2004年12月21日
中国の内装のカタログをいろいろと見ていたら、まず気がつくことがあります。それは天井の「間接照明」がやたらと多いことです。つまり天井にさまざまな形状をつけて、蛍光灯を直接見えないように埋め込むのです。ところが、大きい家ならともかく、面積が小さいリビングやダイニングにもこの「間接照明」をつけるわけですから、仕上がりをみると非常に「ごってり」しているように感じてしまいます。
思いっきり豪華にしようという発想は分かりますが、その豪華の意味合いが、どうも我々日本人には理解しがたいところがあるみたいです。結局、それだけの間接照明をつけても、実際にスイッチを入れるのは年に1回か2回だけ。でもそのために間接照明をつけるそうなのです。(私の中医学の師匠談)
いずれにしろ私もダウンライトを入れるために小さな吊天井をリビングに作ってもらいました。吊天井は中国語で「吊頂」といいます。初めは面倒な作業かな?とも思っていたのですが、じつに簡単で、木の枠に石膏ボードを貼り付けておしまい。半日でできてしまいました。
一般的に吊天井を使う代表的な場所は浴室と台所です。天井にある配管を隠すために、これはどの家でも行われる作業です。浴室は湿気も多いので、一般に金属の吊天井がつけられます。
【今振り返ってみると】
つり天井、結構くせ者です。どうも、あとで仕上げに凸凹が生じてしまい、あまり満足のできる仕上げではありませんでした。
あと、ガス検知器や煙検知器などを、しっかりとつり天井にぶら下げておく必要があります。うちの近所でも、つり天井の内側に付けたままにして、全く意味をなしていないところが少なくありません。
2009年01月11日
(リバイバル)間接照明
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
すごい上海の消費熱
今朝、7時半に近所の聯洋住宅地のカルフールへ買い物にいったら、もうシャトルバスで駆けつけた上海地元のおばちゃんたちで黒だかりでした。
お目当ての割引商品があるようで、みんな目標に向かって突進します。そして売り場には早々に長い行列が出来ていました。
私は、普段この時間帯にはあまりカルフールへ買い物に行かないのですが、妻に言わせると、「この時間帯には行きたくない。」ということでしたが、その理由が、確かに分かりました。
いつもお昼や夜にはあまり見かけない客層が、一気に押し寄せているのです。どちらかというと、年金などで生活している高齢者で、さらにシャトルバスで遠くからやってくる買い物客が多いのが、この時間帯です。
だから、人だかりができるエリアがいつもと違います。パン売り場などは見向きもせず、生鮮食料品や肉売り場が大いににぎわっていました。
一方で、午後から夕方にかけては、今度はまた違う客層が登場します。近所の人が中心で、いわゆる中産階級で、あまりバーゲン品には並びません。そのかわり、カートンの中には1週間分とも思われる大量の食料品が入っていて、冷凍食品や加工食品のコーナーがにぎわいます。
さらに、今日の中医クリニックの診察を終えたあと、夜に買い物で寄った徐家匯の家電量販店「Best Buy」では、これまたすごい人だかり。パソコンなどを物色している20代〜30代の若者が多数押しかけていました。
世界がいま金融不況で大変なことになっているのに、そんな雰囲気は微塵も感じられません。とにかく、すごい人なので、レジでしっかりと並ばされました。
この現象が何を意味しているのか、私は経済の専門家ではないのでうまく説明できませんが、ひょっとして上海の極端な格差社会がもたらしている一種の恩恵ではないかと思うのです。
つまり、市民の消費に対する要求は、集中したモノではなく、各階層ですべて異なっているのです。だから、スーパーなど小売店は、それぞれのニーズにあったものを出せれば、売り上げはそこそこ出るのではないかと思うのです。
さらに、各階層で消費ブームになるものも異なってきます。中国の市場は、極めて多様化したものであり、日本など先進国のそれとはまったく違うモノなのだと思います。だから、不況の構造も日本人が簡単に想像できるようなものではありません。
そして何より、仮に富裕層であっても、お金がなくなれば、それよりもレベルを下げたやり方で、違う階層の人たちが使う物でそこそこの生活を送ることができます。選択肢が多いのです。
なんと言っても、一生懸命活きる人たちの姿が、上海の街角では多く見られます。政府に頼ることなど出来ないわけだから、とにかく自分自身でたくましくならざるおえないのです。生活するために、不況で仕事がないなどと言ってられないのですから、前に進むしかないのです。
結局、上海という街は、自分に磨きをかけることが出来た人だけが生き残っていくことが出来るという過酷な世界なのでしょうね。
お目当ての割引商品があるようで、みんな目標に向かって突進します。そして売り場には早々に長い行列が出来ていました。
私は、普段この時間帯にはあまりカルフールへ買い物に行かないのですが、妻に言わせると、「この時間帯には行きたくない。」ということでしたが、その理由が、確かに分かりました。
いつもお昼や夜にはあまり見かけない客層が、一気に押し寄せているのです。どちらかというと、年金などで生活している高齢者で、さらにシャトルバスで遠くからやってくる買い物客が多いのが、この時間帯です。
だから、人だかりができるエリアがいつもと違います。パン売り場などは見向きもせず、生鮮食料品や肉売り場が大いににぎわっていました。
一方で、午後から夕方にかけては、今度はまた違う客層が登場します。近所の人が中心で、いわゆる中産階級で、あまりバーゲン品には並びません。そのかわり、カートンの中には1週間分とも思われる大量の食料品が入っていて、冷凍食品や加工食品のコーナーがにぎわいます。
さらに、今日の中医クリニックの診察を終えたあと、夜に買い物で寄った徐家匯の家電量販店「Best Buy」では、これまたすごい人だかり。パソコンなどを物色している20代〜30代の若者が多数押しかけていました。
世界がいま金融不況で大変なことになっているのに、そんな雰囲気は微塵も感じられません。とにかく、すごい人なので、レジでしっかりと並ばされました。
この現象が何を意味しているのか、私は経済の専門家ではないのでうまく説明できませんが、ひょっとして上海の極端な格差社会がもたらしている一種の恩恵ではないかと思うのです。
つまり、市民の消費に対する要求は、集中したモノではなく、各階層ですべて異なっているのです。だから、スーパーなど小売店は、それぞれのニーズにあったものを出せれば、売り上げはそこそこ出るのではないかと思うのです。
さらに、各階層で消費ブームになるものも異なってきます。中国の市場は、極めて多様化したものであり、日本など先進国のそれとはまったく違うモノなのだと思います。だから、不況の構造も日本人が簡単に想像できるようなものではありません。
そして何より、仮に富裕層であっても、お金がなくなれば、それよりもレベルを下げたやり方で、違う階層の人たちが使う物でそこそこの生活を送ることができます。選択肢が多いのです。
なんと言っても、一生懸命活きる人たちの姿が、上海の街角では多く見られます。政府に頼ることなど出来ないわけだから、とにかく自分自身でたくましくならざるおえないのです。生活するために、不況で仕事がないなどと言ってられないのですから、前に進むしかないのです。
結局、上海という街は、自分に磨きをかけることが出来た人だけが生き残っていくことが出来るという過酷な世界なのでしょうね。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類