生後3ヶ月にもなっていない娘ですが、春節を過ぎたら一気に2歳。(笑)
それはともかく、連日、妻方の親戚がお年玉(紅包)をもって我が家を訪れてくれます。
例年は、私たちがお年玉を持って親戚を訪問するのですが、子どもが小さいので今年は親戚のほうから訪問に来てくれました。
日頃電話で話することはあっても、なかなかあうチャンスがないので、こうやって訪れてくれると嬉しいものです。お茶でも飲みながら、いろいろ交流できました。
もうすぐ100日を迎えるので、そのときは親戚一同あつまって食事会となるでしょう。そうした中国の親戚とのつながりは大切にしたいと思います。そういった意味でも、中国人の春節は大切です。
今晩はさすがに爆竹は下火になりました。ゆっくりと寝させていただきます。。。
みんなさんも、中国で小さな子どものいる家に招待されたときは、紅包を忘れないようしてください。中国のお年玉です。
2009年01月26日
春節には親戚が我が家を訪問
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
リストラの果てに 〜日雇いに流れ込む人々〜
NHKスペシャル「リストラの果てに 〜日雇いに流れ込む人々〜」を見てしまいました。
なんだろう、すごく暗い気持ちになりました。もっとどうにかならないのかと考えてしまいます。
私も、かつて日本の建設現場で日雇いをして学費や生活費の足しにしていたことがあります。10年以上前のことですが、その当時はそんな暗いことはありませんでした。
確かに、下請けの建設業者がお金をもらえず社長が首をつるなんてことはありましたが、現場はまだイキイキしていたと思います。同じ頃、コンピューター会社で働いたこともありましたが、そっちよりもむしろ現場のほうが「働いた」という実感がありました。
昼になると段ボールを引っ張り出してきて昼寝したり、冬に冷たい弁当を食べたり、でも夏場に現場監督からもらえるジュースが非常に美味しかったり。いろいろな想い出があります。
日雇いというのは、いつも仕事があるとは限りません。仕事がある日は非常に嬉しかったものです。でもない時は、別のことを考えていました。そのときこそ人生の戦略を考える絶好のチャンスだと思うのです。いまとなればそんな時間はなかなかありません。
人生に何かの目的があるとき、一時的にも日雇いをすることは決して悲観的なものではないと思います。その為には、いつも流されないための自分の人生のキーワードを頭に浮かべておく必要があります。
10数年前の私の場合、「中医学」そして「上海」でした。日雇いの仕事をしながらでも、そのことは念じていました。そのためだったら、なんでも出来る。そんな覚悟があれば、日雇いなど怖くありません。
奈良高校時代のある先生が「死ぬ気になること」をよくいってらっしゃいました。キーワードを見つけることができれば、あとは「死ぬ気」になって突進しなくてはなりません。問題は多くの人がなかなか「死ぬ気」になれないのです。覚悟の問題ですよね。
日本は砂漠ではないのですから、よっぽどのことがない限りのたれ死ぬことはありません。だから中国の物乞いのように、自分からお金を欲しいともらいに行くぐらいのたくましさが、今の我々日本人には必要なのだと思います。目の前に器を置いていても、だれもお金を入れてくれないのですから。
番組を見ていたら、派遣会社の社員が、派遣労働者にモーニングコールをしている場面がありましたが、それではダメです。時間は止まってくれません。この一時、一時を過ごすことが、まさに決断と覚悟の連続だと思えば、寝坊なんてしてられないと思うのです。
30代まっただ中の私にとって、いまこの一瞬一瞬が自分を高めるチャンスだと信じていろいろなことをやっています。そしてその為には、まず時間を如何に有効に使えるかが私にとっては大きな試練となっています。
なんだろう、すごく暗い気持ちになりました。もっとどうにかならないのかと考えてしまいます。
私も、かつて日本の建設現場で日雇いをして学費や生活費の足しにしていたことがあります。10年以上前のことですが、その当時はそんな暗いことはありませんでした。
確かに、下請けの建設業者がお金をもらえず社長が首をつるなんてことはありましたが、現場はまだイキイキしていたと思います。同じ頃、コンピューター会社で働いたこともありましたが、そっちよりもむしろ現場のほうが「働いた」という実感がありました。
昼になると段ボールを引っ張り出してきて昼寝したり、冬に冷たい弁当を食べたり、でも夏場に現場監督からもらえるジュースが非常に美味しかったり。いろいろな想い出があります。
日雇いというのは、いつも仕事があるとは限りません。仕事がある日は非常に嬉しかったものです。でもない時は、別のことを考えていました。そのときこそ人生の戦略を考える絶好のチャンスだと思うのです。いまとなればそんな時間はなかなかありません。
人生に何かの目的があるとき、一時的にも日雇いをすることは決して悲観的なものではないと思います。その為には、いつも流されないための自分の人生のキーワードを頭に浮かべておく必要があります。
10数年前の私の場合、「中医学」そして「上海」でした。日雇いの仕事をしながらでも、そのことは念じていました。そのためだったら、なんでも出来る。そんな覚悟があれば、日雇いなど怖くありません。
奈良高校時代のある先生が「死ぬ気になること」をよくいってらっしゃいました。キーワードを見つけることができれば、あとは「死ぬ気」になって突進しなくてはなりません。問題は多くの人がなかなか「死ぬ気」になれないのです。覚悟の問題ですよね。
日本は砂漠ではないのですから、よっぽどのことがない限りのたれ死ぬことはありません。だから中国の物乞いのように、自分からお金を欲しいともらいに行くぐらいのたくましさが、今の我々日本人には必要なのだと思います。目の前に器を置いていても、だれもお金を入れてくれないのですから。
番組を見ていたら、派遣会社の社員が、派遣労働者にモーニングコールをしている場面がありましたが、それではダメです。時間は止まってくれません。この一時、一時を過ごすことが、まさに決断と覚悟の連続だと思えば、寝坊なんてしてられないと思うのです。
30代まっただ中の私にとって、いまこの一瞬一瞬が自分を高めるチャンスだと信じていろいろなことをやっています。そしてその為には、まず時間を如何に有効に使えるかが私にとっては大きな試練となっています。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類
そこまで爆竹する意味があるのか?
