粉ミルク騒動で、河北省石家庄市のトップがクビになったり、食品の検査部門のトップがクビになったりしているのですが、そうして官僚がクビになった人が次はどうなるのか、私も興味津々。。。
そこで、いろいろ調べてみると、興味深い例がありました。
2003年のSARSの時に北京市長だった孟学○。記者会見で、海外メディアに対して、「北京の流行はもう食い止められた」と発表したのにも関わらず、SARSの蔓延は止まらなくなり、このときは北京市長をクビになりました。
ところが、2007年に見事政界に復活。2008年には今度は山西省省長にまで駆け上りました。ところが、今度は2007年の鉱山のガス爆発事故で105人が死亡、さらに最近発生したダム崩壊事故で、再びクビになりました。
3回目はどこから復活してくるのか分かりませんが、中国の政治家は以外と政治生命も長らえられるものなのですね。
やはり、コネと○○の世界なのでしょうか。
と思って、我が日本を見てみると、自民党の麻生総裁も民主党の小沢党首も結局は政治家家系。麻生総裁なんか、吉田茂の血筋。中国もメディアでも、「日本で流行の世襲議員」と大きく報道されていました。中国人からみれば、やはり不思議なようです。
この点、中国ではあまり世襲政治家は見ません。あ、今の上海市長は著名な政治家家系でしたね。まあ、相対的に少ないようにも思えます、としておきましょう。
中国の政治体制なら、世襲政治家がもっと多いようにも思われますが、意外にも少ない。むしろ○○の親戚とかいってビジネスしている人の方が多いようにも感じます。
そうか、やはり血筋よりもコネと○○の世界か。
2008年09月22日
蚊取り線香
仕事の帰り、東華大学のキャンパスを歩いていたら、大学宿舎から蚊取り線香のにおいが漂ってきました。なんか、懐かしいです。
私が、上海師範大学で中国語を勉強していた頃、なんせ貧乏学生だったもので、招待所に潜り込んでいたのですが、そのとき夏の蚊対策で使ったのが蚊取り線香でした。
共同台所や洗面所にも蚊が大量に発生したので、蚊取り線香のにおいをかぐと、その当時の生活が走馬燈のように思い浮かんできます。国費留学で来ていたベトナム人のグループも一緒でした。
私は、夜は蚊帳を使って寝ていました。中国式の天井からぶら下げる蚊帳は、重宝したものです。招待所の階下がなぜか女子寮でして、階下から華やかな声が聞こえてきたものです。
夕方5時半にはお風呂セットをもって共同シャワーに行ったものです。7時にはお湯がなくなるので、必死でしたが。。。裸電球のシャー室は、まるで監獄の様でした。
しかし、これも15年近く前の上海のこと。いまやその招待所もすっかりと様変わりしました。立派なホテルになっています。
香りから様々な想い出がよみがえるものです。
今週末からはバンクーバーですが、昔の想い出がすぐによみがえってくるのでは?と期待しています。その当時、私は英語はおろかフランス語も喋っていたそうです。
子供の時の語学力はすごいですね。
その当時の記憶は断片的でも頭に残っています。視覚と嗅覚が合体したとき、なんかすごい想い出がよみがえりそうでワクワクしてきます。
私が、上海師範大学で中国語を勉強していた頃、なんせ貧乏学生だったもので、招待所に潜り込んでいたのですが、そのとき夏の蚊対策で使ったのが蚊取り線香でした。
共同台所や洗面所にも蚊が大量に発生したので、蚊取り線香のにおいをかぐと、その当時の生活が走馬燈のように思い浮かんできます。国費留学で来ていたベトナム人のグループも一緒でした。
私は、夜は蚊帳を使って寝ていました。中国式の天井からぶら下げる蚊帳は、重宝したものです。招待所の階下がなぜか女子寮でして、階下から華やかな声が聞こえてきたものです。
夕方5時半にはお風呂セットをもって共同シャワーに行ったものです。7時にはお湯がなくなるので、必死でしたが。。。裸電球のシャー室は、まるで監獄の様でした。
しかし、これも15年近く前の上海のこと。いまやその招待所もすっかりと様変わりしました。立派なホテルになっています。
香りから様々な想い出がよみがえるものです。
今週末からはバンクーバーですが、昔の想い出がすぐによみがえってくるのでは?と期待しています。その当時、私は英語はおろかフランス語も喋っていたそうです。
子供の時の語学力はすごいですね。
その当時の記憶は断片的でも頭に残っています。視覚と嗅覚が合体したとき、なんかすごい想い出がよみがえりそうでワクワクしてきます。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
2008年09月21日
炸酱麺が食べたくなった
妻も私も突然東北料理が食べたくなり、うちの近所の行きつけの店へ自転車を走らせました。
東北料理に関しては料理好きでも上海出身の妻はまだまだ修行中。というわけで、東北人の友達ができたら料理を教えてもらったり、レストランに食べにいったりしているのですが、上海料理とまったく方向性が違います。でも、それはそれで魅力いっぱいです。
シンプルでかつワイルド、それが私のイメージする東北料理なのですが、その典型が北方人が大好きな炸酱麺だと思います。
思いっきり太い麺に、ちょっとコテコテのしょっぱい味噌ソースをばっとかけて食べる麺です。汁もタレもないのだけど、ぶつ切りされた葱やキュウリと一緒に食べると、これまた美味しい。熱々のかけ麺とでも言うのでしょうか。
妻はというと、肉の固まりにかぶりついていました。ダイエット中の私は遠慮しましたが、骨に食いつく様子をみると、う〜ん、旨そう。。。
東北料理に関しては料理好きでも上海出身の妻はまだまだ修行中。というわけで、東北人の友達ができたら料理を教えてもらったり、レストランに食べにいったりしているのですが、上海料理とまったく方向性が違います。でも、それはそれで魅力いっぱいです。
シンプルでかつワイルド、それが私のイメージする東北料理なのですが、その典型が北方人が大好きな炸酱麺だと思います。
思いっきり太い麺に、ちょっとコテコテのしょっぱい味噌ソースをばっとかけて食べる麺です。汁もタレもないのだけど、ぶつ切りされた葱やキュウリと一緒に食べると、これまた美味しい。熱々のかけ麺とでも言うのでしょうか。
妻はというと、肉の固まりにかぶりついていました。ダイエット中の私は遠慮しましたが、骨に食いつく様子をみると、う〜ん、旨そう。。。
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