上海万博の1日目のリハーサルに参加できて、私自身は結構いい印象をもったのに、サーチナさんの記事も、サンケイさんの記事もなんかぱっとしない話題ばかりですね。
というわけで、純粋に私が万博にいってきて、2日目にぶっ倒れるほど歩き回った私なりの感想をこのサイトの特集記事に投稿しました。
上海万博最新レポートです。自分で撮ってきた写真も沢山いれてみました。やっぱり、百聞は一見に如かずですよ。
模倣でも、盗作でも、準備の不備も、いまさらといった感じだし。
やれ「万博を開催する資格がない」とか、そんな昔の事を遡ってワイワイいう人たちも出始めていますね。
出稼ぎ労働者やボランティアたちの努力もあって、ここまで完成できたわけなのだから、今からは、何をすればこの上海万博を成功に終わらることができるか、考えましょうよ。そっちのほうがずっと精神的に楽しい。
過去のことを掘りくり替えして、2〜3秒程度の反省はするのはいいかもしれないけど、それをうだうだ言うのはよっぽど世間は閑なんだなと思います。
中国館の安藤忠雄氏の件にしても、安藤氏自身も建築設計で上海と関わりがあるわけだし、ニュースなどでもその建物を絶対みているはずです。だから、模倣云々より、人々が騒ぎ立てることのほうがずっと悲しいですよね。
きっと、中国の中で、世界の中でいろいろと前に出すぎていた、あまりにも絶好調に見える上海に対しての、中国人から、さらに全世界からの目が厳しくなっているのだと思います。
これは大変結構なことです。そして、上海がまた大きく成長するチャンスを与えられたのだと私は確信しています。
15年間上海と一緒に成長してきた私にとって、この今のような上海の変化は正直夢を見ているようです。もう正直上出来も上出来です。期待以上です。だって、いつの間にか、世界から注目される街になってしまったのですから。
本の宣伝です。私も執筆しておりますので、日本の本屋で見かけたらぜひ。 私自身に関して言えば、もし中国に中医学がなければ、上海には行っていなかったでしょうし、こうやって上海で仕事をする気なんて微塵もありませんでした。
私にとって、中国にいる最大の理由はここに中医学があるからなのです。中医学はつぶれもしないし、逃げもしませんからね。起業やビジネスを目指して来られる方とは、きっと違う感覚かもしれません。
1996年私が日本を出るとき、私の父から、「そのうち上海のほうが良くなって、帰ってこなくなるかもしれないね」と冗談半分に言われたことを記憶していますが、私は半信半疑でした。「そりゃないだろう〜」って。
でも、こうやって家族が私の背中をプッシュしてくれたからこそ、今ここに私がいるのだと思います。
正直、中国人の学生の中での医学部在学中の勉強はきつかったです。だけど、日々みるみる成長する上海と一緒にがんばっている気がして、それは大きな励みになりました。そして、密かに私をサポートしてくれた今の上海人の妻にも感謝・感謝です。沢山の中国人に助けられながら、私は成長しました。これは間違いありません。
そして、上海が国際的に実力を付けてくれば、そこで長く奮闘している私たちにとってもいいことです。よりハイレベルなサバイバルができるわけですからね。
ここにに私がいることはものすごい縁だと思っています。こうした上海との縁もこれからもはぐくんでいき、40代の自分に向けてうまくバトンタッチできるよう日々勉強に励みたいと思っていますし、さらに上海との縁が深まれば深まるほど、日本との関係も深まり、日本に呼ばれることも増えました。
うれしいことです。
上海万博センター なかなかすっきりした建物です。 死ぬまで芯がぶれない人生、これがいつでも私と妻の共通の目標です。
そういった意味では、子育てに忙しい中でも、中医学を放棄せずに仕事をがんばっている妻もすごいと思っています。中医学って、医学の一つだけど、不思議な魅力がいっぱい詰まっているのです。
中国ブログランキングへ

「我が愛しの上海へ2」-理想の中医学と漢方を求めて 本日更新しました。
posted by 藤田 康介 at 00:00|
未分類