2012年03月11日

再び3月11日を迎えて

 2011年の3月11日は、私は偶然にも日本に出張にいっていました。12日に上海にもどるちょうど一日前のことです。

 この時の出張は、そのちょうど1週間前に東京へはいり、11日の午後は奈良地元の生薬・漢方薬卸業者と会い、そのあとに大阪のホテル日航で、また別の製薬会社の社長をお会いしようとアポイントのために待っていました。そのとき、東北で巨大地震があることを新聞の号外と携帯のサイトで知りました。関西でも揺れたそうですが、移動時間中だったのか、私は全然気がつきませんでした。

 考えてみれば、その当時、この瞬間に日本がひっくり返るような大惨事が発生したとは思いもしませんでした。大阪では、至極平穏だったように記憶しています。ただ、私の携帯電話には中国からじゃんじゃん電話がかかってきました。
 大地震のニュースは、中国にも瞬く間に伝わり、私の安否を心配してくれた中国人の友人からの電話をたくさんいただきました。このときほど、中国の世界中でローミングできる携帯電話のありがたさを実感したときはありませんでした。同時に、海外からの反応に、とんでもない地震が発生したことを実感したのでした。

 そして、翌日12日になって刻々と伝わってくる被害の状況を関空のテレビでみながら、上海へ戻りました。普段、滅多に日本にいない私が、まさかこの大変な事態が発生するときに日本にいたこと自体が不思議だったのですが、これも何かの巡り合わせだったのかもしれません。

泉 裕泰日本国駐上海総領事のメッセージが、こちらの「新聞晨報」に。


 上海で生活していても、震災と無縁ではありません。日本から一時的に上海に避難されていた東北地方の患者さんも私のところに診察にいらっしゃいましたし、上海の日本人社会でも様々な活動が行われていました。私も、こちらでのボランティア活動に参加させていただきました。
 それ以上に、地元中国の皆さんの動きも速かった。日中関係が政治的にはお世辞にもいいとは言えない中でも、市民の草の根の動きがありました。上海日本領事館には義援金の行列もできました。

 あれから1年がたち、今年3月11日の中国のメディアもいろいろな形で、日本の大震災を振り返っています。

 『新聞晩報』では、地震発生当初に福島第一原発で働いていた50人の「勇士」について取りあげていました。さらに、第一面には、地震発生直前に誕生した日本人の子供の、今の写真を掲載していました。一方で、新華社は、福島県の人口が今後30年で半分になるのでは?という観測とりあげ、放射線問題との関連も含め、被災地復興が今後、悪循環の状態に陥るのではないかという記事も掲載しています。

 科学が発展し、ヒトがあらゆる自然災害を克服できるような幻想を持ってしまうこともあるかもしれません。しかし、その背景には我々が自然に対しての畏敬の念をふと忘れてしまい、今回の原発事故のような取り返しのつかない事態を発生させてしまいました。
 原発事故の行く末を、今でも世界中が注目しています。だからこそ、世界を納得させるようなやり方で、この問題に対して政府は対処して欲しいと強く思います。

 日本政府も、決して内向きになるのではなく、そういう非常時だからこそより一層近隣諸国との関係を密接にして欲しいと願うのです。

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【連絡】1月18日より中医クリニックは拡張移転しました。新しい住所は上海市中山西路1602号(×柳州路・徐虹北路)宏匯国際広場B座101室です。また土曜午後診察もはじまりました。週末診察は土曜日が午後・夜、日曜日が午前・午後になります。地図はこちらです。
posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

2012年03月08日

9日に上海へ戻ります

 日本滞在期間は、やることが多くて、ブログを書くのが止まっていますが、元気にしております。

 温泉学会の発表では、今回は200人もの方が聞きにこられ(学会では過去最高らしい)、大変盛り上がったものになりました。

 そのあと、島根県の海塩温泉の秘湯の宿に1泊して、昨日奈良の実家に戻ってきました。

 今回もいろいろ発見がありました。農村エリアで携帯電話の信号がよくなく、Twitterでさえつぶやくことが難しかったのですが、そういう日があってもいいように思えるようになりました。時間を見つけて、ブログにアップしていきます。

