いよいよ2009年がスタートしました。
爆竹、花火の嵐は、本当は春節の大晦日がメインなのですが、なぜか12月31日もうちの近所で結構鳴らされていました。ちょっとびっくり。
今朝の上海は、見事に快晴です。我が家からみる初日の出も、最高でした。
今日ぐらいはゆっくり寝ようかと思っていたのですが、結局いつものように5時ぐらいにめが醒めてしまったので、さっさと起き出していろいろ勉強していました。この休み、しっかりと知識の充電をしないと。。。。
考えてみれば、私にとっては2008年は「大変化」の年でした。振り返ってみると、論文発表、医学博士取得、カナダで学会発表、そして娘の誕生、さらにうちの編酋長から、上海事務所を任され、ビジネスの方もますます充実してきました。売り上げも社員全体の努力で、2008年下半期から伸びてきました。嬉しい限りです。
そして、中医クリニックでは、本当に多くの皆様とお知り合いになることができました。公私ともに非常に変化がある年で、2009年どころか、今後私の人生の基礎となる礎の出発点ともなりました。
初日の出 人は、時々成功した人に対して、場合によっては心の中でも「運がよかった」というような言い方をしますが、私は「運」という私たちがどうしようもない不可抗力が、この世の中に存在し、それが人に大きく影響を与えると思っています。
そしてそのさまざまな「運」の代表が「時」だと思うのです。我々が操作できず、我々にとって一番公平なものが「時」です。自分の人生の上で、この「時」との巡り合わせが、まさしく「運」だと思っています。
世の中の大きな流れは、「時」の移り変わりとともに変化していきます。そして、自分自身の年齢も、時間とともに増えていきます。例えば、80歳になって、これからなにがしらで貢献しようと思いついても、それは20歳で思いついた場合と比較すると、明らかに貢献できる「時」が少ないのです。それも「運」なのでしょう。
そういった意味では、年齢と「運」はまさに直接的に関係あるものでもあり、より若いときに人の思いつかなかったことを発見し、それに向かって驀進できる人は、素晴らしい「運」の持ち主であり、これに「驀進する」という努力が合わさったら、とんでもないパワーを発揮させることができます。
でも、逆に、人の思いついたことを反復や真似ばかりしてみたり、加えて時の流れに敏感になることができなくなったら、「運」がやってきません。いや、自爆してしまう可能性もあるでしょう。
麻生首相がいうには、今や100年ぶりの不景気だそうですが、それはともかく、結局今回の不景気も、みんなが「これは儲けられる」、ということを、あまりにも反復して全体でやってしまった結果なのであり、言ってみれば個人個人が、いや社会全体が、その「運」を使い果たしてしまったといっても過言ではないと思うのです。
いずれにしろ、こうした時の「運」を迎え入れるのは、紛れもなく個人洞察力であり、誰かが言ってくれるモノでもありません。
おそらく、政府がいくら経済対策や雇用対策を発表しても、お金は世の中に回るかもしれないが、それが個人、個人にとっての景気の根本的な解決にはならないと思うのです。会社も、会社自身を救うことがあっても、慈善団体でない限り、個人の問題まで一々関わってくれません。
1996年に私が中国にやってきたとき、多くの人はまだ今のような中国の躍進を想像できていませんでした。私が中国に島流しになったという人もいたぐらいです。
ところが、いまや中国は世界に影響力のある国として、中国のニュースが日本に新聞を賑わさない日はありません。まさか、中国に関する情報発信がこれほど増えるとは、思いもしませんでした。
ただ、その中国も、とくにこの上海に関してはかなり手垢がついてきました。これは、上海に長く居ている私だからこそ、第六感で感じることができます。そして、今はそのパイを、大多数が奪い合うような熾烈な戦いとなりつつあります。
13年間の情報量が、私にとって大きな粮となりつつあります。となると、明らかに次なる戦略に動き出すとき、それが私にとっての2009年だと思っています。
それはなにか?もちろん、まだまだお教えすることはできません。
2009年の皆様へのご挨拶として、本年もよろしくお願い申し上げます。
posted by 藤田 康介 at 00:00|
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