最後に信じることができるのは自分の正しい知識と五感しかないということをつくづく感じます。地方に旅行に行くと、店で売っているミネラルウオーターですら、私は偽物ではないかマジマジと確認して買います。そういう習慣がついてしまいました。
上海でうちの上海人の妻が肉や野菜を買うのをつきあっても、これでもかというぐらい色・形・ニオイを確かめて買っています。豚肉の皮の色を見ながら我々夫婦で討論できるぐらい観察するのです。
毎日、疑心暗鬼の中で生活している中国人の多くも、そうした感覚を生まれながらにして身につけているのです。
そろそろ我々日本人も、単に消費者としてお金を払って「消費する」という次元から、人間の本能を十分に活かして、どういうものを食べるべきなのか、食べ物を「生産する」次元で考え直す必要があるのでしょう。
当たり前ですが、ことに食べる物に関しては既製品など他人が作ったものに頼るばっかりでは、自分たちの安全を完全に守ることができないのです。
私のある中国の地方都市から来ている患者さんは、病気を回復させるために一大決心をして、生活の基盤を田舎に変えました。そこだったら、自分で納得のできる安心な食べ物を「作る」ことができ、スーパーなどに頼らなくても済むからだそうです。
逆に、中国のメーカーはこれを契機にがんばって欲しい。日本人が買うか、買わないか、そんな次元の問題ではなく、中国人自分たちの力で、自分たちの安心ブランドを作り上げて欲しい、そう願います。
人件費・原材料も含めて、生産コストが上昇してしまい、安いだけでは中国もやっていけなくなったのです。餃子の材料となる豚肉もいま中国ですごい値上がりしています。
「雨降って地固まる」いつかそうなることを期待します。
これでまたしばらく中国で作られた食品が日本で見向きもされなくなるでしょうが、中国でもこのような中毒事件が頻発しているかといえば、とくに餃子に関していえば私の知る限りあまりありません。
ちなみに、冷凍餃子は、いまや中国人の家庭でも冷凍に必ず入っているといってもいいぐらいよく食べられています。
それだけに、今回の騒動がいったいどういう経緯で発生したのが、十分に考える必要があるように思います。これだけ騒動が大きくなっているので、おそらく中国政府も何らかの調査を行うことでしょう。その調査にも期待したいと思っています。
ただ、一つ言えることは、中国で中国の製品を中国のメーカーから買っている我々在住者と違って、日本で中国製を買う場合、例え日本の大手メーカーや小売店が販売していても、製造しているのが中国のどういうメーカーなのか分からない。つまり、生産者と小売りの距離が離れれば離れるほど、ブラックボックスが増えていくわけで、消費者としてはますますパッケージなどに飾られた「言葉」を信じるしかない状態となることが分かります。
これははっきり言って危険です。
中国で生活していると、最後に信じることができるのは自分の正しい知識と五感しかないということをつくづく感じます。地方に旅行に行くと、店で売っているミネラルウオーターですら、私は偽物ではないかマジマジと確認して買います。そういう習慣がついてしまいました。
上海でうちの上海人の妻が肉や野菜を買うのをつきあっても、これでもかというぐらい色・形・ニオイを確かめて買っています。豚肉の皮の色を見ながら我々夫婦で討論できるぐらい観察するのです。
毎日、疑心暗鬼の中で生活している中国人の多くも、そうした感覚を生まれながらにして身につけているのです。
そろそろ我々日本人も、単に消費者としてお金を払って「消費する」という次元から、人間の本能を十分に活かして、どういうものを食べるべきなのか、食べ物を「生産する」次元で考え直す必要があるのでしょう。
当たり前ですが、ことに食べる物に関しては既製品など他人が作ったものに頼るばっかりでは、自分たちの安全を完全に守ることができないのです。
私のある中国の地方都市から来ている患者さんは、病気を回復させるために一大決心をして、生活の基盤を田舎に変えました。そこだったら、自分で納得のできる安心な食べ物を「作る」ことができ、スーパーなどに頼らなくても済むからだそうです。
逆に、中国のメーカーはこれを契機にがんばって欲しい。日本人が買うか、買わないか、そんな次元の問題ではなく、中国人自分たちの力で、自分たちの安心ブランドを作り上げて欲しい、そう願います。
人件費・原材料も含めて、生産コストが上昇してしまい、安いだけでは中国もやっていけなくなったのです。餃子の材料となる豚肉もいま中国ですごい値上がりしています。
「雨降って地固まる」いつかそうなることを期待します。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類