2009年01月28日

土方歳三の石田散薬

 妻がどこからかNHK大河ドラマ「新撰組!」のDVDを手に入れてきて、この連休に一気に観ていたのですが、これがまたご丁寧になかなかのレベルの中国語の字幕がついていまして、私もびっくりしています。多少の誤訳はあるにしろ、侍言葉を旨く訳しだしています。
 それ以来、妻は新撰組の大フアンになってしまい、私もすっかりはまっています。
 
 近藤勇が香取慎吾、土方歳三が山本耕史、山南敬助が「篤姫」の家定役でも評判だった堺雅人。2004年に放映されたのですが、その当時、まだNHKワールドプレミアムが見られる環境ではなく、三谷幸喜 脚本とあってか、なかなかの力作に仕上がっていると私は思っています。

 どこからこういうDVDが出回っているのか私はよく知りませんが、NHKの大河ドラマは、中国人の間でもかなりの人気なのは確かです。

 「篤姫」で幕末を徳川幕府側でみてきたので、今度は浪士の立場から見た幕末に夫婦の間でもあーどもない、こーでもない、と討論になるのですが、今回は、土方歳三が多摩にいたころ行商で売っていた「石田散薬」について、ドラマでもよく登場するし、中医学をやっているものからすると非常に興味があり、少し調べてみました。

 まず、Wikiで調べてみると、石田散薬としての項目が立てられていました。ここには、「接骨や打ち身、捻挫、筋肉痛、また切り傷等に効用がある」とあります。ドラマでも確かに土方歳三がそのように言っていたことを記憶しています。

 原材料は牛革草で、「乾燥した牛革草を黒焼きにして鉄鍋に入れる。その後、酒を散布して、再び乾燥させる。」とあります。黒焼きにするという製薬の行程は、中医学にもあるやり方で、一般的には生薬の副作用を抑えたり、生薬を粉末にしたり、止血作用を高めたりするときに使う加工方法です。もちろん、これは炭になるまで真っ黒にするというワケではなく、生薬の香りや性質を残すという前提です。

 さて、この牛革草という生薬ですが、ミゾソバと呼ばれ、学名はPolygonum thunbergiiということが分かりました。中国ではこの名前では使われていませんので、さらに調べてみると、やはり中国伝統医学の生薬にもありました。

 中国でも、水辺や湿地帯に生息しているようで、中国名は戟叶蓼といいます。ただ、これは中国の薬草の専門書にはあまり出てこず、「薬典」では水麻芀(ShuiMaTiao)と呼ばれることがわかりました。江蘇省エリアでは、鹿蹄草とも呼ばれていたようですが、これがミゾソバと一致するかはすこし疑問です。

  いずれにしろ、水麻芀が牛革草と一致することはほぼ間違いないと思われます。

 中国の「薬典」では、去風清熱・活血止痛が主な効能になっていて、胃の経絡に属するもので、頭痛や咳、下痢、打撲などの外傷などにも効果があるようです。清熱作用がるので、打撲の腫れなどに外用薬としても使えますし、黒焼きにすることにより、止血作用もあると考えられます。
 ちなみに、中国の上海の中医学では殆ど使われませんが、おそらく中国のどこかではまだ使われているかもしれません。 

 こう見てみると、土方歳三が言っていた「接骨や打ち身、捻挫、筋肉痛、また切り傷等に効用がある」という商売文句は、ドラマでは「詐欺」のような扱いでしたが、決してそうでもなさそうです。おそらく先祖代々から何らかの形で伝わってきたのかもしれません。

 沖田総司が結核に苦しんでいますが、ひょっとした石田散薬も土方歳三が飲ませていたのでは、とかいろいろ想像を巡らしていました。

 Wikiにはさらに、「昭和23年頃に薬事法改正に伴う製造販売許可申請における成分検査でも「無効・無害」という結果が出たとされている。」と記載されていましたが、果たして、本当に漢方の考え方に基づいて使われて検証したのかはかなり疑問に残りますが、れっきとした中医学の生薬でもあったことを付け加えておきます。  

 ちなみに、お酒と一緒に服用するというのも、中医学の世界ではそう珍しいことではありません。石田散薬もそうだったそうですが、痛み止めや血の巡りをよくするなどの効能を考えると、それもありだったと考えます。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

VAIO Pが気になる

 私はここしばらくずっとパソコンは東芝を使っていまして、今もDynabook SSで、軽さといい、性能といい、丈夫さといい基本的にかなり満足していたのですが、先日、SONYからVAIO Pが発売されて、かなり気になっています。

 ジーンズのポケットに入れるのは無理にせよ、うちやすそうなキーボードに、横に幅の広いディスプレ。さらに、バッテリーパックLを使うと実質4〜5時間持つというのもかなり魅力。なにより、128GのSSDが選択できるので、全く音のしないフアンレスのノンスピンドルパソコンができるのにかなりひかれました。OSのVISTAはべつにいいです。もう慣れちゃったので。メモリは2Gが標準装備となっています。

