2011年04月04日

中国での報道

 天気予報どおり今朝の上海は快晴です。

 うちの中医クリニックでは明日の4月5日は清明節でお休みしていますが、もともと火曜日は休診日なので私自身は通常どおりの診察です。今日4月4日もいつもの午前の診察はやっております。

 というわけで、本日午後から明日にかけて、車を運転して蘇州と太湖へ家族を連れて行こうと思っています。

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 こちらの3月31日の報道で、一応、東京税関の統計として、3月12日〜25日の間、東日本大震災での世界各国からのべ190回(合計1300トン)の救援物質が届けられている中で、中国が合計60回とアメリカの40回を抜いて一番回数が多いのだそうです。食料品や毛布、水や防護服などが贈られていて、先日も上海から野菜は被災地に贈られたという報道を見ました。中国の三一重工のセメント用ポンプ車も、福島第1原発で働いています。

 ただ、中国政府は救援物質の日本国内での配送に不満があるようで、物質を提供した国が、被災地まで運ばなくてはいけないという日本政府の要求に戸惑っているようで、国際的には到着後の荷物の分配は、日本政府がするべきだと主張しておりました。少なくとも、四川省大地震のときは支援物質の分配は中国自身でやったそうです。

 昨日の診察では、被災地から一時、上海に避難されていた日本人の患者さんを診察したのですが、被災地の様子をお話しくださいました。

 この方は、自宅が2階であったため、津波では家は持ちこたえたそうですが、ライフラインが寸断され、また自宅周りの家が壊滅的なダメージを受け、九死に一生を得た思いだったとおっしゃっていました。防災無線で、避難の声が鳴り響き、そうこうしている間に10メートルを超える津波が押し寄せてきたとのこと。そして、津波はその地域で、海岸から2〜3キロ内陸部まで入り込んでしまったのですが、標高100メートルほどの高台にある避難所はとりあえず大丈夫で、私もお話を聞いて少なからず安堵しました。

 ただ、地震・津波の問題は天災なのでともかく、福島第1原発の放射線の問題に関しては、もう少しどうにかならなかったのか、と先の見えない不安感をおっしゃいました。今回の大震災で、やはり厄介なのが原発の問題でしょう。漁業や農業がこの先どうなるのか、私も固唾をのんで見守るしかありません。

 なまじっか家が残ってしまったから、もっと自分たちより状況が厳しい人がいる中、避難所で救援物質などを受け取ることはできないと思うと、おっしゃっていました。だとするのなら、もし移動が可能なら、こうして一時的にでも被災地を離れて再起を目指すというのは、一つの選択肢だと思います。

 この方も、とりあえず近日中に日本に戻るメドがたったということで、私も内心すこしホッとしました。上海で復興への英気を養ってくださったように感じました。

 私も4月24日(日)の午後にまず東日本大震災向けに上海で活動します。詳しいことは、近日中にこのブログで発表します。

 

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posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類