公式ガイドブックによると、玉川温泉は「鹿湯」と呼ばれ、江戸時代当時は硫黄の採掘場所として使われていたそうです。クルマがある現在でももの凄く山深いところにあるのに、当時の人たちがどのようにしてここまでやってきたのは、想像もつきません。その後湯治場として広まったのは明治になってからで、意外と歴史が浅いことをしりました。
現在は、新玉川温泉とよばれる、かなり立派なホテルが出来ていて、全国各地からおおくの湯治客が来ていますが、老舗の玉川温泉は大人気でやはり予約はかなり取りづらい。でも、新玉川温泉からは歩いていける距離なので、私達学会員も先生の解説を聞きながら歩いて行きました。
標高740メートルのエリアにあり、すこし奥手には焼山の噴火口が見えていました。正真正銘の活火山に湧く温泉なのです。源泉のPHは1.2程度と極めて強い酸で、しかも塩酸と硫酸が主成分。そこで、温泉地の下の方には酸を中和する施設が作られていました。そのまま水を流すと、生態系に影響を与えるほかに、ダムのコンクリートを腐植させてしまうのです。さらに、石山先生によるとレアメタルの宝庫でもあるそうです。
また、ここは最近なにかと騒がしい、微量のラジウムを含む温泉で、遊歩道も含む玉川温泉周辺では、麓の田沢湖周辺よりも高い放射線量が検出されます。多くの人が源泉地付近の岩盤で寝ていましたが、その放射線も目的の一つで、人によってはわざわざ線量計を持ってきて、線量の高い場所で岩盤浴をされていました。いわゆるホルミスト効果を期待するわけです。
数ある源泉のなかで、もっとも湯量が多いのが、写真にもある大湧で、毎分9000リットル。1箇所からの湧出量では、日本最大です。湧き出すこの自然の恵みに多くの湯治客がやってくるわけです。
玉川温泉が湯治客に人気となったのは、やはりマスコミなどの影響もあったようで、爆発に人がふえたのも、昭和60年代以降のことだそうです。ただ、幾分誇大化されたものもあり、我々医療関係者からみても「?」というものがないわけでもないですが、ただ温熱効果や強酸性の泉質が、人体に与える影響というのは数知れないと思います。そのため、温泉にはいったあとは、しっかりとお湯で体を流すように言われました。ちなみに、昨日の研究報告でもありましたが、安全に温泉に浸かるために、入浴前に5回しっかりと掛かり湯しることが有効なようです。
しかし、マジマジとみてみると、この玉川温泉のパワフルなお湯の出方には感動します。非常に男性っぽい性質の温泉だと思います。湯治客を見てみると、かなり重篤なかたも来られており、ワラにもすがる思い出で来られている現実をみると、医師として私ができる限界を感じる一方で、こうした天然のパワーを活用することで、きっとなにか出来るのではないか?と感じるのでした。
日本人の文化から考えると、源泉というのはある意味神聖な場所であり、強力なパワースポットでもあります。山奥のそこに来ることができるだけでも、本来はある種の肉体的・精神的鍛錬のひとつでもあるし、だからこそ今まで温泉が日本で大切に守られてきたのだと思います。
玉川温泉にきて、私の日本人としてのDNAが目覚めた感じもしましたし、私のやっている中医学や漢方医学との深い接点があることを感じたのでした。
中国ブログランキングへ

健康ブログ:「我が愛しの上海へ2」-理想の中医学と漢方を求めて
【連絡】6月7日〜10日までは日本温泉気候物理医学会のため東京・秋田へ、6月28日〜7月1日まで日本東洋医学学会のため休診します。