大抵の日本人が上海にきても、本場の中華料理を食べてがっかりしてしまうことが多いことは私も認めます。そして、結局は日系のチェーンレストランとかに入ってしまうなんてことはよくある話です。
だけど、中国人のとって、食がいかに大切なのか、私は今回の葬式に参列して改めて痛感しました。美食というのは、中国人の生活には欠かせず、亡くなってからも非常に大切にするのだということが分かります。
写真は祭壇の前に並べられた食材の数々です。十二支をテーマに、本当にいろいろな食材が並んでいます。魚介類をみてみても、伊勢エビ、ウナギ、ずっぽん、上海蟹、フナ、コイ、ナマズ・・・肉類も、鶏・ダック・ハト・ガチョウ・・・・それら動物が野菜とともに十二支をモチーフに表現されています。もちろん、豆腐類も。私の大好きな湯葉もありました。
これら料理は、半分調理されていて、祭壇に規則正しく並んでいます。もちろん、点心類・麺類も。魚や肉類は傷まないように予め火が通してありました。
すごいのは、村の代々調理師を務めている村人がやってきて、すべて手作りで作っているのです。材料は市場で調達したそうです。
担当した調理師は中華料理の家系で4代目。話を聞くと、一昔前は小麦粉などで十二支を造形する技術があったようですが、文化大革命の時期に技術が途絶えてしまい、現在は実際の肉や野菜を使って十二支を表現するようになったようです。
これは、とくに道教とか仏教とか宗教的なものはないらしく、この村独特のものだそうで、すべて故人に対して供えたものです。そして、お供えが終わったあと、調理師が再び調理して参列者に振る舞われます。
日本では葬式や法事でもこれほどの食べ物が並ぶことはないでしょう。それも、貴重な肉類ばかりです。故人に対しても、たらふく美味しいものを食べてもらいたい、残された親族一同の願いでもあるのです。
さらに、感動したのは、親戚や近所の人たちがみんな集って、積極的に協力しているところ。とくにどうするという決まりはないようですが、みんなコツコツと仕事を手伝っていました。これだけの準備をするのは並大抵のことではありません。
この祭壇の前で、この夜はまず仏教による儀式が行われました。「九華山」の掛け軸がかけられ、読経が行われます。
ここでは、仏教と道教が同時に存在してもいいようです。
中国人の、食に対するたゆまない追求と美食に対するあこがれ。
儀式からもその本性をうかがい知ることができます。逆に、中国を支配する人たちは、庶民の食の問題を解決できなければ統治し続けることが難しい、まさにその通りだと思います。
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無錫から上海へ戻る新幹線で、吉報が入りました。
妻の兄一家でついに女の子をが誕生しました。
義父にとっては初孫。大喜びの様子です。
去る人がいる中、また新しい生命が誕生しました。生命の巡り合わせに、私も感動しました。