
奈良橿原今井町の空き家町家の修復工事を始めるというブログを書いて早1年以上がすぎました。
それまで途切れることなく準備を進めていたのですが、手続きがいろいろと大変で、1年かかってやっと目に見えた動きになりました。
国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)に指定されている今井町だけに、町家の修復はなかなか大変です。でも、その大変でかつ地味な作業があるからこそ、今のような中世の風景が残っているのだと思います。
あまり知られていませんが、今や妻籠・津和野・祇園・白川・川越などなど日本全国で100箇所以上ある重伝建地区の制度が始まるきっかけを作ったのも、実はこの今井町。戦国時代から今井町人たちの自治があったように、その後も町を保存する先輩住民達による独自の取り組みが行われていたことは特筆に値します。それが町家建築などが群集して残る現在の姿になったのです。

ちなみに重伝建地区は、歴史がある奈良県ですら3箇所しかなく、伝統的建造物は504箇所もあり、日本全国のなかでも突出しています。まあ、奈良県には重伝建地区に匹敵するような地域はまだまだあるのでしょうが、本格的な保存となると地元の人の協力も必要で、難題も沢山あるわけです。
今回の改修工事も伝統的建造物に指定されている町家ですので、設計士さんや大工さんはもちろんのこと、文化庁や橿原市をはじめ、関係各部門との許認可が必要ですし、さらに自治会長さん、区長さん、お隣さん、ご近所さん、そして保存会の会長さんなどなど多くの人たちとの協力と繋がりが必要です。

起工式はもろもろの事情から仏式になりました。
ありがたいことに今井町内のお寺から住職さんに来て頂きました。
今井町内には、神社もお寺も事欠きません。
お祓いする神式の地鎮祭とはまったく違う形式で、お経をあげていただきました。屋内・屋外だけでなく、長らく使われてきた厠・おくどさんにも感謝の念を込めて、塩とお酒でお清めしました。

こういう今井町の古い建物には、いろいろなエピソードはつきもの。住職さんは前に住んでおられたおばあちゃんのことも含め、工事の安全を祈願されていました。今井町ならではの習慣や風習の話はご近所さんから伺うことで、この街に対する愛着が出てくるものです。

全部で1時間半ほどかかりましたが、無事終了。
今、今井町では徐々にですが、空いている町家の修繕・整備が始まっています。今井町に観光に来られた人は、「なんだ、意外と新しいぞ。」と感じるかもしれません。きっと、修復前の古い古いボロ町家が並んでいると想像されているかもしれません。
しかし、木造の町家は痛みが激しければ、最後は崩れてしまい自然に帰ってしまいます。とてもエコな建物だと思います。少しでも手を加えていかないと後世まで町並みを残すことが出来ないのです。そのために、今井町内にある整備事務所までいくと、各町家のオリジナルの姿のデータが残っていますが、そうした資料をもとに、近現代に勝手に手が加えられた町屋の外感に関しては、元通りに戻されていきます。
うちの町家も、もともと壁だった場所に窓が勝手に作られていたり色々な後世の改造箇所が出て来たので、設計士さんと相談しながら、できるだけオリジナルに戻していきます。
最近、私たちのように、この今井の町並が気に入って、新しくやってくる若いファミリーも増え始めています。
今井町の生活は、新興住宅地やマンションとは全く違う様式ですが、なんといっても平地で、買い物などはほぼ徒歩で暮らせるようになっていて、隣近所との距離感が近く、いつも誰かと触れあう人間関係は、大都市に住んでいる人にとっては新鮮です。町家街のなかに、銀行も郵便局もあります。
何百年と営まれてきた先人からの暮らしを自分たちも引き継いで行けたらと思います。我々もここに移住してきて4年目になりますが、古い町とはいえ、住めば都でなかなか居心地が良いものです。

これから、天井も抜けてしまったこのボロ町家に、命を吹き込んでいきます!
海外に暮らしているから見えてくる日本の魅力。これからも大切にしていきたいです。
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