1月4日に関空に向けて実家を出発する寸前に、小学校5〜6年生の担任の先生からお電話をいただきました。退職後、太極拳を日本全国で指導なさっているのですが、先生とはものすごいシンクロがあり、なんと上海でも再会したこともあります。人間の縁とは分かりません。
しかし、今回のお電話は悲しい知らせでした。実は、私の小学校3年〜4年時代に担任してくださった松本先生がお亡くなりになったということでした。
私は幼稚園〜小学校時代は三重県名張市桔梗が丘で過ごしております。
そういった意味では、奈良や上海に継ぐ第3の故郷は名張なのですが、小学生の好奇心旺盛な時代に緑豊かなエリアで過ごせたことは、私のその後の生き方に大きな影響を与えたといっても過言ではありません。
考えてみれば、中医学や漢方などの生薬などに接することができたのも、その原点は自身のそうした生い立ちと関係があると思うのです。
そして、その中でも小学校3年〜4年に過ごした2年間は私にとって最も強烈なインパクトを与えてくれた時期だと思っています。これには小学校の時の担任の松本先生の影響が大きかったと私は今でも思っています。
先生はご自宅が農家でもあり、よく遊びに行きました。カブトムシを捕りに行ったり、かまどに火を入れて料理をごちそうしてくださったり。ご自宅で椎茸栽培もされていて、取れたての生椎茸を刺身でたべて、椎茸のまた違った味に感動しました。20歳を越えてからは、お酒をさげていったことも。
近年、私も日本の農業に関心があり、日本に戻る度に伊賀市大山田の土地を見に行っているのですが、一度現場のお話を聞きたいと思っていた矢先、今回の訃報でした。非常に残念です。
思えば、一昨年にふと思い立ってお電話を差し上げたのが最後でした。
「上海人と結婚しました!」という報告の電話だったのですが、そのとき先生から「いい包丁を買うんだよ」というアドバイスをうけたことを記憶しています。お体をこわされて、「家でグータラしている」というような話をされていたのでしたが、「今度、妻を連れて遊びに行きます」といったきり、実現できなかったことが悔やまれます。
小学校時代、私は本当に多感な時代を過ごせたと思います。とくに日本の豊かな自然の恵みは何事にも替えることができません。そしてすばらしい先生方との出会い。今でもつながりがあることは、私にとっては本当に貴重な財産です。そういった意味では、自分の娘にそうした環境を与えてあげることができるか、これからしっかりと考えなければなりません。
我々人間の社会がどんなに発達しても、どんなに経済が発展しても、時間と命だけはどうしようもありません。ただ、過ぎゆく「現実」に甘んじるしかないのですが、あまりにも若くして亡くなられた松本先生のご冥福をお祈りします。
中国ブログランキングへ

「我が愛しの上海へU」-理想の中医学と漢方を求めて