
新年早々暗いニュースではじまってしまった2015年の上海。2014年12月31日の11時半頃上海外灘で将棋倒しが発生して36人の死者を出しました。十万人を越える人々が外灘で新年を迎えようと集まったわけですから、とんでもない混雑になっていることが想像できます。犠牲となった人たちの年齢をみると、10代から20代の若者ばかり。そもそも、中国人の中高年はそんな夜遅くには起きていませんから、もの珍しさに集まった若者達が犠牲になったというのは容易に想像できます。人民広場から南京東路にかけての百貨店も、大晦日の夜は2時頃までバーゲンセールをしたりしていましたからね。
そもそも、外灘から浦東陸家嘴の夜景を見ようと思ったら、階段を上って堤防の上にまで出ないとなにも見えません。人が多くなると、この階段が結構厄介なんですよね。一時、誰かが金券をばらまいたことが引き金になったと報道されていましたが、上海の公安部は否定しています。
その後、新年のイベントは次々と中止されることになりました。いよいよライトアップが行われることになった上海でもっとも高い上海中心のイベントも中止に。おそらくこれを教訓に、今年の春節も影響がでるでしょうね。例年、春節時期の南京東路や外灘は観光客が激増してもっとすごいことになりますから。
将棋倒し事故といえば、1987年12月10日の早朝に発生した陸家嘴のフエリーで発生した事故を思い出す上海人が多い。一説では66人が死亡したとも言われており、当時の上海市副市長が辞任しています。
1987年といえば、浦西と浦東を結ぶ交通手段はフエリーだけ。南浦大橋や延安路トンネルもなかった時代です。もちろん、地下鉄2号線もありません。
1987年12月10日未明、濃霧によりフエリーが運航できず欠航が続いていました。そのため、浦西に行くためにフエリーに乗ろうとする市民でごった返していました。長い行列は花園石橋路から浦東南路まで続いていたというのですから、結構な行列です。普段の交通量から計算すると3〜4万人は並んでいたのではないかと言われています。当時は今と違って自転車移動がメインでしたから、どういう状態だったかなんとなく想像できますね。
事件が発生したのは午前9時頃。濃霧があけてきて、フエリーが再開されたときでした。第1便は無事に出発できましたが、第2便に乗客が乗り込もうとしたときに悲劇が発生しました。市民は出勤を急いでおり、すでにイライラが募っていました。そんななか、一人の男性が乗っていた自転車がバランスを崩して転倒、次々に自転車に乗っている人が倒れていきました。1949年以降では、上海で発生した最悪となった交通に関する事故でした。
この事故を教訓に、延安路トンネルが急ピッチで建設されることになり、1988年にトンネルが開通しました。ちなみに、その開通当時の延安路トンネルは対面通行で、北側の浦東から浦西に向かうトンネルが先に開通しました。2本目が開通するのは1996年になってからです。私が上海に初めて来た1996年当時は、延安路トンネルは1本しかなく、大渋滞したので浦東に渡るのにはむしろフエリーのほうが便利だったぐらいです。ちなみに、その当時は南浦大橋に料金所もありました。もちろん、地下鉄2号線はなかったですよ。地下鉄2号線が開通したのは2000年6月になってからです。
上海に長く生活していると、あまり外灘エリアとか豫園エリアには行きません。ましてやこの観光客の多いシーズンは言語道断です。
中国で安全に生活するためのポイントはとにかく人混みには行かないこと。通勤時や旅行するときも同様で、もし人混みに入ってしまったら、とにかく安全に逃げられるようにすることを常に考え、ほとぼりが冷めるまで待つことです。例えば、地下鉄での通勤の場合、ほんの15分ずらすだけで全然混雑の状況が違ったりします。市内の高架道路もまた然りです。それだけ、日常的に集中が発生していることが分かります。ワッと嵐のように現れて過ぎ去っていく。それが中国式の混雑です。
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