娘はおかげさまで3時頃に1度起きておっぱいタイムとなりましたが、爆竹の影響を受けずしっかりと寝られたようです。ただ、日中の爆竹がこれまたけたたましく、とても安らかに眠られるような環境ではない春節初一の上海です。
昨夜の爆竹騒ぎですが、何となく去年より下火であったような感じがします。まあ、それでも大変な騒ぎであったことには変わりません。
さて、新年早々、朝7時ぐらいに上海の街の中を歩いてみると、爆竹や花火のあとがそこら中に散らかっていました。上海の新年のもう一つの風物詩といえば、やはりこの「ゴミ」だと思います。このゴミを掃除するために、毎年何万人という人たちが新年早々仕事をしています。
デカイ打ち上げ花火の燃えかすをみると、やはり騒ぎの大きさを実感できます。そして、あたりには硝煙が漂い、道路には爆竹などで使われた黄土が散らかっています。
この硝煙は体に決していい物ではなく、喘息などの発作の引き金になりますのでご注意ください。
無惨な残骸があちらこちらに
爆竹や花火のゴミを、やった人が片付けないという習慣も、これまた以前からのことで、目の前で掃除をしているのに、そのすぐ隣でバリバリやっている人も多く見かけます。
中国人からするとへっちゃらなことなのでしょうが、私からするとやっぱり変だと思いますね。
上海の場合、これだけ街が発展してきたのだから、そろそろ爆竹・花火の風習も変化してきてもいいようにも思うのですが、その気配はあまりありません。
それこそ、住宅で誰かが代表してまとめて爆竹をやればいいわけで、なにも何軒も同じようなバリバリを時間差攻撃でやるようなことはないと思うのです。いい加減にうんざりしてしまいます。
1996年に上海で初めて過ごした春節は、浦東の農村でした。その年も非常に寒かったのですが、農家の人のご好意で、心温まる春節を過ごせました。娘がもう少し大きくなったら、田舎に連れて行って、中国の本当の春節を体感させたいと思っています。
これぞまさに赤いカーペット(爆竹の燃えかすです)
昨夜の爆竹騒ぎですが、何となく去年より下火であったような感じがします。まあ、それでも大変な騒ぎであったことには変わりません。
さて、新年早々、朝7時ぐらいに上海の街の中を歩いてみると、爆竹や花火のあとがそこら中に散らかっていました。上海の新年のもう一つの風物詩といえば、やはりこの「ゴミ」だと思います。このゴミを掃除するために、毎年何万人という人たちが新年早々仕事をしています。
デカイ打ち上げ花火の燃えかすをみると、やはり騒ぎの大きさを実感できます。そして、あたりには硝煙が漂い、道路には爆竹などで使われた黄土が散らかっています。
この硝煙は体に決していい物ではなく、喘息などの発作の引き金になりますのでご注意ください。
爆竹や花火のゴミを、やった人が片付けないという習慣も、これまた以前からのことで、目の前で掃除をしているのに、そのすぐ隣でバリバリやっている人も多く見かけます。
中国人からするとへっちゃらなことなのでしょうが、私からするとやっぱり変だと思いますね。
上海の場合、これだけ街が発展してきたのだから、そろそろ爆竹・花火の風習も変化してきてもいいようにも思うのですが、その気配はあまりありません。
それこそ、住宅で誰かが代表してまとめて爆竹をやればいいわけで、なにも何軒も同じようなバリバリを時間差攻撃でやるようなことはないと思うのです。いい加減にうんざりしてしまいます。
1996年に上海で初めて過ごした春節は、浦東の農村でした。その年も非常に寒かったのですが、農家の人のご好意で、心温まる春節を過ごせました。娘がもう少し大きくなったら、田舎に連れて行って、中国の本当の春節を体感させたいと思っています。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類