 明日9日に上海に戻ります。10日からいつも通りに診察する予定です。

 では、これから試験に受けに行って、そのあと仕事の打ち合わせに行きます。

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2.日本での学会参加・講演会発表のため、3月3日〜9日まで休診します。




posted by 藤田 康介 at 00:00| 未分類

2012年03月07日

秘湯の宿 海潮荘&上海人の仲居さん

 温泉学会の帰りに、奥出雲大東町の海潮温泉に一泊して帰りました。海潮荘は、奥出雲で数少ない天然温泉の露天風呂を持っています。

 ここの女将は、温泉学会の懇親会でスピーチもされており、「秘湯を守る会」の宿ということで楽しみにしていました。非常にコンパクトな温泉街の一番奥にあるのですが、残念ながら近年の不況が手伝ってか、廃業している温泉宿もあり、寂しい雰囲気は拭いきれません。しかし、立派な旅館の建物には、昭和時代のレトロな感じがいっぱいで、部屋や露天風呂から眺める庭園の大木からも、歴史の深さを感じられます。



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 女将といろいろ話をしていると、ここの温泉はもともと川の畔に源泉があり、江戸時代には外傷を治しに、多くの湯治客がきていたそうです。源泉の温度は45℃。石膏を含む芒硝泉。中医学的にも、外科の分野で使えそうな成分です。

 海潮荘は露天風呂に特徴があり、内風呂と露天風呂はつながっていて、浴槽の上で仕切られたガラス戸から通り抜けできます。「宝樹の湯」とネーミングされているように、露天風呂の庭には、樹齢800年の椎の木がどんとたっていて、源泉掛け流しの良質のお湯とともに、じっくりとお風呂に癒されることができました。

 

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 海潮荘の名物は、なんといっても牡丹鍋。それも、大根おろしでたべるというかなり特徴のある食べ方です。イノシシの肉は、奈良でも山間部で食べますが、臭みをとるために味噌でたべることが多いのに、ここでは出汁の味はかなり薄め。それでも、肉が全然臭くないのです。

 話によると、メスの若いイノシシは臭みがほとんどないということで、肉そのものの選別の仕方がポイントだそうです。

 ほんとうに美味しく牡丹鍋をいただきました。

 さて、奥出雲の山奥にきていて、ちょっとクセのある日本語を喋る仲居さんがいるな、と思って話しかけてみると、案の定、上海人の方でした。

 おお!ここまで働きにこられているとは、敬服いたしました。日本人の男性と結婚し、島根県に滞在してかれこれ10年。布団敷きから手伝われ、今では仲居さんとして客に接する仕事までこなされています。

 昨日の会合でも、町の方から、奥出雲地方と中国のつながりの一つとして、中国人女性が地元の日本人男性と結婚しているケースが少なくなく、以前、耳にしたことはありましたが、実際にいろいろお話を伺えるとは思いもしませんでした。全くのゼロからの日本語で、語学学校にも行かず、独学で勉強をされてきたとのこと。

 日中の草の根のつながりは、どんどん広がってきていますね。

 今度、上海に来られたときにでも再会できるかもしれません。

 

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 しかし、残念なのは日本の温泉地の衰退。

 全盛期は昭和50〜60年だったそうで、それ以降は、温泉宿がどんどん減ってきています。大型ホテルに食べられてしまっているのかもしれませんが、あと30年もすると、ひょっとして日本の温泉地から個人経営の温泉旅館がなくなってしまうかもしれません。それぐらい、今、日本では温泉地の疲弊が進んでいます。

 私も、日本に戻ったときは、いろいろ各地の温泉地を訪れてみて、なにかアイデアを提供できたらと思っています。


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posted by 藤田 康介 at 00:00| 日本の温泉