2009年01月01日

上海で買ったおせち料理

 今年は、しんせん館さんのおせち料理(290元)をお正月にいただきました。

 上海人の妻にも、日本のおせち料理を食べさせたくて、予約注文。ここの場合は、インターネットで注文できますが、完成品は自分で取りに行かなくてはなりません。

 なかなか立派なプラスチックの重箱にいれられていました。大好きな伊達巻きも別注で注文。伊達巻きは、甘党の上海人にも受けるようで、うちの妻も大好きです。去年の正月に私が日本から持って帰ったので、妻も食べたことがあるのです。

 そして、元旦の夜は、うちの会社のメンバーも我が家にやってきてみんなでおせちを囲んで食事しました。すき焼きも食べて、かなりまんぷくです。

 日本人の上海生活、本当に便利になりましたね。いまやおせち料理ですら、お総菜として揃ってしまいます。しんせん館に予約したおせちを取りに行ったときも、テーブルの上にはまだ沢山の予約済みおせち料理がありました。

 さあ、次は春節を満喫しないと。

 1年に2回、新年を体験できる中国ならではの楽しみです。
 

2009年のおせち料理
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

竜華寺の初詣でスタート

 2009年の初詣、やはり竜華寺にいってきました。ここは、私にとっては氏神様のような存在です。

 なんせ、母校である上海中医薬大学が、その昔はこの近くにあったので、留学当初から頻繁に来ておりました。縁日などもあったりして、結構楽しかったものです。それ以来、新年の初詣は、竜華寺と決めております。

 昨日は、20年目の除夜の鐘つきで、拝観料が200元とべらぼうな値段がついておりましたが、今日はいつもと同じ10元。ちゃんと、お線香ももらえます。

 春節になると、今日の比でない数の中国人の参拝客が押し寄せますが、新年1日はいたって平穏でした。竜華寺の初詣は、春節詣よりも元旦詣をお薦めします。

 このお寺には、様々な愛着をもっている上海人も多く、私の同級生にも昔、ここにお参りしたから上海中医薬大学に合格できたんだ、と言っている人が結構いました。道理で、門の入り口には、願い事を木にぶら下げるコーナーがあり、今年も所狭しとぶら下げられていました。

 

 中国式のお参りですが、いつ見ても特徴的です。日本人だったら、さしずめ靴をぬいで正座してお経を唱えるところでしょうが、こちらでは靴を脱ぐ習慣がないので、膝をついて、線香を頭に掲げる方法が一般的。

 ただ、頭に線香を掲げて振るので、線香の火の粉が飛びやすく、お子さんにはご注意ください。

信仰深い人は結構多いです


 そして、ここの名物である素食(肉類を使っていない)ラーメンをいただく。(10元)これも、私の毎年の年中行事で、初詣にきたらラーメンをいただいて、1年の無事をお願いします。

 静安寺にお寺直営のラーメン店があるのですが、個人的には竜華寺のほうが好きです。
 中に、素食のエビなども入っているのですが、もちろん本物のエビではなく、なんかお寺でありながら、俗世への未練が断ちきれないようで、結構、結構。

 今年は娘が小さいので、妻は来られませんでしたが、おみやげにこれもここの名物である素食の「八宝飯」を購入。

 2009年を健康で元気に暮らせますようにお祈りしました。神頼みはむしろこれだけで十分です。

【データ】竜華寺 地図

新年一発目のラーメンです
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

初日の出、「運」に向かって

 いよいよ2009年がスタートしました。

 爆竹、花火の嵐は、本当は春節の大晦日がメインなのですが、なぜか12月31日もうちの近所で結構鳴らされていました。ちょっとびっくり。

 今朝の上海は、見事に快晴です。我が家からみる初日の出も、最高でした。

 今日ぐらいはゆっくり寝ようかと思っていたのですが、結局いつものように5時ぐらいにめが醒めてしまったので、さっさと起き出していろいろ勉強していました。この休み、しっかりと知識の充電をしないと。。。。

 考えてみれば、私にとっては2008年は「大変化」の年でした。振り返ってみると、論文発表、医学博士取得、カナダで学会発表、そして娘の誕生、さらにうちの編酋長から、上海事務所を任され、ビジネスの方もますます充実してきました。売り上げも社員全体の努力で、2008年下半期から伸びてきました。嬉しい限りです。
 そして、中医クリニックでは、本当に多くの皆様とお知り合いになることができました。公私ともに非常に変化がある年で、2009年どころか、今後私の人生の基礎となる礎の出発点ともなりました。

初日の出


 人は、時々成功した人に対して、場合によっては心の中でも「運がよかった」というような言い方をしますが、私は「運」という私たちがどうしようもない不可抗力が、この世の中に存在し、それが人に大きく影響を与えると思っています。

 そしてそのさまざまな「運」の代表が「時」だと思うのです。我々が操作できず、我々にとって一番公平なものが「時」です。自分の人生の上で、この「時」との巡り合わせが、まさしく「運」だと思っています。

 世の中の大きな流れは、「時」の移り変わりとともに変化していきます。そして、自分自身の年齢も、時間とともに増えていきます。例えば、80歳になって、これからなにがしらで貢献しようと思いついても、それは20歳で思いついた場合と比較すると、明らかに貢献できる「時」が少ないのです。それも「運」なのでしょう。

 そういった意味では、年齢と「運」はまさに直接的に関係あるものでもあり、より若いときに人の思いつかなかったことを発見し、それに向かって驀進できる人は、素晴らしい「運」の持ち主であり、これに「驀進する」という努力が合わさったら、とんでもないパワーを発揮させることができます。

 でも、逆に、人の思いついたことを反復や真似ばかりしてみたり、加えて時の流れに敏感になることができなくなったら、「運」がやってきません。いや、自爆してしまう可能性もあるでしょう。

 麻生首相がいうには、今や100年ぶりの不景気だそうですが、それはともかく、結局今回の不景気も、みんなが「これは儲けられる」、ということを、あまりにも反復して全体でやってしまった結果なのであり、言ってみれば個人個人が、いや社会全体が、その「運」を使い果たしてしまったといっても過言ではないと思うのです。
 
 いずれにしろ、こうした時の「運」を迎え入れるのは、紛れもなく個人洞察力であり、誰かが言ってくれるモノでもありません。
 おそらく、政府がいくら経済対策や雇用対策を発表しても、お金は世の中に回るかもしれないが、それが個人、個人にとっての景気の根本的な解決にはならないと思うのです。会社も、会社自身を救うことがあっても、慈善団体でない限り、個人の問題まで一々関わってくれません。
 

 1996年に私が中国にやってきたとき、多くの人はまだ今のような中国の躍進を想像できていませんでした。私が中国に島流しになったという人もいたぐらいです。
 ところが、いまや中国は世界に影響力のある国として、中国のニュースが日本に新聞を賑わさない日はありません。まさか、中国に関する情報発信がこれほど増えるとは、思いもしませんでした。

 ただ、その中国も、とくにこの上海に関してはかなり手垢がついてきました。これは、上海に長く居ている私だからこそ、第六感で感じることができます。そして、今はそのパイを、大多数が奪い合うような熾烈な戦いとなりつつあります。

 13年間の情報量が、私にとって大きな粮となりつつあります。となると、明らかに次なる戦略に動き出すとき、それが私にとっての2009年だと思っています。
 それはなにか?もちろん、まだまだお教えすることはできません。

 2009年の皆様へのご挨拶として、本年もよろしくお願い申し上げます。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類