2009年04月04日

雨降る清明節、思索にふける

 まだ4時半だというのに、上海は薄暗く、いまにも大雨が降りそうな様相です。

 清明節で、本当に天から数え切れないぐらいの霊がおりてきているのでしょうか?外の様子が変に感じてしまうのも、気のせいではないかもしれません。

 朝からメールの返信や、原稿に執筆、そして中医学の症例研究にいそしみました。そのときは完璧だ!と思った処方でも、実はもっといいのができたのでは?と振り返り、ああでもない、こうでもないと思索にふけります。

 娘が寝ている時間を見計らって、妻とランチに。
 日頃の第一線の子育てに奔走している妻に、唯一私がしてあげることのできる気分転換の時間です。

 午後は雨がやんでいるのを見計らって、娘を連れて近くの川縁へ散歩にいきました。雨の中、浦東張家浜には桜並木が濡れていました。
 魚釣りに来ている人は、いつもの倍ぐらいで、今日のおかずを釣っているようです。春になってきて、魚も動き始めているのだとか。

 こんな天気の日でも、娘は外に出て行きたいとさわぐのですが、家に戻るとミルクを飲んで「コテン」と寝てしまいました。無邪気なものです。

 赤ちゃんの顔を見るのは、最高の癒しです。できることなら、こうしてずっと静かに暮らしていたいと思うのですが、今はそうもいきません。

 でも、いつかは実現させようと思っています。

 さあ、もうひとがんばりします。

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posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

VAIO P+藍牙で解決

 本当に簡単なことだったのですが、気がつきませんでした。
 しかし、今気がつきました!

 VAIO Pを使ってGPRS・EDGE方式のモバイルですが、単純に今持っている携帯電話の藍牙(Bluetooth(ブルートゥース))機能をONにして、VAIO Pと接続すれば、いとも簡単にインターネットができたんです。

 ああ、華為のUSBモデムなんかは、必要なかったワケなんですよね。もちろん、PCカードなどを別途購入する必要もなし。Bluetoothによる通信が、こんなに簡単だったとは、すこし拍子抜けです。お恥ずかしい・・・・・。

 VISTAの場合、VAIO PからBluetoothを使って携帯電話にアクセスし、「ネットワークに接続」から、「ダイヤルアップとVPN」を開き、Bluetooth Connectionの「ダイヤルアップ接続」を接続にすれば、携帯電話がGPRS・EDGE方式でダイヤルしてくれます。

 必要なのは、今の携帯電話で使っている中国移動のSIMカードを、データ送信用のセットで申し込むだけで良かったのです。中国の場合、日本ほどパケット料金が高くないので、比較的気楽に携帯電話のパソコン・データ通信ができます。

 どうせ、携帯電話は毎日持ち歩いているわけですから、緊急時のデータ通信などにも役立ちそう。

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posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

清明節・・・今、祖母逝去の連絡受ける

 たった今実家から電話があり、祖母が亡くなりました。

 昨日、いつものように病院にいき、なんら異常もなかったそうですが、その夜、自宅で食事中に亡くなりました。86歳でした。

 折しも今日は中国では清明節ですね。清明節は、あの世から亡くなったご先祖さんがこの世におりてくる日です。その為、上海人は墓参りにいくのですが、ちょうど偶然にもこの日にお迎えが来たと言うことです。

 上海の場合、長寿で亡くなったら、その大往生をみんなで享受し、喜ばしいことだと考えるようです。家族で食事をし、お椀などをお客さんにプレゼントする習慣があるところもあります。

 不思議な話ですが、大学病院に勤務していた頃、この清明節前後は大往生される患者さんが少なくありませんでした。昔の人はきっとそういった現象を知っていたのかもしれません。だからこそ、清明節はご先祖様をお祀りしなければならないということになったのだと勝手に私は推測しています。

 いずれにしろ、こうして自宅で亡くなることのできた祖母は非常に幸せだったと思います。医療技術が発展した今、自宅で亡くなることは至難の業です。

 ただ、唯一の心残りは、ひ孫にあたる娘を祖母に見せられなかったことです。仕事、仕事、と走り回っているうちに、なにか大切なことを忘れてしまったようで、猛反省です。実は、この3月に娘を連れて帰る話もあったのでした。。。。

 せめてもの救いは、祖母は私の上海和平飯店での結婚式には参加できました。高齢にも関わらず、参加できたことは本当に良かったです。

 祖母は、私たち孫たちの成長を楽しみにしていました。それが、生き甲斐のようでした。10数年前、上海に私が出てきたとき、一番心配してくれたのが祖母だったように思います。
 祖母にも無事医師資格取得を報告できたし、医学博士を取得できたことを心底慶んでくれました。今、仕事もなんとか順調に滑り出し、子供も授かることができました。最後に、祖母に心配をかけずに生きてこれたことを孫として誇りに思っています。 

 祖母はいつも「感謝」の言葉を忘れない人でした。とくに、晩年はこうやって長生きできたことをいつも非常に感謝していました。

 私も、今一度振り返って、こうして毎日生きていけることに感謝しなくてはいけません。健康に生きていけることが最高の幸せで、それ以上の贅沢はありません。医師として、中医学をする1人として、その精神を実践し、患者さんをサポートできるようにがんばらなければなりません。

 「感謝」という言葉。当然、祖母がいなければ、当然私もこの世に生まれてこなかったわけですから。
 人間は、生まれたその瞬間から、1人で生きることはできないのです。自分の娘をみても改めて実感しました。でも自分がこうして人の子の親になるまではそういったことはなかなか実感できませんでした。

 スケジュール的にこの時期の帰国は到底無理なのですが、妻と娘ともども、ここ上海から冥福を祈りたいと思います。 

 ちなみに、清明節ではなるべく慶事は行わず、お客さんも家にはなるべく接待しないようにと義母から言われていました。今日は中国人にとっても、特別な意味のある1日のようです。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類