2008年10月31日

産婦人科の廊下にて

 私の場合、国際結婚で、両親が日本にいるために、なかなか上海に出てこられないのは事実です。初孫ができたといっても、まだ写真だけでしか見せることができません。また、必然的に義母・義父に頼ることが多くなります。義母・義父が健在で、上海にいてくれることは、本当に助かっています。まずは、大感謝です。

 もちろん、私自身も中国語や上海語の聞き取りなどは問題なく、諸手続も全部自分でできるとはいえ、子供を上海でつくるとなれば、上海の中国人社会にどれだけ融け込められているかが大きなポイントになります。

 この点、十数年いた私の上海キャリアには、いろいろ助けられました。それでも、日本人とし優遇されていたこともしばしあるわけで、いろいろな側面から中国人社会の厳しさも身を以て知ります。

 それは、私自身が上海人ではなく、顔が似ているから田舎から来ている中国人と勘違いされることが多いとしても、上海人には上海人のテリトリーがあり、その内側にはいる難しさというのを感じます。

 そんなとき、妻は上海人なので、地元上海のことに関してはなにかと詳しく、また上海人の親戚・友人も多いので、今回の出産ではなにかと助けてもらいました。

 私が上海でがんばってもどうにもならないことは、やはり妻の助けを借りるしかありません。そういった地元人の強みは、何事にも換えられません。

 逆に、私が今度妻と子供を連れて日本へ里帰りをしたとき、リードできる力も置いておかなければなりません。日本人で、中国にあまりにも長くいて、日本では「浦島太郎」というのは、もっともよくないパターンと考えています。私も仕事やなんやかんやいって日本とのパイプは持ち続けています。
 そして、その延長線上で、子供には日本人の血が流れているというアイデンティテーはぜひ持っていて欲しいと思っています。

 ただ、一方で、子供に中華民族の血が流れていることも誇りに思って欲しいとおもいます。
 なぜか、私は中国にきたその日から、なんとなく「華人と結婚するのだろうな」という予感はしていたのですが、その背景にあったのは、やはりたくましく世界を生き抜く華人たちのバイタリティーへのあこがれかもしれません。カナダ・バンクーバーへいったときも、その思いが一層強くなりました。

601ベッドにいました。記念に。


 話は変わりますが、産婦人科というのは本当に素晴らしい科です。たしかに仕事がきついですが、日本で医師不足の象徴となっているのは悲しい限りです。

 私も内科病棟に勤務していたことがありますが、ここでは退院するときに患者数が減ることがあっても増えることはまずありません。でも産婦人科は、入院すると大部分で人数が増えて退院してきます。そして、輝かしい未来への希望を生み出す、すごく明るい病棟なのです。

 夜、毎晩の妻の付き添いで寝ることが出来なくても、廊下でインターネットで仕事をしていると、どこからとなく聞こえる妊婦さんの陣痛の叫び声や、夜元気よく啼いている赤ちゃんの声には、元気をもらえます。

 産科の手術室の前には、今か今かと待ちかまえる家族たち。私も一目我が子を見せてもらったときの感動を今でも鮮明に覚えています。

 私も含めた付き添いの新パパたちの表情が明るく、どのカップルも妻を献身的に介護している姿は、本当にいいものです。出産を経験すると、夫婦の絆が強くなると言うのはよくいわれますが、私たちもまさしくそうだと実感しました。これには国籍も人種も関係ありません。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類