 ノンスピンドルというのは一度使ってみたいです。いまのパソコン、どうしても使っている最中にフアンがうなり出すんです。とくに深夜や早朝には気になります。

 確かに、CPUがATOMなので、処理速度の速さは期待できませんが、面積的に今のパソコンの半分となるので、持ち運びが非常にラクになります。テーブルでも気軽にノートパソコンが出せる。そうなると、このSSは会社に駐在させておいて、VAIO Pで会社と家を往復し、家ではディスクトップというような使い方になると思います。僻地への取材などにも使えそう。

 さらに、内蔵のワイヤレスWANにも期待していまして、日本の地方へ取材や学会などに出かけても、インターネットができてしまうというのも便利です。ドコモのWCDMAに対応しているので、中国では聯通系の3Gと方式が同じですが、これはSIMロックの問題が残ってしまいますね。
 でも、USBも使えるので、地下鉄や移動中のメール程度なら、外付けで解決方法はあります。SIMロックの問題も、おそらくいつかは解決されるかも。。。

 ニュースでは赤字決算のSONYですが、こうやって物欲をかきたてるものを作るところはさすがですね。消費者もほしいものには絶対お金を出します。いや、ひさしぶりに「欲しい」と思わせるものが登場しました。

 もうすぐワイヤレスWAN搭載機種の先行予約がはじまるので、早速検討してみたいと思います。ちなみにドコモに契約すると3万円のキャッシュバックだそうです。ただし、定額データプランHIGH-SPEED“バリュー“、定額データプラン64K、定額データプラン64K”バリュー”などが使えないので、本当に3万円徳かといえば、疑問が残りますが。

 それでも、私のようにモバイルすることが多い仕事形態では、VAIO Pクラスのパソコンは必需品になる可能性が高そうです。携帯電話ではできないけど、ノートパソコンも要らない程度の仕事のニーズに応えてくれるのではないかと期待しています。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

(リバイバル)我が家の民工さん

2005年1月16日

 私も上海が長いですが、正直いって今回ほど一般に「民工」と呼ばれる出稼ぎ労働者の人たちと親しく付き合ったことはありません。食事も一緒にしましたし、夜までいろいろ語り合ったこともありました。

 結果的に彼らからは本当にいろいろなことを学びました。中国流というものも知りました。たしかに文化の違いから起こる問題はありますが、純朴でどの業者もよく仕事をしてくれました。1日15時間以上は仕事をしています。とにかく大工さんとはしっかりと意思疎通をすることです。これで大抵のトラブルは防げるはずです。私もたまに彼らの晩御飯のおかずにと差し入れもしました。
 

左はペンキ屋さん、右は大工さん


 うちの棟梁である郭さんは、浙江省出身ですが、そのパートナーの石さんとは親戚関係で、さらにペンキ屋とも同じ村の近所仲間であることは以前に書いたとおりです。いずれも中学校を卒業したあとに、建築の世界に入って、上海に出稼ぎに来たそうです。数十年のキャリアがあることは、使い込まれたカンナなどをいるとよくわかります。地下鉄でカンナとノコギリをもっている民工をみたら、おそらくその大部分は大工さんでしょう。かれらはこれにちょっとした日用品の入った麻袋をもって大上海を自在に移動して内装の仕事を請け負います。営業活動に使うのは携帯電話だけ。

 それでも、内装依頼が殺到し、2ヶ月前には予約が必要とか。祖父・親子3代にわたって内装工事をした家庭もあるといっていました。彼らは春節までにあと2軒の内装を仕上げないといけないそうです。噂と紹介だけで仕事が成り立っているということで、さすが中国の人間ネットワークだと思いました。そういう私も中国人の友達の紹介で彼らをしりました。


上海では、大工に直接内装工事をお願いする場合が多いので、たいてい各家庭に親しい大工がいて、竣工後もトラブルがあれば大工と連絡を取り合っているようです。いわゆる「ホーム・大工」です。

 うち郭さんは春節以外は殆ど現場で寝起き。もちろん上海に自分の帰る部屋はありません。たまに仕事の合間をみてバスで4時間かけて浙江省の田舎へ帰るそうですが、それも2,3日だけ。奥さんはきっと寂しい思いをしていることでしょう。子供にはしっかりと教育をつけたいと、念願の大学に進学させました。専攻は経済学だとか。そのためにもしっかりと稼がないと、と言っていました。

【今振り返ってみると】
 人の縁とは不思議なもので、上海浦東で歩いていると、郭さんにばったり出会ったことがありました。話をすると、まだ元気に大工仕事を続けているそうです。彼らは考えてみれば出稼ぎ第一世代にあたる人たちですね。まだ上海に根ざすつもりはなく、農繁期になると田舎に戻りますが、これからもう農業をせずに都会に残る世代も増えてきています。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類