日本人以上に言っていることの見通しアバウトで、そしてある時は自分自身を主張の上では自虐的な立場にまで持って行って、人の同情を買おうとする傾向があるように思います。
実は、あの「愛国教育」もこの考え方と関係があるのかもしれません。苦労したことをオーバーに表現すれば、当然大多数の同情を得ることが可能で、結果的に主張した人の意図した方向に物事が進むようになる。
日常生活でも「忙しい」や「大変」、「難しい」というようなことを簡単に口にする人が多いのも、中国での特徴だと私は観ています。
もちろん逆に実際にそうではなくても「簡単」や「すぐできる」などを口にする人も多い。主観的は評価をすぐに下してしまい、そうだと思いこんでいる人が多いため、なかなか厄介なのです。
逆に管理するほうからすれば、論理的に分析してあげなければなりません。
これは実際にあったある病院での話です。外来担当の医師が忙しすぎるから「給与をあげてほしい」と院長に直談判したそうです。
ところが経営が苦しいのが多くの上海のローカル病院の現実です。患者数のデータからみても、患者は決して多いわけでもない。でも医師は様々な理由をいってきます。
そこで、院長は朝8時(出勤時間)にこの医師の外来を抜き打ちで訪れました。そうすると、悠々と診察室で朝食を食べているではないですか。
この姿を見られて、この医師の昇給は却下されました。
結局、中国では特に、なんでも「見て、聞いて、確かめる」の3拍子で確認しないと、分からないのです。自分で見て確認したモノしか評価しない。この原則が非常に大切で、報告書をいくら書かせても、あまり意味がないと私は見ています。
なのに、中国人の社会で生活してきて、例えば病院の上部が我々に報告書やレポートを書かせることがおおいのですが、こうした書類は往々にして「ウソ」であることが多く、真剣に取り組んでいる人は非常に少ない。
もちろん、日本人でもそういう人はいると思います。
だけど、私の経験上、中国人の社会の間では、かりにその意見が間違っていても「言ってしまえば勝ち」という傾向が強く、「主張すること」をその核に持ってきていることを忘れてはいけません。
そして、主張することが大勢の他人の同意を得ることができれば、場合によっては正しいという判断になってしまう可能性もあるのです。これは、この国の人口の多さが引き起こした当然の必然的な結果かもしれません。
アメリカのような民主主義が、この国でできない理由はここにあるのではないかと私はみています。
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