この時の出張は、そのちょうど1週間前に東京へはいり、11日の午後は奈良地元の生薬・漢方薬卸業者と会い、そのあとに大阪のホテル日航で、また別の製薬会社の社長をお会いしようとアポイントのために待っていました。そのとき、東北で巨大地震があることを新聞の号外と携帯のサイトで知りました。関西でも揺れたそうですが、移動時間中だったのか、私は全然気がつきませんでした。
考えてみれば、その当時、この瞬間に日本がひっくり返るような大惨事が発生したとは思いもしませんでした。大阪では、至極平穏だったように記憶しています。ただ、私の携帯電話には中国からじゃんじゃん電話がかかってきました。
大地震のニュースは、中国にも瞬く間に伝わり、私の安否を心配してくれた中国人の友人からの電話をたくさんいただきました。このときほど、中国の世界中でローミングできる携帯電話のありがたさを実感したときはありませんでした。同時に、海外からの反応に、とんでもない地震が発生したことを実感したのでした。
そして、翌日12日になって刻々と伝わってくる被害の状況を関空のテレビでみながら、上海へ戻りました。普段、滅多に日本にいない私が、まさかこの大変な事態が発生するときに日本にいたこと自体が不思議だったのですが、これも何かの巡り合わせだったのかもしれません。
上海で生活していても、震災と無縁ではありません。日本から一時的に上海に避難されていた東北地方の患者さんも私のところに診察にいらっしゃいましたし、上海の日本人社会でも様々な活動が行われていました。私も、こちらでのボランティア活動に参加させていただきました。
それ以上に、地元中国の皆さんの動きも速かった。日中関係が政治的にはお世辞にもいいとは言えない中でも、市民の草の根の動きがありました。上海日本領事館には義援金の行列もできました。
あれから1年がたち、今年3月11日の中国のメディアもいろいろな形で、日本の大震災を振り返っています。
『新聞晩報』では、地震発生当初に福島第一原発で働いていた50人の「勇士」について取りあげていました。さらに、第一面には、地震発生直前に誕生した日本人の子供の、今の写真を掲載していました。一方で、新華社は、福島県の人口が今後30年で半分になるのでは?という観測とりあげ、放射線問題との関連も含め、被災地復興が今後、悪循環の状態に陥るのではないかという記事も掲載しています。
科学が発展し、ヒトがあらゆる自然災害を克服できるような幻想を持ってしまうこともあるかもしれません。しかし、その背景には我々が自然に対しての畏敬の念をふと忘れてしまい、今回の原発事故のような取り返しのつかない事態を発生させてしまいました。
原発事故の行く末を、今でも世界中が注目しています。だからこそ、世界を納得させるようなやり方で、この問題に対して政府は対処して欲しいと強く思います。
日本政府も、決して内向きになるのではなく、そういう非常時だからこそより一層近隣諸国との関係を密接にして欲しいと願うのです。
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