旅の途中、インターネットができる環境が十分でなく、ブログの更新が滞りました。
今日は時差ぼけで眠たい目をこすりながら、上海で出勤です。とりあえず、戻ったことをご報告しまして、ブログの空いているところは、記録もかねてこれからうめていきます。
ロッキー山脈に行った後、バンクーバーに一旦戻り、そのあと東方航空の飛行機で、上海へ。
帰りは、12時間の飛行で、行きの9時間半と比較すると、かなり疲れました。機内食は、昼ご飯と晩ご飯で、中で1回サンドイッチが出てきました。
食事時に暖かいパンが出てきたのも行きと同じですが、しかし機内には前方のテレビで映画が上映されているぐらいで、その他のアトラクションものは何もなく、ひたすら読書とi-pod touchにの音楽で過ぎる時間をじっと我慢。「苦行」です(笑)。特に、帰りの便は12時間にわたって太陽が沈むことがないので、変な感じです。
あと、東方航空の座席のシートピッチは狭いので、最後まで缶詰でした。バンクーバーから上海へ戻る東方航空便は相変わらず満席状態。中国の連休の最終日だけに、本国に戻る人も少なくありません。
ところで、バンクーバーの空港はとてもいい雰囲気です。
カナダの自然を強調したイメージで、待合いエリアにも、水が流れていたり、大きな水槽に魚が泳いでいるなど、いろいろ工夫されています。
土産物店や外食産業も免税エリアにたくさんそろっているので、待ち時間を十分に活用できます。散歩も楽しめました。
今回のカナダ行では、もちろん私自身の論文の発表や会議、学術交流など様々なイベントがありましたが、最も興味深い事として、今まで知るチャンスのなかった海外にいる華人についてその現状をいろいろ知ることができました。
1997年の香港返還時に、カナダ・バンクーバーなど海外に移民した華人たちが多かったのですが、今では逆に中国本国や香港に戻ってしまった人が増えているようです。DownTownにあったチャイナタウンの荒廃もそれと関係があると聞きました。
その背景に、「移民した」という表現は、中国人の間では響きはいいものの、現実は決して甘くなく、バンクーバーで生きていくことの難しさも関係しています。住みやすいけど稼ぎにくいというのが現地の華人の声でした。
一時、私の周りには、それこそ誰もが海外移民を目指していたことがありましたが、今では中国の発展とともに、より現実を見直す方向に進んでいるようです。
そして、バンクーバーの華人社会は、カナダの社会全体の中でも、一種の特殊な独立した階層を形成しているのではないかと思いました。
もちろん、路線バスやバンクーバーの街の中でもたくさんの上海人に会いました。
そうした人の多くは、我々が上海でみる上海人同様、マナーや生活様式がほぼそのままで、海外に住んで地域に同化していくといより、頑なに上海の生活様式を守っていました。
そこには、欧米の姿がほとんどなく、私があまり体験したことのない社会の構造がカナダにはあるのだなと思いました。それが、華人社会の発展の様式なのかもしれません。
ちなみに、バンクーバーでも上海のマナーが生きている、どういうことか想像がつきますよね。「街の中で痰を吐くな」という標識が、出現しているぐらいという話をバンクーバーで聞きました。
例えば、上海で日本人居住エリアに住んでいる日本人とも対比できるかもしれません。
一方で、バンクーバーでは白人と華人との接点は、意外と少ないように思いました。これだけ華人がいても、白人にとって大事なのは英語とフランス語ですからね。中国をイメージできていないカナダ人白人も多いことにも驚きました。
中国人にとって「移民」というのは、それほど大事なことなのか、日本人の我々にとってはなかなか理解が難しい。
それだけ、日本という国が恵まれている証拠なのです。
2008年10月05日
バンクーバーから上海に戻る
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類