私も上海が長いですが、正直いって今回ほど一般に「民工」と呼ばれる出稼ぎ労働者の人たちと親しく付き合ったことはありません。食事も一緒にしましたし、夜までいろいろ語り合ったこともありました。
結果的に彼らからは本当にいろいろなことを学びました。中国流というものも知りました。たしかに文化の違いから起こる問題はありますが、純朴でどの業者もよく仕事をしてくれました。1日15時間以上は仕事をしています。とにかく大工さんとはしっかりと意思疎通をすることです。これで大抵のトラブルは防げるはずです。私もたまに彼らの晩御飯のおかずにと差し入れもしました。
うちの棟梁である郭さんは、浙江省出身ですが、そのパートナーの石さんとは親戚関係で、さらにペンキ屋とも同じ村の近所仲間であることは以前に書いたとおりです。いずれも中学校を卒業したあとに、建築の世界に入って、上海に出稼ぎに来たそうです。数十年のキャリアがあることは、使い込まれたカンナなどをいるとよくわかります。地下鉄でカンナとノコギリをもっている民工をみたら、おそらくその大部分は大工さんでしょう。かれらはこれにちょっとした日用品の入った麻袋をもって大上海を自在に移動して内装の仕事を請け負います。営業活動に使うのは携帯電話だけ。
それでも、内装依頼が殺到し、2ヶ月前には予約が必要とか。祖父・親子3代にわたって内装工事をした家庭もあるといっていました。彼らは春節までにあと2軒の内装を仕上げないといけないそうです。噂と紹介だけで仕事が成り立っているということで、さすが中国の人間ネットワークだと思いました。そういう私も中国人の友達の紹介で彼らをしりました。
上海では、大工に直接内装工事をお願いする場合が多いので、たいてい各家庭に親しい大工がいて、竣工後もトラブルがあれば大工と連絡を取り合っているようです。いわゆる「ホーム・大工」です。
うち郭さんは春節以外は殆ど現場で寝起き。もちろん上海に自分の帰る部屋はありません。たまに仕事の合間をみてバスで4時間かけて浙江省の田舎へ帰るそうですが、それも2,3日だけ。奥さんはきっと寂しい思いをしていることでしょう。子供にはしっかりと教育をつけたいと、念願の大学に進学させました。専攻は経済学だとか。そのためにもしっかりと稼がないと、と言っていました。
【今振り返ってみると】
人の縁とは不思議なもので、上海浦東で歩いていると、郭さんにばったり出会ったことがありました。話をすると、まだ元気に大工仕事を続けているそうです。彼らは考えてみれば出稼ぎ第一世代にあたる人たちですね。まだ上海に根ざすつもりはなく、農繁期になると田舎に戻りますが、これからもう農業をせずに都会に残る世代も増えてきています。