朝、朝食をとりにホテルのレストランへ行くと、すでに在上海日本国総領事館の隈丸総領事一行がいらっしゃっていました。
昨夜、私たちの乗った車も雪で大変でしたが、総領事一行が阜陽のホテルに着いたのも深夜。もともと安徽省合肥市から阜陽市までの交通の便が良くないのですが、さらに大雪で高速道路が通行止め、その上事故も発生して、我々一行も実はここまでくるのに、とにかく手間取りました。
今回、ここまでして我々がはるばる上海からやってきた最大の目的は、阜陽市の中心からまだ車で2時間近く走ったところにある楊庄小学校の開校式に参加するためです。総領事がわざわざここまでいらっしゃったというところからも、この小学校が日本とどういう関係にあるのか、検討がつくかと思います。
楊庄小学校は意外にも新しく、1996年に建設された小学校です。
配られた資料によりと、建築面積は560平米程度しかなく、さらに建設資金不足で建材が劣悪で、危険家屋に指定されていたそうです。ここに、在校生600人の児童が勉強するわけですから大変なことです。急遽、近くの民家を教室として使っていました。さらに村(郷)の合併で、児童数がさらに増えて800人にもなることから、校舎不足がさらに深刻になっていました。
そこで、日本政府が「草の根・人間の安全無償資金協力」プロジェクトの一環として、約8万ドル供与して、小学校の整備が行われたのでした。いわば我々の納めている税金の一部で建設された小学校のわけで、日本人の一人としてどのようにこのプロジェクトが進められているのが、私はぜひ見ておきたかったのです。
このプロジェクトの計画が始まったのが2006年3月。ですから、まる2年間の歳月を要したことになります。私たちの車が到着するや否や、校門では爆竹が鳴らされました。
隈丸総領事が車から降りられると、両脇の在校生たちが「熱烈」に歓迎してくれました。
この日、グラウンドは雪に覆われていて、凍てつくよな寒さでした。
私たちの目の前にそびえる学校は、上海のそれともひけをとらない立派なものです。コンクリートで作られた4階建てで、見るからにどっしりとしています。
関係者に案内されて、私たちも4階の教室に行きました。
そのあと、在校生たちも教室にやってきました。子供たち一人一人の明るい表情をみると、暖房の無い教室でも、すごく和やかに感じられました。教室の壁には、論語が貼られていて、ここから始まる新しい学校生活に希望を感じました。
この日は、安徽省政府の関係者も出席していて、祝辞が述べられました。その中には、日本政府に対する感謝と、地元政府との協力とで完成したプジェクトについて話されました。
日本側も、隈丸総領事も通訳をまったく通さず中国語で祝辞を述べられました。
非常に聞き取りやすい中国語で、在校生にもこの学校が日本政府との協力で建設されたものであり、日中友好の礎となることがしっかりと伝わったと確信しています。また、この学校が未来の中国、未来の安徽省、未来の阜陽市を支える子供たちにしっかりと役立つこと信じたいものです。
なにより、総領事が自らの言葉で喋られたことは、子供たちにとっても私は非常に意義あることと思いました。
隈丸総領事の祝辞を聞く在校生と在校生代表 ODA云々など日本人の中国に対する風当たりが強い中、こうして地元と一緒に完成した小学校を見ると、しっかりと子供たちに使われて欲しいと願わずにはいられません。
でも、今の大人たちがどのように思おうと、子供たちがこの中で勉強するのは疑いもない事実で、こうした積み重ねが少しでも日本との理解につながればと思います。安徽省にはさらに日本政府が関与した数カ所の小学校プロジェクトがあり、今後の発展を期待せずにはいられません。
posted by 藤田 康介 at 00:00|
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